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第5話

 一か月後。僕は気管支喘息の薬物療法の経過観察で市立病院に来院していた。

 待合室で待っていると、カラカラカラと車椅子の車輪の音が聞こえた。


「あれ? 錆斗君……」


「え?」


 そこには、車椅子に乗っている綾瀬の姿があった。

 車椅子を押しているのは、綾瀬の母親だろうか。長いロングの髪はぼさぼさで、化粧もしていなさそうだし、それに表情も疲れ切っているようだ。


「光の学校のお友達?」


「うん、お母さん」


 僕は立ち上がって母親に会釈をした。


「じゃあ、お母さんはお医者さんに病状、詳しく聞いてくるから。ここでちょっと待ってて」

 そう言って診察室へと入っていく母親。

 僕は綾瀬のもとへと近づいた。


「どっか手術なのか?」


 彼女は俯いた。

 どうして俯いているのだろう。僕は興味が湧いたが相手のプライベートな問題に突っ込むのはさすがに気が引けるのでやめておいた。


「錆斗君はどうして病院に?」


「気管支喘息の薬を以前処方されたから、その経過観察に」


「えっ、喘息に薬なんかあるの⁉」


「そりゃああるよ。吸引する薬」


「へえ」


 それからしばらく僕と綾瀬は会話が無かった。彼女はスマホを触りながらなぜか時折、こちらを見やる。何か要件でもあるのだろうか。


「なんだよ」


「――ねえ、私がもし死ぬ病気に罹ってるって知ったら、信じてくれる?」


 彼女は暗い表情で言った。……なにを言っているんだろうか。冗談だとしても趣味が悪すぎる。


「おい、なに言ってるんだよ。そんなの、信じるわけないだろ」


 意表を突かれたように、彼女はハッとする。それから口ごもりながら、


「そうだよね。信じてくれないよね」

 と言った。そしたらなぜか彼女が泣き出した。 


「なに泣いてんだよ」


「あなた、無神経すぎるよ……」

 おい、待てよ。そんな反応するってことは。本当に死ぬ病気に罹ってるってことなのか。


「まさか、本当なのか?」

 彼女は天井を見上げた。


「もう、アイドルも辞めないといけないの。もうじき、体が動かなくなるから」

「どういうことだよ」

 彼女はいつもの、あの真っ直ぐな目線を向けてきた。


「私、ALSという難病に罹ったの。いつか体が動かなくなって、そして死ぬ」


「えっ……」


 それは、僕が背負うには重すぎる告白だった。そして――。


「まさか、もう車椅子生活になるのか?」

 彼女は首を横に振った。


「まだあと一年は大丈夫。でも徐々に筋肉が凝り固まっていくから、激しい運動とかは駄目なの。だからダンスとかは無理かも……」


「そうか……」


「ごめんね。私もさっき、先生に診断されて。独りで抱え込むには、重すぎる内容だったから」


「親がいるんじゃないのか」

 綾瀬は淋しそうに違う、と言った。


「あの人は義父との間に出来た子供にだけ愛情を注いでいるから。”親であって親じゃない”みたいなもんだよ」


 僕はその言葉に疑問を抱かざるを得なかった。愛情を注いでいない親が、子供を病院に連れていくのか、と。

 まあそんなことより――。


「なあ、やってみたいことはあるか? ほら、『一緒にやりたいことノート』もあるし僕でよければ手伝ってやるよ」

 その言葉に、綾瀬は目を丸くした。


「それって、なんでもいいの?」


「ああ。いいぞ」


 もう、僕たちは知り合ってしまったから。放っておくわけにはいかない。


「あなたって、無神経なのか、優しいのかよく分からないね」


 彼女はくつくつと笑った。最初の暗い表情からは考えられないほど、満点の笑顔に変わっている。


「――ありがとうございました」

 綾瀬の母親が診察室から出てくる。頭を軽く下げて、扉を静かに閉めた。


「じゃあ、また学校でな」


「うん」


 彼女はまた笑いながら手を振ってくる。母親は無表情で、


「なにか良いことでもあったの?」


 と訊ねていた。しかしそれに答えなかった綾瀬。

 僕はそんな様子を見て、いろんな家族の形があるんだなあ、と思う。


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