歩道に二人分の長い影を落としながら、リュックと私は大通りを南の方へ向かう。
街路樹のプラタナスの緑が夕日の中でくすんでいる。
「遅くなっちゃったな」
ホウキに乗ればすぐなのだけれど、歩くとなると大変だ。
「イライザ、大したことなさそうだし。良かった」
いえ、私の方に問題があるわ。
もし上手く受け止められなくてイライザが地面に叩きつけられていたらと考えると、身体が震えてくる。
魔力もあの時に全力を出したので、今はまるで集中力が無い。
フェニックスが助けに来てくれなかったら、私一人の力で支え切れたか……。
「ちょっと休む?」
私がふらふらしながら歩いているからか、リュックが声をかけてくれた。
「は、ひゃい、すみません」
リュックに歩道のベンチまでエスコートしてもらう。
時間が時間なので、大通りを行き交う馬車が多い。さっきまでリュックはごく自然に車道側を歩いてくれた。あの小さかったリュックが、いつの間にこんな紳士になったのかしら。
そして、道に立つ完全武装の王都防衛軍の数は、朝の倍以上に増えている。今は、力で群衆を抑え込んでいるのね。
「イライザ、学校を休むかな?」
「そうね、休むかも……」
いじめっ子のイライザのことは言わないで! そう言いたかったけれど、私は言葉を飲み込んで当たりさわりの無い返事をする。
「ホウキも直るよ」
「……ええ」
ああ。全女生徒
「飛翔学の先生、校長先生に叱られてるだろうな」
この間のは、イライザが触れるところに先生がフェニックスを放置したのが原因だし。
あ。
しまった……イライザの魔導具のムチを腰のベルトに差したままで、学校を出てきちゃったわ。
イライザとは話したくないし……。
「リュック……一生のお願い。このムチをあなたからイライザに返して上げて」
「うん、もちろん良いけど……」
リュックはムチを受け取り、カバンに無造作に
「君に謝ったら返してやると言ってみようかな」
と、笑ったあと、真顔になり、
「オーリィ、いじめられている君からすれば、そういう気持ちなんだろうけれど」
前に回って私の紫の目を見つめる。
「『一生のお願い』なんて言葉は、そうそう使うものじゃない。君の父上も兄上たちも軍人だ。人の一生の重みは分かっているだろう?」
「……あ、う……ごめんなさい」
リュックは小さくため息をついた。
「子供の頃の君はもっと活発で……そんなじゃなかったのに。魔法学校に入ってから?」
いつからだろう。
こんなに気が弱くなってしまったのは?
「……きっと、生まれつき、なんですわ」
魔法学校に入る前からだわ。
声が小さくて面接に落ちるところだったから。
「……気に触ったらごめん。母上を亡くされてから?」
図星ね。
母が治癒魔法でも治せない病で
心配したお父様やお兄様が、遠征先から私の興味を引きそうなお土産を持ち帰っても、私の心は晴れなかった。
例外は、その頃まだお父上と遊びに来ていたリュックだ。彼とは子供らしく無邪気に遊び、声を上げて笑うことができた。
「ごめん、辛いこと思い出させて、ほんとにごめん」
「……いいの」
言わないで。
謝らないで。
私はにじみかけていた涙を、ゴシゴシと制服の袖でぬぐった。
「いいの。リュックは今もいじめから守ってくれてるし。すみません」
「守りきれてないや……相手は人数が多いし」
そうね。魔法薬の実習の最後、私に足をかけて転ばしたのはイライザ以外の誰か。きっとあの赤毛の子だけれど確証はない。
これが下級生なら「オウムの術」でもかけて、自分からペラペラしゃべらせたりできるんだけど、上級生だと自分に
「父が言っていたんだけど、さ」
リュックは話題を変えた。
「やっぱり前線では、魔族に苦戦しているらしい」
「そうなの?」
リュックによると、魔族はお互いにかばいあう心が無く、名誉も重んじないので、抜け駆けや卑怯な奇襲を平気でするらしい。
「父から王都絶対防衛線の話を聞くたびに、じっとしていられないと思うんだ。僕も君たちを守らなくっちゃってね」
そんなふうに思ってくれているのね。
昔と変わらないリュックの優しさが心に染みた。
「我々も負けてはいない。強固な陣地を築いて奇襲に備えているし、周囲の村人は危険を避けて退去させた。魔法が使える兵士は逆襲をかけている。君の魔法史の研究もきっと役に立つ」
リュックは、イライザのムチを抜き取ると、ビュッと振った。
彼の魔導具は、本当は腰に帯びた剣。
だけど、魔力を帯びた一振りに、街路樹の枝が切断されてバサリと落ちた。
「いっけねえ!」
「……すごいわ、リュック」
「戦場でもこんな具合かな?」
「あなたならできるわ……」
「君の父上、モランジュ元帥は名将だよ」
う……ん。その娘が、魔法学校を良い成績で卒業しようというのに、のんびりと魔法史の研究なんてやって良いのかしら?
