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第10話 今年は紅白戦

 翌日もアビゲイルと馬車で登校した。

 王都の住民が暴動を起こすのを控えているのは、国王陛下から軍に「発砲を許可する」という命令が下ったからだそうだ。


 あの教会の前を通り過ぎるとき、聖職者の衣服に身を包んだエマニュエルが、本を持ってポツンと立っているのを目にした。

 本は印刷物で、題名は『魔術への鉄槌てっつい』と読めた。 


 声はかけずにおいた。

 一家離散の目にあい、教会に身を寄せるしか無かった彼の心が、エリゼ先生の手品まがいの証明でやされるとは思わなかったから。


 校門での服装チェックを終えると、私はフェニックスをお供に、アビゲイルに手を振って前庭に入った。


「ねえ、オーロール」


 待ち構えていたのは、なんといじめっ子のイライザだった。

 な、なにか言われる?


「まだ魔法は使えないけど、身体はなんてことないわ」

「……それは良かった……」

「リュックに聞いたら、あなたが助けてくれたんですってね。一応、礼は言っておくわ」

「……いいえ、お礼なんて……」


 イライザは背を向けた。

 ツインテが弧を描く。


「勘違いしないでちょうだい。なにもあなたを認めたわけじゃない。商人の家は信用が一番なのよ」

「わ、分かりました」


 私はイライザの後ろ姿に会釈をする。

 私の髪は銀灰色で、それもイライザとは対照的。


「敵と和解せよ」か……学校の創始者、ミリエル・デュランの言葉が重い。


 最上級生のクラスに入ると、羽根ペン使いのジャンが笑いかけてくれた。

 魔法学校の中では皆平等。


 でも、身分階級の影はぬぐいきれず、ジャンは名誉ある卒業生として魔法学校を終えた後、親の残した小さな文房具店を継ぐとのこと。


 例のイライザは、風魔法を駆使して、貿易船を動かす風を操る研究を会社の研究室でやるそうだ。研究資金は会社持ち。


 私は……エリゼ先生みたいに魔法史の勉強をしたい。魔法学校に残りたい。エリゼ先生の許可さえもらえれば……。

 これまで弟子を取ったことが無いという難関だけど。


 教室のドアが開いて、担任ではなく、校長先生が入ってきた。

 どうしたんだろうと皆ざわめく。


「皆、そろっておるな?」


 最上級生にあたる五年生、二十三人、全員着席し、校長先生の次の言葉を待つ。


「部分的に聞いているものは居るかも知れないが、今年の卒業式では、ホウキレースは行われない」


 しん、と静まり返る教室。


「その代わり、前日に希望者による紅白戦が行われることとなった。これは『敵と融和せよ』というミリエル・デュランの教えとは異なるが、事態がここに至ってはやむを得ない」


