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第9話

 僕は一睡もせぬまま、AKの事務所へと向かった。

 用意された部屋に行くと、パーカー姿の丸渕メガネを掛けた少女が絵を描いていた。


「どうも……」

「……」


 僕の言葉が無視された。僕は苛立って溜め息をついて、彼女の斜め前に座った。

 その数分後、飄々と堺が訪れた。

 僕は立ち上がって、頭を下げた。しかし少女はこちらに一瞥もくれずにお絵描きに夢中のようだ。


「彼女、変わっているだろ?」

「変わっているというか、礼儀知らずというか」

「名前はね、安藤研子あんどうとぐこ。名前を呼ばないと反応しないんだよ」

 僕は嘆息を再び吐いて、


研子とぐこちゃん? 今から会議を始めるらしいから、お絵描きはもうやめようか」

 と言った。すると安藤はこくりと頷いて落書き帳を閉じた。

 堺は安藤は可愛いだろ、とでも言いたげにうっとりとした顔を見せて、


「あの子は七歳なんだ。けれどそんな幼くてもプロ並みの絵師として活動している」

「すごいっすね」

「いわゆるギフテッドっていう子なんだけど。でもその分だけこの子は生きにくくてね。今も不登校なんだ」


「ふーん。親は?」

 堺は首を振った。

「いないんだ。交通事故で亡くなってね。それからこの子の親代わりとして僕の家で住まわせているんだけどね」


「えっ、出会いは?」


「一応、僕の親戚なんだよ」

 はあ、そういうことか。でも、七歳で両親を喪ってしまうことは、これからの人生を考えると悲運だろう。


「でも僕は、仕事で忙しくなることが多いし、婚約者にもちょっといい気はしないって言われているしね」


 婚約者が女性か男性かは知らないが、確かに研子と婚約者、お互いに居心地は悪いだろうなと僕は思う。


「だから、君に相談なんだけど、僕が残業のときはちょっと預かってもらえないかな。給料は出すよ」

「ええっ」

 堺は僕の顎を触ってきて、


「僕の体をむちゃくちゃにしてもいいからさ」

「バイなんすか⁉ まあ別にいいんすけど」

「ありがとう。で、綾瀬さんは?」

「実は……」

 綾瀬が喉の筋肉の酷使で過呼吸に陥ったことを伝えた。すると彼は唸って、


「ごめん。僕のせいだ。綾瀬さんには曲の納期は早めに頼むって言っていたんだ」

「どうしてそんなことを?」


「――っていうか、大体曲の納期は早いんだよ。昨日作られた音源を次の日レコーディングとかね」

 僕は溜め息をついた。ストレスが最高潮に来ていた。


「少しぐらいはこちらの都合を聞いてもらえるかと思ってましたよ」

 その僕の言葉を聞いて堺は睨みつけてきた。


「あんまり業界を舐めないものだよ。病弱だから仕事を減らせるのは人気タレントや有名歌手だけだ。業界は椅子取りゲームだからね。注目を浴びるポジションにみな、座りたいって思っている。それが芸能界だ。地下アイドルのまんまの意識だったら、日本武道館なんて無理だ」

 僕は反論する言葉を失った。その言葉が耳が痛くなるほどの正論だったから。


「すみません」

 堺は微笑を湛えて僕の肩を励ますように叩いてきた。


「大丈夫だよ。そんなに怒ってないから。今日僕とワンナイトしてくれるならね」


「やっぱりバイなんすね!」

 すると一気に大笑いした堺。どこにツボにはまる部分があったのだろうか、一分以上けたけたと笑っていた。


「本当は研子とぐこに綾瀬ちゃんの姿を絵に描いてもらいたかったんだけどね。今日いないんじゃあ仕方ないね」

「あっ、写真ならありますよ」

「えっ、本当かい?」

「ええ。本当です。これ」

 そう言ってスマホを操作し、昨日撮った綾瀬の寝顔を見せた。


「ふーん。大島君の寝顔の写真はないの?」

「あっ、あるわけないでしょ!」

 またけらけらと笑った。


「冗談だよ。その写真を研子に見せてくれるかい」


「分かりました」

 僕は研子の前にスマホを置いた。


「……すごい美人」

 そう言いながら目を丸くしている研子。僕は自分の恋人が褒められたことが嬉しくなって研子の髪の毛をぐしゃぐしゃにかき乱した。


「なにやってんの」


「いや、見る目あんじゃんって思ってさ」

 すると頭を押さえて研子は顔を真っ赤にさせた。


「褒められるの、久しぶり。……嬉しい」

 そんな態度を見せる研子。


「君は罪な男だねえ。小学生は犯罪だよ」

「別にフラグなんか立ててないですって。こんな餓鬼に」


「案外、相性良いかもね」

 研子はお絵描き帳を開き、三次元の写真を二次元に落とし込む。

 その才能にまた僕は慄いた。

 ただの線が、魂が宿ったように視覚に触れてくる。線が立体に。そしてこの子はたったの三十分弱で”綾瀬光”という人物を二次元の世界では永遠のものにさせた。


「すごい……」

 その絵は少女が赤い帽子を被り、白いニットにミニスカートという現実の彼女なら、絶対に着ないであろうものを、描いていた。


「どうしてその絵なんだ?」

 早熟な研子に訊ねる。写実的な絵はどこか現実味があった。

 どうやっても七歳の少女が描くような絵ではない。


「なんか、あの写真の影に、死神と天使が共存しているようだったから」

「は?」


 返ってきた言葉は、抽象的だった。

 死神と天使が共存しているだって。


「人間って、普通だと天使しかいないんだけど。この人、もうすぐ死ぬのかな、死神にも愛されている」


 言葉を失った。堺に、「話したんですか?」と問うも彼は首を振るだけだった。

 じゃあどうして分かるんだ。目の前の研子が一気に悍ましくなる。


「彼女はスピリチュアルにも関心を持っていてね。でも多分、偶然だよ」

 堺はそう言ったが、それを僕は簡単には信じられなかった。


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