その日、僕は喫茶店にいた。
注文したグリーンティを口に含みながら、音楽を聴いていた。
どこか憂鬱だ。
その気分の原因は、やはりこれから会う相川嶺衣奈のせいだろう。
――やっぱり私と付き合えばよかったのに。
僕を手に入れるために、綾瀬を嵌めて社会的に抹消した人物。あいつのせいで綾瀬は自分の好きだったアイドルという世界から引退をせざるを得なくなった。
一度そのことについて僕は綾瀬と話し合ったことがある。相川を恨んでないかと。しかし彼女は首を振って優しく微笑んだ。
――相川ちゃんも優しい子だから。きっとやり方が分からなかっただけだよ。それほど、好きな人に好きって伝えるのは難しいんだよ。
僕は、その眩しい答えに己が恥ずかしくなった。自分はどれほどあいつを憎み、もし綾瀬になにかあればこの世の全てを放り捨ててでも、あいつを刺し違えてやるつもりだったからだ。
腕時計で時間を確認する。午後四時三十分。
そして、約束の時間ぴったりにあいつは現れた。
「久しぶり」
黒髪ロングだった髪は、ポニーテールに結ばれ、シャツと青いスカートを身に付けている。左耳には十字架のピアスがぶら下がっている。
「ああ。とりあえず座れよ」
「うん」
彼女は座って、持っていたトートバックを膝に置いた。
「で、早速本題だが、・・・・・・もう俺たちの邪魔はしないでもらえるか?」
「それは無理」
僕は苦笑した。ここまできっぱりと拒否されると苛立ちよりも困惑が勝ってしまう。
「それはまたどうして?」
「――綾瀬を殺したいから」
・・・・・・いま、こいつなんて言った?
「は?」
僕はいっそう困惑して聞き返す。すると理解が出来ない子供を叱るように眉根を寄せて大きな声を出した。
「だから、あいつを殺したいんだって! 私と違ってなんでも持ってるあいつを。眩しいくらいに輝いている綾瀬を! いつか殺したいんだよ!」
僕はもはや圧倒されてしまった。
「どうして?」
「あんたよ。恋人になるはずだったあんたを私から取り上げた。醜い笑みを溢しながらね」
「それと・・・・・・『青い薔薇』がどう繋がるんだ?」
こいつは俯いて、森羅万象の全てを憎しむような嘆息混じりの呪詛を呟いた。
「徹底的に邪魔して、そして最終的には自分の手を汚さずに掲示板のやつの手によって綾瀬を殺害するつもりだった」
「お前、いったい何様のつもりだよ」
「何様だってえ? 私は被害者よ。綾瀬によって全てを失った、可哀想な被害者」
僕は息をついた。こいつが狂っていることは確かだ。
自分が加害者なのか、被害者なのかの線引きすらまともに出来ていないのは、重症だろう。
もうこれ以上話をしていても無駄だ。そう思い立って僕は席から離れた。
相川は追いかけて来なかった。
すると、スマホのバイブレーションが鳴った。スマホを取りだすと自宅からの電話だった。
ベッドから身動きがとれない綾瀬が掛けてきているわけではない。研子に、家でなにかあったら固定電話の短縮ボタンを押せと言いつけてある。
「もしもし」
「・・・・・・」
「研子、なにかあったのか」
「――が、家に入ってきてお姉ちゃんを・・・・・・・・」
研子の声は恐怖とどこか痛みで張り詰めていた。
――掲示板のやつの手によって綾瀬を殺す。
そう言っていた相川の言葉が脳裏を駆けた。
僕は走り出した。アスファルトを駆ける度、気管支喘息の症状によって肺が苦しくなった。
それでも走った。
雨がぽつりぽつりと降りだしてきた。
長雨は、こんなときに限って降るのだ。
交差点を曲がろうとしたとき、
キイイイイイッ、とブレーキ音が鼓膜に残響する。
その音の方向に目を向けると、トラックがこちらに向かっていた。
それから、僕は激しく地面に打ち付けられ、記憶がなくなった。