 希望者……。紅白戦……。


「誰一人忘れてはおるまいが、王都は魔族の襲撃を受けた。これまでは王都絶対防衛線で守られていると心を許していたが、もはや、銃後じゅうごは無い」


 お父様たちの守り続けて来た前線が、無意味だといわれているんだわ。

 あの晩王都を襲ったダリオンという魔族の言った通り、王都の住民は嫌と言うほど恐怖を味わっている。


「国王陛下はこの事態を深く憂慮ゆうりょされ、我がシャンドリュー王国から逆襲の一手を放つこととなった」


 言葉は勇ましいが、校長先生にはそれを支える覇気はきが無い。


「第二王子アンリ殿下をリーダーとする魔王討伐隊を魔族の支配地に派遣する。そのメンバーを選ぶための紅白戦だ」

「先生! 魔王は名前がわからなかったんですよね? だからこれまで追跡できなかったはず……」

「それがな、偶然分かったのじゃよ」


 リュックが立ち上がった。


「先生、その名は?」

「部隊の指揮者だけに明かす。間違いの可能性が多少あるのでな」

「僕をその部隊に参加させてください! 魔法の修行だけでなく、剣の腕も磨いてきた!」


 校長先生はため息を一つ落とした。


「落ち着きなさい、リュック・クリモン君。選ばれるのは紅白戦で成績を挙げた者のみ。紅白戦はアンリ殿下ご臨席の下で行なわれ、審査は全教諭合同で行なう」

「先生! ルールは? 紅白戦とだけじゃ分からない!」


 そうだ、そうだという声。


「皆、落ち着きたまえ。実戦形式を想定しておる。怪我人がでた場合は教師が責任をもって対処する」


 ここまで厳しい試練……でも希望者だけなのよね。私は辞退したほうが良いわよね。また気弱なオーリィと呼ばれても構わない。


「詳細なルールは追って発表される。紅白戦に気をとられて、日々の学習を怠らないように。おっと、そういう儂が魔族生態学の授業に食い込んでしまった。失礼、失礼」


 最後の校長先生のおどけた声にも笑う人は少なかった。


 校長先生と入れ替わりに、ヤギひげの痩せた教師が教壇に立った。


「これまでは、写本や印刷物で魔族の脅威を示して来ましたが、魔王討伐部隊が結成されようという今、貴重な生の資料をお見せします。気分が悪くなった生徒は手を上げるか、自分で外に出るように」


 木でできた重厚な箱が、教壇の上に置かれた。


「カーテンを閉めなさい」


 教室中が薄暗くなる。


「まずは、生きるしかばね


 教壇の中央に、鉛色の死体が立ち上がった。

 髪は乱れ、腹部はふくらんで崩れかけ、目玉は飛び出している。


「キャアッ」と小さな悲鳴が上がる。


 死体はノロノロと右手を上げて手招きした。


「捕獲して蘇生させようとしても無駄だったらしい」


 その時、膨らんでいた腹部が破れて内臓がドロリと足元に垂れ、背骨がき出しになった。


「!!」


 口を押さえた女生徒が二人、廊下に飛び出した。


「実物には腐敗臭がつきまとう。それに気をつけていればいきなり遭遇することは無いだろう」


 先生は平然と言う。


「肝心なのは、死霊使いを見つけること……そうでない限り、生ける屍は何度でも蘇って襲ってくる」

「先生、剣で戦えませんか?」


 リュックが腰の剣を外して机の上に置いた。


「戦えんことはない。だが、鼻を突く悪臭、飛び散る腐汁ふじゅうを浴びて、戦意喪失する者が大半じゃ」


 これが逆にリュックの戦意に火をつけたらしい。


「斬ってやるとも!」

闇雲やみくもに斬ったって、逆に命を落とすだけよ」


 イライザの分析は冷静だ。


 他にも粘着するスライムや絶叫するバンシーの映像が流れた。


「これらは二十年前の魔族討伐パーティが北部のダンジョンで記録したものの一部だ。パーティは第七層まで記録を残しながら進み、そこで撤退を決めた。これが最後の記録、最も貴重な一枚だ」


 映っているのは……。


「火トカゲ」


 黒い身体に赤い目。短い手足に長い尻尾。

 そして「火」トカゲに、赤く光る指輪から炎を吹き出して、炎攻撃を仕掛けている白くて長い髪の女性は……。


「若き日のエリゼ・フローレル先生だ」


 火炎魔法で火トカゲを焼き払うなんて、魔族の魔力を上回るなんて、先生に何があったの。

 私は、黒焦げの火トカゲの向こうに倒れている人がいるのに気付いた。


「一行のリーダー、ルシアン。彼はこの第七層で命を落とした」


 生々しい映像に、言葉を失った。

 新たに結成される部隊を襲うであろう魔物たちも、映像で見ると何倍も恐怖を誘う。


「このパーティにはもう一人生き残りが居て、エクトールと言う。これらの映像を魔法の箱に封じたのは彼だ。今回、貴重な私物を貸してくれたことに感謝している。さあ、カーテンを開けて」


 明るくなると、私は思わず深呼吸した。


 先生は木箱を閉じると、裏に刻まれた「エクトール」の名前を私たちに見せた。


「二十年前のパーティは、魔王と戦うことさえできずに敗退した。我々の世界の生き物とは違う魔族によって……。魔族の生態を研究することによって、敵を知ろうとしてきたが、伝承の多くは語り伝えられる間に歪曲わいきょくし、正しく魔族をとらえることは難しい」


 お互いに顔を見合わせる。

 紅白戦に出て王子様に褒められたい。

 でもこんな魔族と戦うことになるなんて……。


「ただ、今回は魔王の名前が分かっているので、それを頼りに追跡できる強みがある。前回以上の結果を期待している。これまでの授業では伝えきれなかったことも多いから、いつでも質問に来なさい」


 先生は、そう言って、木箱を抱え、教室を後にした。


 私は紅白戦も辞退するから、魔族と戦うことは無い。この時、私はそう信じていた。


















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