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第7話

「みなさんに、新しいマネージャーを紹介します」

 SWORD事務所社長が、ダンススタジオでスマホを触っているメンバーに向かって言った。 社長も女性で、髪をハーフアップにしている。年齢は四十代ぐらいだろうか。どことなく色気がある。

 僕は長髪を掻き分けてメンバーを見渡した。

 立花椎名。メンバーとの協調性に欠ける、承認欲求が強い女子。他メンバーとの軋轢と歌唱力に難がある。

 紀伊嶋早希。大人しい性格。ダンスの技術はメンバーで一番。

 最後に、大和田霧。歌唱力はプロ並み。しかしそれしか個性はない。

 三か月前に脱退した綾瀬光は、歌唱力もあってダンスも卓越していて、そしてメンバーをまとめられるリーダーシップがあった。それらの情報を、以前のマネージャーからは引き継がれている。

「どうも。大島錆斗です。えっと……」

「ねえ、早くしてくんない。ダンスの練習したいんだけど」

 言ったのは立花だ。睨みを利かして僕の挨拶を止めた。

「手前八丁な言い文句なんかいらねえって」

 僕は苛立ったが深く呼吸をして、感情をコントロールした。

「みなさんを”日本武道館へ連れていきたいと思いますので、よろしくお願いします」


 空気が静まり返った。そして途端にメンバーは大声で僕を嘲笑した。

「そんなの無理だって。だって私たち、ただの地下アイドルだよ? ファンなんて五百人程度。インフルエンサーでもない。人気のないアイドル」

「まあそれ私たちが言ったらお終いなんだけどね」


 けらけらとわらっている。その姿と綾瀬の真面目に日本武道館に行きたいと言った姿が重なり合って僕は今度は怒りをコントロールできなかった。


「ふざけんなよ。その夢はな、お前らを第一に想って応援してくれている”ファン”が抱いているものだろうが。それを馬鹿にすんなよ」

「はあ⁉ あんた何様?」


 立花が物凄い剣幕でこちらを見てくる。だがそれに物怖じするほど、僕は半端な覚悟でSWORDのマネージャーになっていない。

 退――。


「いいか。僕もかつてはSWORDのファンだった」

 そしてここで僕は敢えて彼女の名を出す。

「……綾瀬光のファンだったんだ。彼女とは同じ高校で、話をする機会があった。そのとき彼女は言ったんだ。SWORDを日本武道館に連れて行きたいって」

 立花の顔に一瞬、困惑が見て取れた。綾瀬の名が出るとは思わなかったからだろう。

 綾瀬を脱退にまで追い込んだのは立花である。気に食わなかった綾瀬が、男子に告白した録音がネット上に拡散され炎上騒動になると、社長やメンバーにあることないこと言いふらした。

