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第12話

 翌日、僕は綾瀬の病室に研子を連れていった。

 研子は綾瀬を見るなり、「美人だあ」と興奮気味だった。

 綾瀬が困惑した顔で、


「この子は?」

 と僕に訊ねてきた。


「安藤研子。堺さんの親戚の子だよ」


 綾瀬はおいで、と両手を広げ研子を抱き締めた。


「可愛いね〜。どう、私たちの子供になる?」

「なに言ってるんだよ。研子もそんなつもりはないだろ。この子はこの子で、堺さんのところで幸せなんだから」

「そうだねえ」


 だがそう言いながらも、綾瀬は研子を抱き締める手をほどかない。

 母性でも働いているのだろうか。綾瀬は表情が軟化しているし、どこか母親じみている。


「温かい・・・・・・」


 綾瀬はそう言って、それから呟いた。


「ねえ、私たちも子供、早く作ろうね」

「えっと、ああ、そうだな」


 少々照れながらそう返答する。脳裏に綾瀬の裸身がよぎったからだ。


「ああ〜今エッチなこと妄想したでしょう」

「君が子供を作るとか、唐突に言い出すからだろ!!」


 恥ずかしいね〜、と研子に同意を求める綾瀬。しかし研子はなんのことか分かっていないようだ。そりゃあそっか。


「研子はすごいんだぜ。ギフテッドで、七歳なのにもうプロの絵師として活躍している」

 話題を変えるようにそう言ったら、綾瀬は目を丸くして驚いているようだった。

「そりゃあすごい。私にも絵を見せてくれる?」


 彼女が言うと、普段は大人しい研子が目を輝かせてリュックからタブレットを取り出した。見て見て〜といわずもがな、ぴょこぴょこと跳ねている。そして、タブレットの画面に表示されたドワーフとエルフが抱き合っている絵を見た綾瀬。目を細め、にんまりと笑った。


「この絵、本当にすごいね。どうしてこれを描こうと思ったの?」

「分からない。この人の家でお絵描きしてたらこうなったの」


 この人、と僕を指差した研子。あの自宅で絵を描いていたらインスピレーションが湧いたということだろうか。

 しかし、あの環境で資料もなくオリジナルでファンタジー世界の描写が出来るとはやはりすごい。


「あと、”あれ”が完成したぞ」

「あれってなに?」


 僕はバッグからノートPCを取り出し、メールボックスを開いた。

 堺から送られた圧縮ファイルを開き、音楽を鳴らす。

 イントロの静謐としたコード進行から始まり、そして綾瀬の歌声が柔和に聞こえだした。感涙的な曲だ。心地よいリズムが刻まれ思わずその曲の世界観にどっぷりと浸ってしまいそうになる感じだ。


「・・・・・・」


 僕たちは思わず無言になってしまった。なんて素晴らしい曲なのだろうと、放心する。

 それからしばらくして最初に口を開いたのは、研子だった。


「お姉ちゃんすごい」


 顔を紅潮させて綾瀬に抱きついていった。

「そうでしょう。お姉ちゃんはすごいのです!」


 えっへんと腕を組んで鼻から息を吐いた。


「僕にはこの人呼ばわりで、綾瀬にはお姉ちゃんか」

「そうひがまない。まだ幼いんだから」

「ひがんでいるのは元からだから仕方ない」

「返答に困ること言わないで」


 彼女は溜め息をついた。それからうつむいて、


「錆斗君、この曲どう思う?」


 どうって言われてもなあ。僕の貧相な語彙力じゃあどう表現しようが稚拙なものになってしまう。なら、答えないほうがいいだろう。だから僕はただ苦笑した。


 その意図に気づけない綾瀬ではない。よって綾瀬も微笑んだ。

 もう、僕たちの関係は親友ではないし彼氏彼女でもない。恋人の垣根を超えた関係。言葉では定義できない、超越した間柄なのだ。

 そんな僕たちを見た研子は、なにかを感じ取ったのか、綾瀬から離れ「もう帰る」と言って病室を抜け出した。


「あいつ、どこ行くんだよ。ごめん、僕ももう・・・・・・」

「うん。分かった。でもその前にちょっとこっちに来て・・・・・・」

「ん? なんだ」

「髪がぼさぼさでさ〜」


 僕は彼女の髪に触れた。するとその手を掴まれ僕の唇を奪った。

 彼女はそのあと、顔を真っ赤にさせて俯いた。


「その・・・・・・恋しかったから///」

「う、うん」


 気まずい空気が流れる。僕はもうその空気に耐えきれなくなって、病室を後にした。

 息を長く吐いて、それから僕は啜り泣いた。なぜだか分からない。涙腺が最近緩みっぱなしなんだ。


―――――――――――――――――――――――――――


 数時間前。僕は綾瀬の主治医に呼ばれて現在の病状を伝えられた。


「綾瀬さんは妊娠八週目です。しかし、現状のALSの進行ペースとお腹の赤ちゃんの成長ペースを鑑みると、赤ちゃんは諦めるしかなさそうですね」

「えっ、それはどうしてですか?」

 医者は煩わしそうに禿げ頭を掻いて、


「妊娠三十六週目以降には、綾瀬さんの全身の筋肉、子宮も固まってしまう可能性がある。もし赤ちゃんを優先するんだったら開胸という方法もありますが、その場合母体は諦める、という認識でいてください」


 小難しい医師の専門用語を多用され、残酷な現実を突きつけられた。


「綾瀬には、伝えるんですか」

「はい? それは当然です」

 僕は苦笑した。

「で、ですよね。分かりました。彼女ともよく話し合ってみます」


 診察室を後にして、待合室で待っていた研子を呼ぶ。

「行こうか、彼女のところへ」



―――――――――――――――――――――――――――



 しかし、彼女に妊娠のことを告げることは出来なかった――。



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