「知ってるよ。君は魔法学校に残りたいんだろ?」
は、はあ。
いつバレたんだろう?
「適材適所だよ。魔法史を研究して、我々が魔力で魔族を圧倒できる方法を探してくれ。そしてまた、一緒に遊べる平和な日が戻ってくるよう……」
「……できるだけ頑張ります」
私の頬が赤いのは夕日のせい。
この歳で「一緒に遊ぶ」なんて子供っぽい言葉を使っているけれど、リュックの本心は?
いやいや、勝手に想像してはいけないわ。
リュックはお父上の上官の娘だからって私に良くしてくれているだけかもしれないんだから。
話題も尽きて、私たちはまた歩き始めた。
ここからちょっと入れば、もう私の屋敷だ。
「まあ。お嬢様、遅いと思ったら歩いて!」
「ただいま。リュックが送ってくれたの」
「まあ、坊ちゃま、ありがとうございます。朝の暴動騒ぎも大変でしたが、ちゃんと淑女として扱ってくださる方がいらっしゃって」
アビゲイルの容赦無い
「アビゲイル、やめて。リュックが困っているわ」
「失礼いたしました」
アビゲイルは頭を下げた。
「クリモン様、ここからは、オーロールお嬢様はこのアビゲイルがご案内いたします。今日はありがとうございました」
「うん。オーリィを頼むよ」
リュックは背を向けようとした。
その背へ、
「馬車を呼びましょうか? ここからお屋敷まではかなりございます」
「構うな、ホウキで帰る」
「ですが、夜間の飛行は制限が……」
「なら、行軍の練習だと思って歩く」
リュックは勇気があるわね。
馬車の誘惑なんてあれば、私は乗ってしまうのに。
「リュック、本当にすみませんでした」
「やるべきことをやったまでだよ、オーリィ、気にしないで」
彼の声音は、私にはあくまで優しい。
「また明日」
「……はい」
「クリモン様、失礼いたしました」
私とアビゲイルの見送りを受けて、リュック・クリモンは夕市の人混みの中に消えて行った。
自然とため息がもれる。
「クリモン様とお嬢様、お似合いでございましたね」
「アビゲイル、やめて」
「おっと、スモモを買おうと出て参ったんですよ。調理場で夕食のデザートが足りないと騒いでいましたので」
「そう」
「急いで買いますので、少々お待ちを」
果物を売っている店は顔なじみらしい。
アビゲイルはおまけしてもらったラズベリーを口に放り込んで、私と目が合い、しまったという顔をする。
相変わらず食いしん坊ね。。
私は思わず微笑んだ。
そして、編みかごいっぱいのスモモを買ったアビゲイルと私は帰途についた。
疲れた……。
魔法学校でもいろいろありすぎたし、学校から屋敷まで歩いたし。
いつになったら、以前の活気ある王都に戻るんだろう。
夕市の店もかつての三分の一。
食品が配給制になるという噂が飛び交っている。
「イライザ、私に怒ってたりしないよね」
フェニックスに話しかける。
逆恨みされたりすると怖い。
空には「麦の穂星」が光り始めていた。