 そのせいで、綾瀬は芸能事務所を契約解消となった。


「そいつの名前を出さないでよ。そんな淫乱女」

「ファンを裏切った、淫乱女。渾名にしてはすごく的を得てるんじゃないの」


 大和田がそう言った。その言い方は冷徹だった。しかしどこか感傷的に感じるのは、立花を除いた皆は綾瀬のことをかつては好きだったからだ。

 だからこそ、ファンを、メンバーを裏切った綾瀬を許せないのだ。立花とは別の思いが、二人にはある。


「悪い。でも、みんなは日本武道館は目指せる位置にある。それを伝えたかったんだ」

 僕は頭を下げて、それから社長に目をやり、ダンススタジオから抜けることを伝えた。


***

 三日前。

「マネージャーになってくれるの?」

 夜九時頃の公園。僕と綾瀬はブランコに座りながら会話をしていた。

 満月が僕らを見下ろしてくる。それは薄闇での密談にもってこいの照明代わりだった。


「でも、いったいどうして・・・・・・」

「SWORDを日本武道館へ連れていってやりたくなったんだ」


 その言葉に、綾瀬は目を丸くした。

 そしてその言葉の重さを図り、核心的なことを突いてきた。


「私は中学の頃からアイドル活動をしていたから、学校側も協力的だったけど、錆斗くんは違うはず。・・・・・・まさか、学校を辞めるつもり?」


 僕は首肯した。すると彼女は勢いよく立ち上がった。そのせいで筋肉の収縮に痛みが走ったのか口角が歪んだ。


「そんなの、許さない。私と一緒に登下校したり、一緒に昼食を食べたり、幸せなカップル姿を全校生徒に見せつけてやりたい。――錆斗くんは違うの?」

「SWORDを武道館に連れていきたいのは君の夢だろう。違うか?」


 綾瀬は歯噛みした。言い負かせなくて悔しいのだろう。


「確かに、僕もそうしたいさ。でも君の数少ない猶予を意義あることに使いたいんだ」

 彼女から涙が流れた。それを見て心が痛くなった。

「ありがとう。でも、私っ、私っ。申し訳ないよお」

 僕も立ち上がって彼女を抱き締めた。体が痛まないように。優しさで包み込むように。

「だったら私も学校を辞める。どうせ病気で将来なんてないもんだし、錆斗くんと一緒に生活する時間に余命を使いたい」

 こうして僕たちは学校を辞めた。綾瀬の親は反発があったらしいが、僕の親は放任的だった。


―――――――――――――――――――――――――――


 二十時。僕は居酒屋に訪れていた。

「すみません。遅れました……」

「いや別にいいんだよ。大島君。まさか本当にマネージャーになるだなんてね」


 座卓に座っている、長身の癖ッ毛の男はにやにやと笑っている。

 この男は以前、綾瀬が路上ライブをしていたあと、スカウトをしてきた人物が所属するAKという事務所の音楽プロデューサー。名前はさかい明人あきと


「ビールでいいかい?」

「あのねえ、堺さん。僕は未成年ですから」


 店員を呼んでウーロン茶を注文する。


「で、本当に綾瀬さんを譲ってくれるのかい?」

 僕は首肯した。

 綾瀬とも話し合ったことだ。綾瀬はAKに移籍する。


「でも一度は炎上したアイドルは、扱いにくいなあ」


 にやにやと笑っている堺。何かしらの提案か、あるいは問題を抱える奴を押し付けたいんだったら金で解決しろと言わんとしているのだ。

 僕は頭を下げて、

「『歌い手』という芸能活動でしたらどうでしょう」

 と言った。

 堺は煙草を咥えた。僕はポケットに入れていたライターで火を付けてやった。

 紫煙を吐き出しながら堺は首肯した。


「それは名案だねえ。よし、それでいこうか。じゃあ今から綾瀬さんに連絡がとれる?」

「えっ」


 僕は冷や汗と鳥肌が立った。まさか……。


「歌い手の方針とか、いろいろと決めなくちゃいけないからな。この店に来てもらおう」


 僕はそう言われて心から安堵した。肉体関係を綾瀬と持たれるかと思ったからだ。

 そう思ったことを見透かしたのか、くっくっくと堺は笑った。


「僕は君の想像していることはしないよ。というか、女性に興味はないんだ」

「は?」


 すると僕の耳元で小声で囁いた。


「実はゲイなんだ」

「ええっ」


 僕は思わず大声で素っ頓狂な声を出してしまう。すると周りから僕が白い目で見られた。


「驚いたかい?」

「……はい」

「どうだい? 一緒にホテルでも行く?」


 僕は体が緊張して上手く動かせなくなった。やばいな……。この状況。


「嘘だよ」


 にんまりと笑う堺。いや、ゲイが嘘なのかホテルに一緒に行くのが嘘なのかどっちなんだ。どっちも怖いけども。


――――――――――――――――――――――――


 白のニットに黒のライダースジャケットを羽織り、緑のロングスカートで現れた綾瀬。


「どうも……」

「どうも」


