僕は手すりに掴まってゆっくりと歩く。
もう一週間以上リハビリをしている。
足に体重を乗せても、感覚が無いので不安になる。足元おぼつかないし、沼に足を取られているようだ。
だが、その沼地を掃除してくれる者がいた。
他でもない、安藤研子だ。
「頑張って」
その元気な言葉は君は大丈夫だと諭されるみたいだよ。
しかし、分かっていることだ。麻痺ということは、ある神経が正常に働いていないということで。神経麻痺はどうやったって治らないのだ。
歯を食い縛っても。悪魔と契約出来たとしても。神に祈っても。変わらない事実。
それでもやるしかなかった。
母の泣き顔を見たくなかったから。
綾瀬ともう一度歩きたいから。
こけても、こけても起き上がり、もう一度歩きだす。
すると、目の前に研子が立った。
「お兄ちゃん。手すりにつかまらず、歩いてごらん」
――意味が分からないかった。でも自然と体は動いた。
ふらふらと歩きだす。床の感触は分からない。それでも次の一歩は分かった。
ぎこちない歩調。笑みを湛えている研子。それらは不可思議だった。なぜ歩けているのか。なぜ研子は目の前にいるのか。
そして研子の許へと着いた。
するとこの子は僕の体をぎゅっと抱き締めて、
「ゴールだね。お兄ちゃん」
すると研子の体が光に包まれていく。
「お兄ちゃん、あのときのお好み焼き、美味しかったよ」
まるでもう会えないみたく、そんな言葉を言う研子。僕は戸惑いながらも、
「お好み焼きぐらい、いくらでも作ってやる」
そう言うのが精一杯だった。
そして研子の体は消えた。
―――――――――――――――――――――――――――
午後、安室から電話が掛かってきた。
「安藤研子という少女が、昼頃脳死したことが報道された」
「えっ」
その言葉が呑み込めなかった。
「俺の親戚が捜査一課長なんだが、今回の事件について聞いてみると、警察に通報したのもこの少女らしいんだが、それがちょっとおかしいと」
「・・・・・・」
「いいか、続けるぞ。心臓をナイフで一刺しされているのに、その状態から固定電話があるところまで動いて、『助けて』って通報できるのがまず不可能に近いんだって」
意味が分からなかった。
「その少女の通報が無かったら、綾瀬は死んでいただろうってさ」
僕は、そうか、と呟いた。
「すまない。もう電話を切ってもいいか」
「ああ。悪いな。こんな話して」
「いいんだ。お前は悪くない」
通話を切って、溢れでる涙を堪えようとしたが、出来なかった。
最初は、ただの厄介者だと思っていた。
でも研子は、才能があって本当だったら親からも周囲からも愛された人物だったはずだ。
だって、こうして僕は少女に助けられたんだから。