「研子と綾瀬は今、どうなんだ?」
「綾瀬はなんとか無事だった。けれど、研子という小学生は、その、一命を取り留めたが昏睡状態なんだ」
「そんな・・・・・・」
安室は窓の外の景色を眺めて、
「馬場文哉は一応、警察に捕まった」
「一応、ってなんだよ」
「・・・・・・その、すまない」
今日は話しすぎたな、そう言って安室は丸椅子から立ち上がり、去っていった。
僕は啜り泣いた。恋人が、大切な人が辛い状況にいるなか傍にいれない悲しさを感じていた。
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僕は一般病棟に移った。
個室で、僕は母親が淹れてくれたホットココアを飲みながら、ぼんやりとしていると扉がノックされた。
「失礼します」
菓子折りを持ってきたSWORDの社長――峰木藤子が暗い表情を湛えて部屋に入ってくる。
「この度は、本当に申し訳ありませんでした」
峰木は深々と頭を下げた。それに顔をしかめた母。
「あんたが頭を下げてなにか解決するの?」
「私は馬場文哉と大学時代に恋人同士でした。彼を愛することが出来れば、こんなことにはならなかったと思います」
「愛されてこなかったからって人を傷つけていいわけないでしょう。いい大人が」
「確かに、その通りかもしれません」
峰木は俯いた。それから、
「お母様、少し席を外してもらってもいいでしょうか。マネージャーである錆斗さんと業務について話がしたいので」
母は溜め息をついて、
「分かりました」
と述べた。バッグを持って病室から出ていく。
その途端、峰木は僕に向かって土下座をした。
「本当に申し訳ありませんでした」
「ちょっと・・・・・・、なにしてるんですか。馬場に謝れど峰木さんに謝られる筋合いはないですよ」
「あの人を変えてしまったのは、私だから」
「どういうことなんですか?」
おどおどと立ち上がり、軽く頭を下げた。
「実はね――」
峰木の口から語られた事実は、悲しい脳の障害について、抱えきれない若者の話だった。
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「EDですか?」
馬場と峰木は初セックスの際に、勃起すらしないことに疑問を抱き、病院へ受診することにした。
馬場は診察室に一人で入る。それから詳しい症状を説明した。
それに医師は眉根をよせて呻いた。
「彼女、というか女性の裸身を見ても興奮しないんです。俺はおかしいんでしょうか」
「・・・・・・もしかしたら性同一性障害かもしれません。俗に言うLGBTQです」
「え?」
つまりはどういうことなのだろう。
「まさか、ゲイということですか」
医師は首肯する。そしてずっとパソコンの画面を凝視したまま、心療内科への診断書を書きますと言った。
心療内科。心の病。
馬場は診察室を出た後、会計をして外に出た。
ミンミン蝉が鳴いている。ああ、能天気だな。この世界に隣に潜む常識というやらは。
峰木に自分がLGBTQであったことを告白すると、彼女は目を丸くした。
だがすぐに笑みを見せた。
「私のことが好きなんでしょ。だったら大丈夫だよ」
馬場は曖昧に微笑んだ。彼女が言う、なにが大丈夫かは分からない。そして、彼女のことを本気で好きなのかも分からない。そんなアンビバレントな事実だけが、自分の首を絞めてくるんだ。
その日から彼女は体を求めてきても、互いの体を愛撫するだけで挿入には至らなかった。それでも彼女は満足してくれていると思っていた。
しかし、違っていたようだ。別れのメールが届き、メールアドレスを変えられた。
文字通り、自分のなかで世界の中心だった彼女が拒絶してくることは、世界に裏切られることと同等の意味を持ち、衝撃が走った。
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「そういうことなの。私が彼を拒絶してしまったから。彼はすがれるものを一つひとつ失って、しまいには犯行を行ってしまった」
僕は唖然とするしかなかった。
「世の中のヴィランには、ヴィランだけの正義がある。悪と正義は紙一重。どちらも主観でしかないから、悪人は正義だと思っている。それがどんな
「どうして、峰木さんは馬場を拒絶したんですか」
峰木は下唇を噛んで自身が行った醜態を恥らんでいるようだった。
「彼が、本当に私のことが好きなのか分からなくなったの。愛撫されるたびにどんどん体が感じなくなってくる。それって・・・・・・」
「峰木さんが馬場のことを必要としなくなった、っていうわけですか」
「・・・・・・そうね」
どんな綺麗事を言っても、障がい者と健常者の関係性はシーソーゲームだ。ときには意見が割れてぶつかってしまうこともあるし、離れていってしまうこともある。それを、僕は綾瀬と出会って実感した。
「分かりました。僕、腹決めました」
「なにを?」
「僕、下半身麻痺ってるんですけど、もう一度綾瀬と歩くためにリハビリ、頑張りますわ。手遅れになる前に」
そんな嫌みに、峰木は笑って頑張ってと答えた。