「歩けるようになったんですか」
理学療法士も、医師の大隈も驚いていた。
「まだ足の感覚とかは分かりません。まるで宙に向かって歩んでいるような感じが続いているような。それでも次の一歩は分かります」
「医学史における革命が起きたな」
そんなオーバーな。僕は苦笑した。
「ですよね。神経麻痺はそう簡単に治らない。何年もリハビリして、杖を用いて歩けるようになるのがやっとなのに。こんな全回復なんて信じられない」
「なにかが君の足に宿っているんじゃないのかな。じゃないとそんなキセキ、起きないよ」
「そうですかね」
そう言われて僕は研子のことを思い出す。少女が昏睡状態だったときになぜか僕に逢いにきて、励ましてくれた。
そして最期に光となって消えて、研子は脳死になった。
まるであたかも鶴の恩返しじゃないか。
今でも気持ちは吹っ切れていない。自分が育てると覚悟を決めた少女が、自己犠牲をしてまでも僕と綾瀬を助けてくれたのだ。
こんな話、他人にしても馬鹿げていると言われてまともに取り合ってもらえないだろう。
だからこそ、自分の胸のうちにしまっておこう。そう決めたのだ。
大隈と理学療法士と別れて病室に戻ると、相川嶺衣奈がいた。ポッキーを口に咥えて、こちらを見据えてくる。
「あんた、歩けるようになったのね」
「・・・・・・お前、何しに来た」
「ちょっと・・・・・・、昔話をね。しに来たのよ」
僕は顔をしかめてしまった。
「なんだよそれ」
「私のこと、あんたが嫌いなのも知ってる。でも私はあんたのこと、まだ忘れられない。だから今日、忘れに来た」
そのために記憶を辿りませんか。丁寧な口調でそう言ってのけた。
僕は溜め息をついて、ベッドに座った。
「私があんたを好きになったのは、二年生の始業式――」
――――――――――――――――――――――――
相川は児童養護施設で暮らしていた。
養護施設では、独特のコミュニティがあり、厳しい上下関係もあった。粘着質ないじめもあった。
だから施設でも、学校でも居場所がなかった。
そんなとき、高校二年生のときに綾瀬光と友達になった。
「相川ちゃん、可愛いね」
ブスだのキモいだの侮辱されてきた相川の顔を褒めてくれた、たった一人の人物が綾瀬だった。
「おしゃれに気を使ったらいいのに」
ボサボサの髪に、丸渕眼鏡。まるでイモのような相川の容姿を見て、綾瀬はそう言った。おしゃれになったらもっと可愛くなるよ、と。
ショッピングセンターに連れて行かれ、美容院で髪を整えてもらい、ワンピースと赤ジャケットを買ってもらった。
綾瀬の家でメイクの練習もした。
「好きな人っているの?」
「えっ、なんでそんなこと聞くの?」
「ちょっと気になってねえ」
含み笑いをして見せている綾瀬。真面目に答えたら馬鹿にされるやつだ。
でも、自分の気持ちを偽れなかった。
「大島錆斗君」
そう言うと綾瀬は目を丸くした。
「あの変人のどこがいいの?」
「えっとね、どこか儚げで全てに諦めていそうで、でも一途そうなところ」
「私には分からないな〜」
そう言ってけらけらと笑った。
「あっ、だったら相川ちゃんとその大島って人を近づけてあげるよ」
そう言った、はずだったのに。
それから一ヶ月が過ぎた頃。
四階の屋上前の踊り場。
そこで綾瀬は相川に頭を下げた。
「ごめんなさい。私は、あの錆斗君のことが好きになっちゃたんだ」
「どういうこと?」
「もう告白もするつもり。だから相川ちゃんとは
じゃあ、と言って綾瀬は軽いステップで階段を降りていった。
ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。
どうしてみんな自分を裏切るんだ。
両親は高校生のときに嶺衣奈を出産し、愛情を持たれないとか、金銭的に育てられないとかを福祉に伝えて、養護施設に預けられることになった。
そうやってみんな自分を裏切っていく。
殺してやる、全員。
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「そういうこと。本当は綾瀬は私のことを応援してくれるつもりだった。それなのに裏切ったんだよ」
初めて知った事実だ。確かに相川の言葉を全て信じれば同情の余地がある。
「相川・・・・・・もう自分のために生きろ」
「えっ・・・・・・」
「僕はお前のこと可愛いって思ってる。でもこれからも恋愛対象としては見れない」
「そう」相川が俯いた。
「でも、SWORDに入ってくれないか」
「えっ?」
僕は精一杯の笑顔を作って、
「アイドルに入ったら、お前のことを必要としてくれるファンが出来る。承認欲求が満たされていないヤンデレなお前にはぴったりな仕事だろ。一応、社宅も用意してやれるしな」
相川が沈黙して・・・・・・、それからクスッと笑った。
「だから、これからも頑張って生きろ。人なんか殺しても後悔するだけだ」
相川は頷いて、握りこぶしを向けてきた。
それに、僕もこぶしを突きつけて応じた。