翌日もアビゲイルと馬車で登校した。
王都の住民が暴動を起こすのを控えているのは、国王陛下から軍に「発砲を許可する」という命令が下ったからだそうだ。
あの教会の前を通り過ぎるとき、聖職者の衣服に身を包んだエマニュエルが、本を持ってポツンと立っているのを目にした。
本は印刷物で、題名は『魔術への
声はかけずにおいた。
一家離散の目にあい、教会に身を寄せるしか無かった彼の心が、エリゼ先生の手品まがいの証明で
校門での服装チェックを終えると、私はフェニックスをお供に、アビゲイルに手を振って前庭に入った。
「ねえ、オーロール」
待ち構えていたのは、なんといじめっ子のイライザだった。
な、なにか言われる?
「まだ魔法は使えないけど、身体はなんてことないわ」
「……それは良かった……」
「リュックに聞いたら、あなたが助けてくれたんですってね。一応、礼は言っておくわ」
「……いいえ、お礼なんて……」
イライザは背を向けた。
ツインテが弧を描く。
「勘違いしないでちょうだい。なにもあなたを認めたわけじゃない。商人の家は信用が一番なのよ」
「わ、分かりました」
私はイライザの後ろ姿に会釈をする。
私の髪は銀灰色で、それもイライザとは対照的。
「敵と和解せよ」か……学校の創始者、ミリエル・デュランの言葉が重い。
最上級生のクラスに入ると、羽根ペン使いのジャンが笑いかけてくれた。
魔法学校の中では皆平等。
でも、身分階級の影は
例のイライザは、風魔法を駆使して、貿易船を動かす風を操る研究を会社の研究室でやるそうだ。研究資金は会社持ち。
私は……エリゼ先生みたいに魔法史の勉強をしたい。魔法学校に残りたい。エリゼ先生の許可さえもらえれば……。
これまで弟子を取ったことが無いという難関だけど。
教室のドアが開いて、担任ではなく、校長先生が入ってきた。
どうしたんだろうと皆ざわめく。
「皆、そろっておるな?」
最上級生にあたる五年生、二十三人、全員着席し、校長先生の次の言葉を待つ。
「部分的に聞いているものは居るかも知れないが、今年の卒業式では、ホウキレースは行われない」
しん、と静まり返る教室。
「その代わり、前日に希望者による紅白戦が行われることとなった。これは『敵と融和せよ』というミリエル・デュランの教えとは異なるが、事態がここに至ってはやむを得ない」
希望者……。紅白戦……。
「誰一人忘れてはおるまいが、王都は魔族の襲撃を受けた。これまでは王都絶対防衛線で守られていると心を許していたが、もはや、
お父様たちの守り続けて来た前線が、無意味だといわれているんだわ。
あの晩王都を襲ったダリオンという魔族の言った通り、王都の住民は嫌と言うほど恐怖を味わっている。
「国王陛下はこの事態を深く
言葉は勇ましいが、校長先生にはそれを支える
「第二王子アンリ殿下をリーダーとする魔王討伐隊を魔族の支配地に派遣する。そのメンバーを選ぶための紅白戦だ」
「先生! 魔王は名前がわからなかったんですよね? だからこれまで追跡できなかったはず……」
「それがな、偶然分かったのじゃよ」
リュックが立ち上がった。
「先生、その名は?」
「部隊の指揮者だけに明かす。間違いの可能性が多少あるのでな」
「僕をその部隊に参加させてください! 魔法の修行だけでなく、剣の腕も磨いてきた!」
校長先生はため息を一つ落とした。
「落ち着きなさい、リュック・クリモン君。選ばれるのは紅白戦で成績を挙げた者のみ。紅白戦はアンリ殿下ご臨席の下で行なわれ、審査は全教諭合同で行なう」
「先生! ルールは? 紅白戦とだけじゃ分からない!」
そうだ、そうだという声。
「皆、落ち着きたまえ。実戦形式を想定しておる。怪我人がでた場合は教師が責任をもって対処する」
