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第11話

 その日、綾瀬は一般病棟に移った。

 面会に来てみると彼女は母親と言い争いをしていた。


「お母さんは黙っててよ!!」

 僕は黙っているのもまずいので声をかけた。


「あのーどうしたんですか?」


 顔を真っ赤にさせて激昂している綾瀬。それに困惑の色を隠せないでいる母親。どうして娘がこんなに興奮しているのか分かっていない様子だった。


「・・・・・・錆斗君からも言ってよ。私は実家には帰らないって」


 ――ああ、そういうことか。

 余命わずかの娘と一緒に暮らしたい母親と、それが嫌な娘。

 でも、こればかりは親子同士で解決するべき問題だ。他人の僕が関わっても・・・・・・。なぜなら彼女は未成年なのだ。まだ親のところにいるべき年齢。


「なあ、あ、いや、ひかり。少しはお母さんの言葉も聞いたらどうだ?」

 そう諭すように言った。だがそれを訊くと彼女はより憤慨を露わにした。

「錆斗君は私と一緒にいたくないの?」


「そういうことじゃないって。分からないのか? 余命幾ばくのいかない娘と、少しでも一緒にいたい気持ち。察してやれよ」

 そう口調強めに言ってしまい、僕は我に返り綾瀬と母親に謝る。僕は何様のつもりだ。


「じゃあもう帰って」

「ちょっと、光。そんな言い方はないでしょう」


 綾瀬は布団を被ってそれから呻き声を漏らした。どうせ私の味方なんていないんだから、と。

 僕は母親と目が合った。軽く会釈した母親に、返す言葉は持ち合わせていなかった。

 ああ、僕はまだ餓鬼だな。そう痛いほど実感した。


***



 病院の待合室。隣には綾瀬の母親がいる。

「すみません。さっきは偉そうなこと言ってしまって」


 母親は疲労感の漂ったしわくちゃの顔で笑ってくれた。


「大丈夫よ。まさか君がそう言ってくれるなんて思ってなかったから」

「そうですか」


 僕は床の一点を見つめる。そうして”罪悪感”から逃れるように。綾瀬を呼吸不全に陥らせた元凶でもある自分を責め立てるそれから身を守るように。ただそうするしかなかった。

 それを見透かしたのか、母親は、


「大丈夫。あなたは悪くないわ」


 と言ってくれた。それに一言。「すみません」


「謝らなくてもいい。あなたはよくやってくれている。あの娘の我が儘を忠実に守ろうとしているからね」


 その言葉には少しの皮肉も混じっているように感じた。娘はどうしてあんなに我が儘なのか。そこまでして武道館にこだわる理由はなんなのか。理解が出来ないという様子だった。その理解が出来ない部分に、どうしてお前が協力しているのか、それすらも、理解不能だと。


「ねえ、武道館ってそんなにいいものなの?」


 僕は溜め息をわずかについて、それから一息に言った。


「僕も、正直よく分かりません。彼女がそこまで拘る理由が。でも、あの舞台に死ぬまでに一度は立ってみたいと思って努力しているアーティストやアイドルはたくさんいます。彼女もその中のひとりなんじゃないのでしょうか」


 母親は悲痛な気持ちを隠しきれていないような表情で首を横に振った。


「私には分からない。命よりも大切なわけがないでしょう」


 そりゃあそうだ。その点においても僕もそう思う。しかし、人生、なにかを犠牲にしてでも達成したい目標や夢はあるものだ。


「僕たちは若いですから。夢ぐらい持ちますよ。大切なものをたとえ犠牲にしても」


 僕がそう言うと目を丸くした。


「面白い価値観ね。・・・・・・あなたが光の彼氏で良かったのかしら?」


 母親は立ち上がってにこりと微笑んだ。


「頑張ってね。あの子を幸せにしてあげて」


 それに、その言葉に、僕は面と向かって応えられなかった。

 肩を叩かれた。そして去っていく。

 僕は俯いて、もう一度溜め息をついた。


―――――――――――――――――――――――――


 夜の八時。


 僕は家のキッチンでお好み焼きを作っていた。

 なぜ、独り身なのにそんな凝った物を調理しているかというと、研子が遊びに来ているからである。何が食べたいかと研子に聞くと、元気一杯に「お好み焼き!!」と答えたので、僕は面倒に感じながらもスマホで調べながらせっせと作っているのだ。


 研子はタブレットで絵を描いている。

 フライパンで片面を焼いている際に、ちょうど片手間があいたので、僕はタブレットを覗いた。

 そこにはファンタジーのような幻想郷でエルフとドワーフがハグをしている。


「どうしてそんな絵を描いているんだ?」

「なんとなく」


 そっかーなんとなくか。まあ子供の描く落書きに意味なんかあるわけないか。

 少し焦げた匂いがしてきたので僕は慌てて生地をひっくり返す。それからその上からソースとマヨネーズをかける。一気に甘ったるくて香ばしい匂いに変貌する。

 キュルルルル。

 研子の腹の虫が鳴る。そしたらこちらに近づいてきた。「まだ出来ないの?」

 僕は笑って、研子の髪をぐしゃぐしゃにした。


「まだだよ」


 それから五分後。生地を皿の上に乗せてお好み焼きの完成だ。その生地を半分にして、今日のために購入した子供用の皿に乗っける。

 テーブルに二人分の皿を置いて、あぐらをかく。可愛いかな、研子もあぐらをかいてフォークでお好み焼きを食べる。そのときに鼻筋にソースがついた。僕は笑って、ティッシュで拭いてやる。

 これが子供がいる幸せというのかな。


 出来ればでいい。どうか神様、僕と綾瀬の子供を作らせてください。



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