さすがにラヘナは、人通りがある道では鼻歌を止めます。
道の先に見覚えのある髪色と髪型の人を見つけました。今のラヘナとは対照的な、黒っぽくて少し波形の長髪です。ラヘナはさらに足を速めて、その人の顔が分かるまで距離を縮めると、やはり昨日、顔を合わせたことがある、ラヘナと同じ新入生の女子生徒でした。
「おはようございます」ラヘナは歩幅を合わせ、余裕があるような感じを意識して挨拶をしました。
ラヘナに顔を向けたその人は、ラヘナを見て立ち止まります。ラヘナも立ち止まって顔を見合わせると、その人はこう言いました。
「――あ、ラヘナさん? おはよう」
なぜかラヘナを見て驚いているようです。どうしたのか訊こうと、ラヘナは言います。
「昨日お会いした、エズビエナさん、ですよね。どうかしたのかしら――?」
「――え? そうだけれど、ちょっと、いえ、すごく驚いた。そんなに笑っているから!」
ラヘナは、昨日は
ラヘナには、そんなことを言われる笑顔をしていた自覚はありません。それでふと思ったのは、過去に国士養成学校の教師に言われた言葉。
それは舞台での実演教習の時間でした。
はじめから笑顔で入って来なくていい。
無表情にしてから、中央へ歩きたまえ、ラヘナくん。
そう、そこで笑顔になってみよう……。
それで良いのではないか。
ラヘナはその教師と最後に会ったときのことも思い出しました。
しかし、今はとにかく、学校へ向かうことに集中して行かなければなりません。昨日のような交通事故未遂は、二度と繰り返したくありませんでした。
今は丘から道を
昨日はラヘナが、
ラヘナの様子を見て、エズビエナが傍に寄って来ました。エズビエナは心配しているようでした。
「ラヘナさん? 昨日も不安そうな感じがしていましたね? 今も不安か何か、あるのでは……?」
ラヘナは、もはや余裕を
「ここで暮らしている人たち、あなたにも遠慮せずに言うけど……怖い。都会が――いいえ、わたしはこの都会の人たちが、怖いわけじゃなくて、周りを囲む雰囲気が少し怖い。あなたは少しも怖くない?」
「……あ、そうだね……。そう言われると確かに」エズビエナは賛同します。
「まあ、とりあえず、遅れるから――学校に。ね、ラヘナ、歩きながら話そうよ」
「ええ、そうね。エズビエナ」
「……ラヘナ、あなたの言うとおり、ここは何かしら、雰囲気が独特な所がある街よ。わたしはひと
エズビエナは足元の近くの水たまりを指して、よけました。
「そう……」ラヘナもその水たまりをよけました。
「あ、わたしの親戚に
「そうなのね」ラヘナは目を丸くしました。
ラヘナにも少し分かってきました。自分の父親のような、いつも忙しそうで、
「わたしの父も、確かに、いつも何かを相手にして
「ラヘナのお父さんは、このあたりで仕事をしているの?」
「いいえ、今はまだ、シェダフムの
「へえ……そういえば、入学式で〝シェダフム〟って付く名前が呼ばれていたの、あなただったのか……」
二人は交差点に差し掛かり、
交差点を渡り、向かいの歩道を歩きながら、二人は話を続けます。
「――そうね。けど、そう呼ばれて自分でも驚いたのも確か。〝ラヘナ・シェダフム・スロオキオ〟と呼ばれたのは、昨日が初めてなのだけれど……。あれって、わたしが他の州から来たからだったのよね?」ラヘナは訊きました。
すると、訊かれた方のエズビエナがまじまじとラヘナを見ます。今度はエズビエナが目を丸くします。
「え? シェダフムって、この州じゃないの? いやあ、ラヘナ、あなたがさらりと言ってるから。フグラレヤのどこかかと、勘違いしちゃった、わたし」
「それは、ごめん……」
「――そうか、シェダフムね。シェダフム? 前の学校で、歴史の授業で
「ええ、そうよ」
「それにしても遠そうねえ。たぶん、遠すぎと言えるくらい。いったいどれくらい掛かる
「出発は船だったから、それに陸路は鉄道だったし……。でも、授業でシェダフムが取り上げられたの?」
国士養成学校では、そのような授業はありませんでした。
「うん、まあね。地理でも、歴史でも、その地名が教科書に載っていたはずよ、たぶん」
それを聞いたラヘナは、これは当然の違いだとすぐに
「あなたたちのような中等普通課程を終えた人たちは、そんなことまで勉強していたのね……」ラヘナは呟きました。
住んでいる国の地理。特に、隣り合う州についての知識であれば、普通の教育課程で身につくことなのは当たり前のことでした。それは、学校以外で学習する習慣がなかったラヘナには、まだない知識でした。