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第8話

 夕食後、僕はソファで眠っている綾瀬の体を持ち上げ、ベッドに横にならせた。

 僕はふと思い立って、スマホのカメラで綾瀬の写真を撮った。

 その際、シャッター音で目が覚めてしまった綾瀬がとろんとした目で、


「どうしたの?」

 と訊ねてきた。

「いや、可愛いなって思ってさ」

 すると彼女は両手を広げてきた。こちらにおいでと言わんとするように。


「私はまだ死なないから、今夜も楽しも?」

 クスクスと笑う彼女。僕は自分の性欲を抑えられなくなって、彼女の上に跨った。

「本当に、可愛い。めちゃくちゃにしたい」

「もう、ド変態」

 すると電話が鳴った。僕は舌打ちをしてスマホをズボンのポケットから出して、通話を始めた。


「はい、もしもし」

「あっ、大島君? 僕だけど」

「堺さんですか。こんな時間にどうしたんですか?」


 掛け時計を見やる。深夜十二時を指していた。


「綾瀬さんの口ずさみの歌唱動画、聴かせてもらったよ。さすがだった。テンポ早めの曲だから、さすがに難しいとは思ったけど、想像を超える出来だったよ」

 僕は自分ごとのように嬉しくなった。頭を下げて、「ありがとうございます」と言った。


「じゃあ明日、君と綾瀬さんは事務所に来てね。絵師と紹介させるから」

「分かりました。では失礼します」


 向こうが通話を切るまで待ってから、スマホの画面を閉じた。


「綾瀬。君の歌唱が堺さんに絶賛だよ――」


 そう言って綾瀬の方を見ると彼女が、過呼吸だった。

「大丈夫か‼」

 綾瀬は目を白黒させて今にも呼吸が止まってしまいそうなほど、苦しんでいた。

 どうして急変したんだ。

 僕はすぐに通報した。救急車が到着するまで、僕は彼女の手を握っていた。

「はあ、はあ、錆斗君……」

「ッ、大丈夫だから。鼻からゆっくり息を吸って、吐いて」


 彼女の体が大きくのけぞった。呻きながら胸を抑えている。


「ちっ、まだ来ないのか」


 するとインターホンが鳴った。僕は慌てて玄関へと向かった。

 僕は扉を開けて救急隊員を部屋に招き入れる。

 ストレッチャーに綾瀬を乗せて、そして玄関から出てアパートの階下へと向かう。

 僕も連いていって、救急車にストレッチャーと共に乗り込んだ。


「SPO268。血圧70、32です」

「それって相当危険な状況じゃないんですか。綾瀬は大丈夫なんですか‼」


 隊員が興奮している僕をなだめる。


「大丈夫ですから。落ち着いてください」


 酸素マスクを付けられた綾瀬は、苦しい中、僕の手を取った。

 呼吸が苦しい中、錯乱している僕を安心させようとしている。

「私は、大丈夫だから――」

 その言葉を最後に、彼女は意識を失った。


――――――――――――――――――――――――――


 診察室にて、僕は医師から現在の綾瀬の状況を伝えられていた。

「喉の筋肉の酷使で、呼吸器に負荷がかかっていたんでしょうね。それで一時的な呼吸不全に。なにか心当たりはありますか?」

「えっと……。実は彼女は歌手で、今日、歌唱の録音を二時間以上行っていたんです」


 医師は険しい顔をした。

「残酷なことを言います。歌手という職業を続けるんだったら、呼吸器疾患を患うと思っていてください。彼女はそれでもALSという難病を抱えているんです。これ以上筋肉に負荷がかかると非常にまずい」

 僕はうなだれて、「分かりました」と言った。


 なにが分かったんだよ。彼女になんと説明したらいいんだよ。

 歌手はやめて、あと残りの余命を僕と二人で過ごしてくれってか。そんなの、もしかしたら僕のエゴかもしれないじゃないか。

 僕は診察室を出て帰路に着く。


 夜明けの太陽が僕を包み込む。

 僕は俯きながら歩く。

 ――SWORDを日本武道館に連れていきたい。

 そう活き込んだ彼女の、自信に満ち溢れる態度や瞳を思い出す。

 彼女は、もう歌うことは出来ない。もし歌うことを選択すれば、命を削ることになる。それでも彼女は歌うのだろうか。


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