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第14話

 白い光が僕を見下ろしてくる。それは淡い光で、LEDの街灯だ。

 母が僕の手を握り、こちらに微笑みかけてくる。

 その表情を見て、ああ、これは夢なんだなと皮肉にも僕は実感する。母が僕に柔和な表情を見せてくるなんて有り得ないことだからだ。親に愛されたことのない少年。それが僕だ。


「ごめんね」


 目の前に突如、河川が現れた。そこに母は僕と一緒にずぼずぼと入っていく。僕は必死に抵抗しようとするが、非力及ばず川に流される。水が口の中に溢れ、飲んでしまい苦しさが全身を這い回る。

 もう一度こちらを見た母の顔が、なぜか綾瀬の顔だった。

 その時点で、僕は夢の中で死んだ。


「うわああああ」

 息が乱れ、ベッドから起き上がる。いつの間にか涙を流していた。

 キッチンで水を飲むと、嗚咽を漏らしてしまった。

「くそ、くそおお」


 ずるずると腰を落とす。そして笑い声をあげてしまう。こんな自滅的な夢を見てしまうほど、精神的に追い詰められていたのか。

 あのとき綾瀬は言った。アイドルとしての人生を全うしたいと。だからこそ歌い続けるんだ、と。

 綾瀬を失いたくない思いが、夢を見せた。

 するとインターホンが鳴った。

 僕はこんな夜中の突然の来訪者に驚いた。

 玄関へと向かい、ドアチェーンをかけて扉を開ける。

 目の前に立っていたのは研子だった。


「どうした? 研子」

「・・・・・・・おじさんとおじさんが喧嘩して・・・・・・」

「それで、この家まで来たのか?」


 すると研子がふらりと倒れる。僕は彼女を抱き抱えて家のベッドで横にならせる。

 どうして研子は家出をしてきたのだろう。


 こんな時間に堺に電話をするのは失礼かもしれないが、七歳の子供が保護者のもとから離れているんだ。一刻も早く電話をして、それからもしDV案件だったら警察にも通報しなくてはいけない。


「もしもし、すみません」

「・・・・・・・なんだい」

「実は研子が僕の家に来ていて」

「えっ、嘘だろ」

「本当です」

「どうしようか・・・・・・・今から迎えに行くにもなあ・・・・・・」

 妙に歯切れの悪い発言に少し苛立った。


「堺さんの家はどこなんですか? 送りますよ」

「いや、しばらく預かってもらえないか。彼が研子に暴力を振るっていたんだ」

「え・・・・・・・どういうことなんですか?」

「すまない。彼というのは僕の恋人のことでね。研子が彼に懐かないことに憤って次第に暴力を」


 僕は堺の声が震えているように感じた。怒りを必死に理性で堪えているような。そんな印象を抱いた。


「本当に申し訳ないと思っている。療育費は支払うから」

「分かりました。とりあえず明日また電話します」


 電話を切ると、それからベッドへと向かう。

 そしたら研子が起きていた。涙で目が真っ赤になっていた。

 僕は一応、研子の服を脱がしてそこにやはりあった無数の青痣をスマホで写真に撮った。

 頭を撫でてやり、

「研子、今までよく頑張ったな。もう頑張らなくていいんだ」

「ひっぐ・・・・・・・うん」


 親と死に別れて、親戚の家に否応でも預けられて、そこで赤の他人から嫌われて暴力を振るわれていた。それをずっと耐えていた。今日、この日まで。


 こんな幼女に、それが出来るほどの力がどれほどあっただろうか。

 もしかしたらこの子が得意とする絵を描くというのは、自分を守る盾となっていたのかもしれない。逃げ場所にもなっていたのかもしれない。


 僕にもそれが痛いほど分かる。父親との確執で、毎日のように殴られていた。そんなときの逃げ場所が、自分より幸せな人間を僻むことだった。


 あいつはどうしておもちゃが買ってもらえるんだ。あの子はどうして参観日に親に来てもらえるんだ。どうして、あんなに笑顔なんだ。


 そしたら、いつの間にか僕の周りから人が離れていった。いじめられたこともある。それでも自分は他人に興味が無いという暗示を掛けて、その現実から僕は目を逸らしていた。


 そして数年後、僕は彼女と出会った。

 ――あなたの名前、大島錆斗って言うんでしょ。でも”錆びているのは今だけ”だよ。

 ――あなたは人並みに他人に興味があるんだよ。

 真意を突きつけてくる言葉をそっと撫でるように僕に言った彼女、綾瀬光。彼女との出会いから僕は変われた。


 なら、今度は僕の番じゃないのか。研子を救うのは。

 所詮は手前勝手かもしれない。自己満足な行動かもしれない。それでも、僕はやるんだ。


―――――――――――――――――――――――――――


 明朝、六時。

「ごめんね。それで療育費の話だけど・・・・・・」

「あの、堺さん。研子は僕と綾瀬が育てます」

「は? なに言ってるの?」

 眠っている研子の頭を撫でながら、僕は一息に言った。


「研子のために環境を変えてやりたいんです。この子は今まで辛い境遇にいた。このまま成長すればきっと――」

 僕のようになる。


「分かった。でも子供を育てるのは簡単なことじゃないよ。しんどいことだってある。それでもいいの? 覚悟はある?」

「覚悟はあるのかって言われると、不安です。でもそれを綾瀬と、そして研子と一緒に乗り越えたいんです」


 電話口から溜め息が聞こえた。


「意思は固いみたいだね。分かった。でも療育費は振り込ませてもらうから」

「ありがとうございます」


 電話を切った。息をついて、カレンダーを見やった。


 明後日に大きな丸印がある。

 なぜなら綾瀬の退院日だからだ。



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