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第21話

「研子と綾瀬は今、どうなんだ?」

「綾瀬はなんとか無事だった。けれど、研子という小学生は、その、一命を取り留めたが昏睡状態なんだ」

「そんな・・・・・・」

 安室は窓の外の景色を眺めて、

「馬場文哉は一応、警察に捕まった」

「一応、ってなんだよ」

「・・・・・・その、すまない」

 今日は話しすぎたな、そう言って安室は丸椅子から立ち上がり、去っていった。

 僕は啜り泣いた。恋人が、大切な人が辛い状況にいるなか傍にいれない悲しさを感じていた。


――――――――――――――――――――――――――――



 僕は一般病棟に移った。

 個室で、僕は母親が淹れてくれたホットココアを飲みながら、ぼんやりとしていると扉がノックされた。


「失礼します」

 菓子折りを持ってきたSWORDの社長――峰木藤子が暗い表情を湛えて部屋に入ってくる。


「この度は、本当に申し訳ありませんでした」

 峰木は深々と頭を下げた。それに顔をしかめた母。


「あんたが頭を下げてなにか解決するの?」

「私は馬場文哉と大学時代に恋人同士でした。彼を愛することが出来れば、こんなことにはならなかったと思います」

「愛されてこなかったからって人を傷つけていいわけないでしょう。いい大人が」

「確かに、その通りかもしれません」


 峰木は俯いた。それから、


「お母様、少し席を外してもらってもいいでしょうか。マネージャーである錆斗さんと業務について話がしたいので」


 母は溜め息をついて、


「分かりました」

 と述べた。バッグを持って病室から出ていく。


 その途端、峰木は僕に向かって土下座をした。

「本当に申し訳ありませんでした」

「ちょっと・・・・・・、なにしてるんですか。馬場に謝れど峰木さんに謝られる筋合いはないですよ」

「あの人を変えてしまったのは、私だから」

「どういうことなんですか?」

 おどおどと立ち上がり、軽く頭を下げた。

「実はね――」

 峰木の口から語られた事実は、悲しい脳の障害について、抱えきれない若者の話だった。


――――――――――――――――――――――――――――


「EDですか?」

 馬場と峰木は初セックスの際に、勃起すらしないことに疑問を抱き、病院へ受診することにした。

 馬場は診察室に一人で入る。それから詳しい症状を説明した。

 それに医師は眉根をよせて呻いた。


「彼女、というか女性の裸身を見ても興奮しないんです。俺はおかしいんでしょうか」

「・・・・・・もしかしたら性同一性障害かもしれません。俗に言うLGBTQです」

「え?」


 つまりはどういうことなのだろう。

「まさか、ゲイということですか」

 医師は首肯する。そしてずっとパソコンの画面を凝視したまま、心療内科への診断書を書きますと言った。

 心療内科。心の病。

 馬場は診察室を出た後、会計をして外に出た。

 ミンミン蝉が鳴いている。ああ、能天気だな。この世界に隣に潜む常識というやらは。


 峰木に自分がLGBTQであったことを告白すると、彼女は目を丸くした。

 だがすぐに笑みを見せた。


「私のことが好きなんでしょ。だったら大丈夫だよ」

 馬場は曖昧に微笑んだ。彼女が言う、なにが大丈夫かは分からない。そして、彼女のことを本気で好きなのかも分からない。そんなアンビバレントな事実だけが、自分の首を絞めてくるんだ。



 その日から彼女は体を求めてきても、互いの体を愛撫するだけで挿入には至らなかった。それでも彼女は満足してくれていると思っていた。


 しかし、違っていたようだ。別れのメールが届き、メールアドレスを変えられた。

 文字通り、自分のなかで世界の中心だった彼女が拒絶してくることは、世界に裏切られることと同等の意味を持ち、衝撃が走った。


――――――――――――――――――――――――――――


「そういうことなの。私が彼を拒絶してしまったから。彼はすがれるものを一つひとつ失って、しまいには犯行を行ってしまった」

 僕は唖然とするしかなかった。


「世の中のヴィランには、ヴィランだけの正義がある。悪と正義は紙一重。どちらも主観でしかないから、悪人は正義だと思っている。それがどんなむごいことでも」

「どうして、峰木さんは馬場を拒絶したんですか」


 峰木は下唇を噛んで自身が行った醜態を恥らんでいるようだった。


「彼が、本当に私のことが好きなのか分からなくなったの。愛撫されるたびにどんどん体が感じなくなってくる。それって・・・・・・」

「峰木さんが馬場のことを必要としなくなった、っていうわけですか」

「・・・・・・そうね」


 どんな綺麗事を言っても、障がい者と健常者の関係性はシーソーゲームだ。ときには意見が割れてぶつかってしまうこともあるし、離れていってしまうこともある。それを、僕は綾瀬と出会って実感した。


「分かりました。僕、腹決めました」

「なにを?」

「僕、下半身麻痺ってるんですけど、もう一度綾瀬と歩くためにリハビリ、頑張りますわ。手遅れになる前に」

 そんな嫌みに、峰木は笑って頑張ってと答えた。


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