ここまで厳しい試練……でも希望者だけなのよね。私は辞退したほうが良いわよね。また気弱なオーリィと呼ばれても構わない。
「詳細なルールは追って発表される。紅白戦に気をとられて、日々の学習を怠らないように。おっと、そういう儂が魔族生態学の授業に食い込んでしまった。失礼、失礼」
最後の校長先生のおどけた声にも笑う人は少なかった。
校長先生と入れ替わりに、ヤギひげの痩せた教師が教壇に立った。
「これまでは、写本や印刷物で魔族の脅威を示して来ましたが、魔王討伐部隊が結成されようという今、貴重な生の資料をお見せします。気分が悪くなった生徒は手を上げるか、自分で外に出るように」
木でできた重厚な箱が、教壇の上に置かれた。
「カーテンを閉めなさい」
教室中が薄暗くなる。
「まずは、生きる
教壇の中央に、鉛色の死体が立ち上がった。
髪は乱れ、腹部は
「キャアッ」と小さな悲鳴が上がる。
死体はノロノロと右手を上げて手招きした。
「捕獲して蘇生させようとしても無駄だったらしい」
その時、膨らんでいた腹部が破れて内臓がドロリと足元に垂れ、背骨が
「!!」
口を押さえた女生徒が二人、廊下に飛び出した。
「実物には腐敗臭がつきまとう。それに気をつけていればいきなり遭遇することは無いだろう」
先生は平然と言う。
「肝心なのは、死霊使いを見つけること……そうでない限り、生ける屍は何度でも蘇って襲ってくる」
「先生、剣で戦えませんか?」
リュックが腰の剣を外して机の上に置いた。
「戦えんことはない。だが、鼻を突く悪臭、飛び散る
これが逆にリュックの戦意に火をつけたらしい。
「斬ってやるとも!」
「
イライザの分析は冷静だ。
他にも粘着するスライムや絶叫するバンシーの映像が流れた。
「これらは二十年前の魔族討伐パーティが北部のダンジョンで記録したものの一部だ。パーティは第七層まで記録を残しながら進み、そこで撤退を決めた。これが最後の記録、最も貴重な一枚だ」
映っているのは……。
「火トカゲ」
黒い身体に赤い目。短い手足に長い尻尾。
そして「火」トカゲに、赤く光る指輪から炎を吹き出して、炎攻撃を仕掛けている白くて長い髪の女性は……。
「若き日のエリゼ・フローレル先生だ」
火炎魔法で火トカゲを焼き払うなんて、魔族の魔力を上回るなんて、先生に何があったの。
私は、黒焦げの火トカゲの向こうに倒れている人がいるのに気付いた。
「一行のリーダー、ルシアン。彼はこの第七層で命を落とした」
生々しい映像に、言葉を失った。
新たに結成される部隊を襲うであろう魔物たちも、映像で見ると何倍も恐怖を誘う。
「このパーティにはもう一人生き残りが居て、エクトールと言う。これらの映像を魔法の箱に封じたのは彼だ。今回、貴重な私物を貸してくれたことに感謝している。さあ、カーテンを開けて」
明るくなると、私は思わず深呼吸した。
先生は木箱を閉じると、裏に刻まれた「エクトール」の名前を私たちに見せた。
「二十年前のパーティは、魔王と戦うことさえできずに敗退した。我々の世界の生き物とは違う魔族によって……。魔族の生態を研究することによって、敵を知ろうとしてきたが、伝承の多くは語り伝えられる間に
お互いに顔を見合わせる。
紅白戦に出て王子様に褒められたい。
でもこんな魔族と戦うことになるなんて……。
「ただ、今回は魔王の名前が分かっているので、それを頼りに追跡できる強みがある。前回以上の結果を期待している。これまでの授業では伝えきれなかったことも多いから、いつでも質問に来なさい」
先生は、そう言って、木箱を抱え、教室を後にした。
私は紅白戦も辞退するから、魔族と戦うことは無い。この時、私はそう信じていた。