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四 医学高等学校

 街は次第に熱気をび始め、人々は足早あしばやに道をいます。

 同様にラヘナとエズビエナも足早に歩いていましたが、ラヘナの足取あしどりが遅くなります。

「ねえ、エズビエナ?」ラヘナは先を歩くエズビエナに声を掛けますが、都会の喧騒けんそうにそれがき消されました。

「エズビエナさん!」

「あれえ? どうしたのラヘナ」足をめたエズビエナが、振り返ってけて来ました。

「少しだけ、エズビエナさんのお時間を取らせていただきますが――」

「どうしたの。そんなあらたまって」

「今日から、一般教養の授業ですが……」

 ラヘナは、国士養成学校を卒業したことや、はじめは予定していなかった進路を選んで、高等学校に入学したことを話しました。


 二人はその途中、近くの路地に入って、表側の歩道の人通りが多くなっていくのを横目で見ながら話しました。

 話を聞き終えてエズビエナが言った一言は、みょうに静かでした。

「中等の国士学校って、あるんだ……」

 それは、偶然にも周囲の騒音が途切れたときでした。また騒音が増してきて、エズビエナは続けました。

「……珍しいということは知っているよ。でも、高等の国士学校がロオムヘントの各州に一校ある程度のかずなわけだし、たぶん」エズビエナは表側へ歩きだしました。

「あのう、それで、それでなのですけれど……」ラヘナはその後ろに付いて歩きました。「わたし、そういう変わった学校で学んで来たせいで、今日からの授業が不安なのです。このようなわたしでも、平気でしょうか?」

 ラヘナは個別の試験にそなえて勉強していることも、さきほど話しましたが、エズビエナの返答は意外な一言から始まるのでした。


「なんだか面白おもしろそう!」


 ラヘナは心の中で、ちょっと怒ります。エズビエナがどのような表情なのかは見ていませんが、その声をはっきり聞き取りました。その声は明らかに笑っていました。

 そして極力きょくりょく、落ち着こうとしましたが、ラヘナはつい早足あしばやになり、エズビエナの前に進んで行ってしまいました。そのときに一度、にらみ付けたのを知られないように。

 すると、通り過ぎていくラヘナにエズビエナが呼び掛けます。

「ねっ、ラヘナ! 一緒に授業を受けようよ。いつも隣に座ってあげるからね?」

 それを聞くと、ラヘナはすっかり無表情になって、後ろのほうを振り返りました。

「面白そうなの、それってわたしを――」

 ラヘナが言いきる前に、その腕をエズビエナにつかまれてられました。

 エズビエナは笑っていました。それは、笑いすぎと言えるほどでした。

 ラヘナが踏み切りに入ったままだったので、エズビエナがそれを引き戻したのです。歩道の信号機は停止信号が点灯しています。

あぶなっかしいラヘナ!」

 その途端とたんに、踏み切りの遮断しゃだんを予告する笛の強い音。

 鉄道の係員かかりいんが拡声器で「線より下がって」と通行人たちに呼び掛け、遮断機をろしました。


「……わたしとしたことが、またこんなこと繰り返すなんて――」

 すると遠くから、列車が踏み切りを通過することを知らせる笛が響きました。

「そんなに気にしないで、わたしが変なことを言っちゃったせいよ。悪かったね、ごめん」エズビエナがラヘナの手を握って言いました。

「いいえ、こちらこそ。それに、ありがとう」

 ラヘナは、まだ笑みをその顔に残すエズビエナを不思議に思いながらも、今は自分のした行動を反省するのでした。ついさっき「面白そう」という言い方をされただけで、なぜ、あんなにむきになったのか。ラヘナは、自分でも理由が分かりません。

 ちょっとした言葉ので、何もラヘナが気にさわることはないかもしれません。

 後ろの踏み切りを列車が通過していきました。

 係員が拡声器で周知させます。


「信号が点滅したら踏み切りに入らないこと」


 そのことはラヘナも知っていました。周囲に数十人の通行人が立っていますが、その中で平常心を保ちづらくなるラヘナ。

 なんだか昨日は、立ち止まれないことで何か考えてた気がするのだけど――ラヘナは大きなめ息。今度は立ち止まったことでこの有り様か、という思いでした。

「気にしないで。ほら、もうすぐ」エズビエナはラヘナに耳打ちしました。

 ラヘナは小さくうなずくしかありませんでした。

 遮断機が上がり、ラヘナはエズビエナにそのまま手を引かれて、ともに走って学校へ向かいました。


 ヂュージュ西にし医学高等学校。

 それは一部五階建ての茶色の建物です。このあたりでは新しい建築の部類に入ります。さらに向こうの区画では、近年に大きな堤防が整備されて市街地を拡張する事業が進行中です。


 二人は学校に到着し、一限目の授業が行われる三階の教室に向かいました。

 その教室に入るまで、二人は中等学校について話しながら歩きました。エズビエナの話では、一般的に中等普通課程は進学のための授業が多いという特徴がありますが、高等学校の入学試験に合格した時点で、ラヘナが懸念するほどの学力差はないとのことでした。一般よりも舞踊や演劇にかたよった授業をしている国士養成学校でも、伝統芸能に関する歴史や、用語知識をつける学習をしたことは、実際に高等学校でも役立つものです。

 それでもラヘナは、授業時間の前後に予習をおこたる気はありません。

 教室に入って、教壇きょうだんに近い席に着きます。早速さっそく、予習を始めるラヘナでした。

 エズビエナは、予習を一緒にしてくれますが、ときどき離れて他の友人たちに加わることに気兼きがねをするのでした。ラヘナは自分に付きっきりにならず自由にしてほしかったので、むしろ「どうぞいっておいで」とうながしていました。

 しばらくして授業開始が近くなると、エズビエナはいつも隣に座って授業を一緒に受けるのです。こうも話してくれました。

「ラヘナだけ放課後、補習授業を受けさせられることになるのは、なんだか可哀想かわいそうだもの。いずれ始まる専門科目も一緒に受けたいから、わたしが課題を手伝うよ。あなたが例の履修証明試験に合格するのは疑わないけど、少しでもらくになるようにしてあげたいな」


 それからは、一日の授業を終えたあとの別れにさいし、エズビエナに「また明日」と「ありがとう」を伝える日々が始まりました。しかし、いつも丁寧すぎるラヘナにエズビエナは次第にきして「いいのいいの」とあしらうのがお決まりのり取りになりました。

 それで二人が静かに笑い合うのも、決まった流れなのでした。

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