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第3話

 僕は会場の外で待っていると、私服に着替えた綾瀬が出てきた。

 綾瀬はマスクを付け、そして帽子を被って黒いジャケットと白いワンピースを身に着けている。


 僕を見つけた綾瀬が手を振ってきた。「こっち、こっち」

 僕は改めて面倒臭くなって、溜め息をつく。

 綾瀬に近づいて、


「で、どこ行くんだよ」

 と厭々と声を出した。


「焼肉行かない?」


「焼肉?」


「そうなの! 新宿三丁目の焼肉店をアヤネルが紹介していて。特にハラミ肉が美味しいんだって」


 彼女は足をぴょんぴょんと撥ねさせて、有頂天になっている。


「いや待てって。そもそもアヤネルってなんだよ」


「人気インフルエンサーだよ。ティックトックでバズってるんだ」


 僕はへえ、と生返事を返した。インフルエンサーだか知らないけど、僕はそんなものに興味はないし。


「どうせそのアヤネルとかいうやつは案件で焼肉店を紹介したんだろ」

 すると綾瀬は真面目な顔になって、


「あなた、友達いないでしょ」

 唐突に厳しい発言をした。


「どうしてそう思った?」

「だってあなた、他人に興味が無さそうなんだもん。他人に自分を介在してほしくない。とも思ってそうだしね。どうなの?」


 僕は、頭を掻いた。


「確かに、君の言うとおりだ。僕は他人なんてどうでもいいし。結局は何事も自己完結しているしね。独りでも生きていけるよ」


「じゃあ、なんで今日はライブに来てくれたの?」


「えっ――」


 僕は意表をつかれた。そうだ。なんでだろう。わざわざ電車にまで乗って、人混みが嫌いなのに、それに溢れている新宿を歩いて、そしてアイドルなんか好きでもないのにファンと混じってライブを見て。正直に言おう、ライブは感銘を受けた。


「本当は、変わりたいって思ってるんじゃない?」


 そして彼女は僕の胸を触った。その部位は、心臓だった。


「君の名前、大島錆斗って言うんでしょ? けど、錆びているのは今だけだよ」


「どうして僕の名前を? それにそもそもどうしてライブになんか誘ったんだよ」

 彼女は目を細めた。


「それが分からないままじゃあ、答えは教えられないね」

 さあ行くよ、と綾瀬は僕の手を引っ張って歩みだした。


 僕らは座敷に座って、鉄板で焼かれている珍しいジビエや、ハラミを食べていた。アヤネルとやらは知らないがこの店をすごい美味い焼肉店ということをネットで発信したからか、店内は多くの学生や若者で溢れていた。

「ねえ、もしもさ。あなたに好きな人がいるって知ったら、どうする?」

 突如、綾瀬は無表情で言った。

 僕のことを好きな人か……。もし、彼女の言う通り、そんなことを言ってくれる人がいるとしたら嬉しい。けれども、それ以上に僕は自信の無さが勝って、多分どうすることもしないだろうな、と。

 そのことを伝えると、なぜか彼女が悲しい顔をした。その意味を察せられない僕は、もどかしかった。


「ライブ、どうだった?」

 綾瀬が話題を変えてきた。僕は深く考えず、良かったよと言った。


「どの辺が?」

「えっと……」

 僕は言葉に詰まってしまう。その様子を見た綾瀬が苦笑しながら、


「薄ぺっらいね。あなたは」

 すると彼女は、バッグからB5のツバメノートを取り出した。


「あなたが少しでも、他人に興味が出るように、『一緒にしたいことノート』始めない?」


「なんだよそれ」


「例えば、今日のことで言うと、『一緒に焼肉を食べる』とかね。そういう他人との交流の些細な積み重ねが、いつかあなたを変えるはず」


 僕は余計なお世話だ、とは思った。断ろうとも一瞬思った。それでもそれをしなかったのは、彼女の真っ直ぐで真剣な眼差しを見たからだ。

 どうしてか分からないけど彼女は本気で僕のことを変えようとしている。


「なあ、どうしてなんだ? どうして僕をそこまで変えようとしているんだ?」

 すると綾瀬が曖昧な笑みを見せた。

「いつか分かるから。……それよりも、やってくれる?」

 僕は溜め息をついて、

「分かったよ」

 と言った。


―――――――――――――――――――――――――――――――


「ただいま」

 僕は誰もいないリビングの電灯を付ける。

 なぜ誰もいないのか。それは親が母一人で、その母が水商売をやっているからだ。夜働いて明朝帰宅してくる。

 僕は、テーブルの上に置いてある一万円札を財布の中に入れて、デリバリーのチラシを数枚見た。今日は昼に焼肉を食べたので少々胃もたれをしている。なのであっさりとした寿司でも注文をしようか。スマホからウーバーイーツで銀座寿司の松を注文する。

 それからポットで湯を沸かして、コーヒーを作る。ずずっと啜って一息つく。

 ふと思い立ってカバンの中からノートを取り出した。

『一緒にしたいことノート』。一体、彼女はどんな気持ちでこれを用意したんだろう。

 ペンケースからシャーペンを取り出して、ふと思案する。

 僕が綾瀬と一緒にしたいこと、か。

 ……特に思いつかないな。だって、興味の無い相手と何かをするって、あまり良い気分ではないし。

 すると僕は彼女の踊りを思い出した。ステップを踏みながら、華麗に舞う。それはまるで舞踏会の貴婦人のようだった。

「あいつ……悩みとかってあるのかな」

 僕がふと、湧いた疑問。アイドルはどんな悩みがあるのか、正直興味がある。

 僕はノートに、『アイドルの悩みを僕に告白して、ストレスを一緒に発散する』と書いた。


―――――――――――――――――――――


 翌日。高校のクラスで、綾瀬はノートを見てはしかめっ面をしていた。


「なんか~真面目だね。錆斗君は。まあ、”彼女の好み”でもあるからいいけど」

 そしたら綾瀬は真っ直ぐ僕を見つめて、


「錆斗君は、アイドルにどういう概念を持ってる?」


 僕はそう言われてしばし黙考する。そして脳裏に宿った僕が考えるアイドル像とやらを説明した。


「恋愛禁止で、プライベートを売って、モテない男たちの承認欲求を満たす職業」

「うん。偏見に満ち溢れてるねえ」

 綾瀬の口角が歪んだ。


「だって、よく分かんねんだもん」


「いい? 正解を言ってあげる。アイドルは、夢を売る仕事なの」


「夢? 歌って踊ることのどこが夢を売る仕事なんだよ?」


「分かってないなあ。アイドルに限らず、アーティストもそうだけど、曲の力ってすごいんだよ。落ち込んでいるときに好きな曲を聴けば元気が出るし、それこそ、夢に向かって努力するときも原動力になる。たった三分半の短い小節で、そんな力が宿っているのだから」


 そう言われてみれば、そうかもしれない。僕にだって好きなアーティストの一人や二人はいるし、通学の時も曲を聴いている。


「なあ、君はどうしてアイドルになろうと思ったの?」


 綾瀬はハッとした顔を見せて、それから嘆息をついた。


「それを教えられるほど、あなたとはまだ親密な関係じゃないよ」


「確かにな」


 そりゃあそうだ。プライベートな話を聴けるほど、僕たちはまだ仲良くない。

 すると綾瀬は笑って、


「だから、これから仲良くなろ? 早速これやってみない?」


 そう言って、綾瀬はノートにペンを走らせて見せてきた。

 僕は、意表をつくような文面に、ただ一言。


「君は、ソロデビューでもしたいわけ?」


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