 綾瀬と堺は簡単な挨拶を交わし、綾瀬もウーロン茶を頼んだ。


「単刀直入に聞くけど、君たちは『歌い手』の難しさは知っているのかい?」

 僕と綾瀬は顔を見合した。どういう意味だろうか。


「『歌い手』は顔を出さないから余計に実力を歌唱力で判断されるんだ。今の世代の子で言うとバズるっていうのかな? 世間の流行になるのはとても難しいんだ」

「そうですよね……」


 綾瀬は萎縮している。その背中を僕ははたいた。


「痛っ、なにすんの」

「元気出せよ。君の歌には才能が宿っているからさ」

「……錆斗君……ありがとう」


 綾瀬は満点の笑顔を向けて来た。

 すると目を細めて手を叩いた堺。


「はいはい。イチャイチャしない」


 僕は頭を軽く下げた。


「すみません」

「ふん、まあいいけどさ。で、曲はどうすんの」

「えっと……そこはお願いできないかな、と」


 そう言ったら、堺はビールジョッキをテーブルに叩きつけた。

 僕と綾瀬は肩を震わす。

 なにか逆鱗に触れたのだろうか。


「だったら君たち、これを聴いてもらってもいいかな」

「えっ」


 堺はバッグからPCを取り出し、焼き鳥の皿をどかしながら、PCを置く。

 それから音楽ソフトを起動して『渚の唄』という楽曲データを再生する。

 潮の満ち引きの効果音とともに、精悍せいかんとしたコード進行が始まる。

 そして四分半の短い小節は終わった。

 感動した、という言葉では言い表せないほどこの曲は素晴らしかった。


「これは、誰が作ったんですか?」

「ん? 僕だよ」

「はい? 音楽プロデューサーって楽曲制作も行うんですか?」

「趣味の延長線上だけどね」

「これがですか……」


 妙な謙遜けんそんはやめてほしいものだ。とても趣味の延長線上とは思えない。 


「どうかな?」


 堺は微笑んでいる。

 綾瀬と僕は頭を下げた。


「ありがとうございます。ご協力、お願いします」

「じゃあ交渉成立だね」

 AKとの書面での事務所契約など、もろもろの雑務はまだ残ってはいるが、ひとまず方向性は定まったと僕は思う。


「あと、これは言っておかないといけないと思うんですけど、私はALSなんです」

 僕はそんなことを言い出した綾瀬の頭をはたいた。


「なんてことを言い出すんだ。違うんです堺さん」

「……まさか難病持ちだとはね」

 顎を触りながら、また煙草を吸った堺。

 もしかしたら断られてしまうかもしれない。難病持ちだから、歌手活動なんて出来ないだろう、と。

 だがしかし――。


「だからなんだい? 僕としてはこう捉えるよ。綾瀬さんが生きた証を『歌い手』として残そうよ」

 僕は……正直に言おう。堺の度重なる発言に驚かされていた。

 以前出会ったスカウトマンは、地下アイドルというものを侮辱し、完璧に綾瀬のことを見下していた。

 しかし堺は平等に僕たちを見ている。接している。堺は信用が出来るかもしれない。

「じゃあ今晩はこれで失礼します」

 僕は財布から一万円札を引き抜こうとしたら、堺に止められた。

「大人に恥かかせんな」


――――――――――――――――――――――――――


 二十四時。すっかり深夜で、終電を逃した。


「タクシー代まで出してもらうと後々面倒だしなあ」

 と、いうことでホテルで泊まることになった。


「うわーキングサイズのベッドだよ~。いやらしいねえ」

 ベッドに寝転がって、そんな阿呆なことを言う綾瀬の頭をはたいてやった。


「いやらしいのは、君のほうだ」

「――ねえ、堺さん、良い人だったのかな」

「良い人、だったんじゃねぇか?」

「そうだねえ」


 僕もベッドに横になった。

「ねえ、私、いつまで生きられるんだろう」

「ん? なにブルーになってんだよ」

「……赤ちゃん、欲しいな」

「はっ?」

 彼女は起き上がって、僕を真っ直ぐ見つめてきた。

「あなたとの、赤ちゃんが欲しい。それが、私の夢」

 ALSで、妊娠もしてとなると体の負担が増える。ALSは進行の早いケースだと、一年弱で寝たきりになってしまう。その状態での出産はリスクも高い。でも、彼女との子供は単純に僕も欲しかった。

「夢、か。卑猥な夢だな。”後悔することになるぞ”」

「こう、かい?」

 僕は彼女の上に跨って顎を触った。

「今晩は寝かせない」

「……」


 綾瀬は顔を真っ赤にしている。      

 その姿がとても愛らしかった。


「なにそれ、キザッぽい口調がダサいんだけど」

「キザも死語だろ」

 僕たちは大声で笑いあう。それから口づけを交わした。 

 そんな官能的な時間はゆっくり過ぎ去っていった。


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