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第15話 ダンスのお相手

 いずれ魔族と対決する運命ならば、エリゼ・フローレル先生みたいになりたいと心に決めて、私は王都に戻った。


 荷物の多いアビゲイルは、気のおけないお城暮らしが短かったので、ブウブウ文句を言っている。


「お嬢様、あちらの方が安全でしたのに……」


 違うの。

 黙っててごめんね、アビゲイル。

 私が魔族を呼び寄せる可能性があるの。

 何の備えもない領地のお城を危険にさらすわけにはいかないわ。


「お嬢様の気弱克服の特訓にも、あちらの方が良いはずです……」


「すみません、ごめんなさい」ではなくて、ちゃんと「ありがとう」と言うこと……それがこんなに難しいなんて。

「ひゃい!」もそうだけれど、口癖って難しいわ。


 自分の気弱な精神を鍛えるために瞑想していると、玄関の方で押し問答するような声が聞こえて集中が破られた。


 外は雨が降っているが、どうしたのだろう?


「お嬢様、ご学友を名乗るうら若い女性が突然お見えです」


 執事は「突然」にアクセントを付けて、私に告げた。約束や先触れ無しに訪問するのは礼儀に反することだからだ。


「まあ……。良いわ。誰かしら?」


 集中力がすっかり切れてしまった私は、コキコキと首を回してから、自分の部屋を出て玄関に向かった。


 豪華な二頭立ての馬車で乗り付けたのは……。


「ごきげんよう」

「……イライザ!」


 彼女は使用人に足台を置かせて馬車から降りた。


「入らせていただくわよ」

「は、はい」


 彼女は私を押しのけるようにして入った玄関を、無遠慮にジロジロながめた。


「どうぞこちらへ……」


 アビゲイルが、一応客間に通す。

 ここも質素だ。


「ふん、屋敷は大きくても貧乏貴族らしいわね」

「……」

「大事なことを伝えに来たのよ。感謝しなさい」


「すみません」が喉から出かかっている。

 私は、ゴクンと飲み下した。


「それは、ありがとう」


 イライザは、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をした。

 特訓の成果だ。

 効果あり!


「紅白戦、容赦しないからね」


 え、たったそれだけを伝えにわざわざ来たの?

 そしてその時、私は彼女の胸に見慣れない紫色の花が飾ってあるのに気付いた。


「そう、これ」


 彼女は宝石とレースで飾られた、豪華な絹のドレスに飾られた花を見せびらかすように身を乗り出した。


「『地の芋』の花よ。知らないでしょう」

「存じません」


 確かに初めて見るけれど、きれいな紫……。


「無知な古臭い貴族階級ね。うちの船が海の向こうの大陸から運んで来たの。それと、魔法学校は制服だけど、うちではこれが普通なの」


 金髪も、魔法学校で見せるツインテールではなく、レースで飾って垂らしているし、香水もつけている。

 うらやましいでしょうと言わんばかり。


「はい。見せてくれてありがとう」


 ガクーーーッと、イライザは肩を落とした。

 立派なドレス、富を運ぶ船、私には関わりないものだわ。


 今日は誰かに会う予定は無かったし、瞑想には今着ている麻のワンピースで十分。

 ドレスに付ける宝石にお金をかけるくらいなら、前線の父に物資を送るつもり。


「……あら、ここでは客にお茶も出さないの?」

「申し訳ございませんね、今立て込んでおりまして」


 アビゲイルが露骨に塩対応する。


 ここは私の家。

 魔法学校のようにイライザの取り巻きも居ない。

 勝手にはいかない。


「あと、リュックは私がもらうから」


 え、紅白戦の組分けはクジ引きでしたよね。リュックという強い戦力を、最初から自分の組のように言うのはどうかしら。


 私が混乱していると、イライザは、


「知らないの? 卒業式の後にダンスパーティーがあるでしょ」


 ああ、完全に失念していた。

 今年もやるのよね。


「リュックは私とペアになってもらうから。あなたはあきらめてね」

「……え、ええ?」


 ダンスパーティーは、誰とペアを組むとか何番目に踊るとか、そんなことを競う場ではない。

「魔法使いである前に紳士淑女たれ」という魔法学校の校訓を形にし、自らの行動を律するもの。


 もう一つには、平民の生徒が王族や貴族に魔法使いとしてスカウトされた時に戸惑わなくて良いように、上流階級の礼儀の基礎を教えるという一面もある。


「ちょっと、なんとか言いなさいよ。良いのね?」

「……ええ、リュックが良いなら……私は何か言える立場じゃないし」


 イライザはまた拍子抜けしたように、ガクッと前のめりになり、


「……は?」


 と、間の抜けた声を出した。


 確かに私もリュックのことは好き。でも、ちょっとしたダンスを、誰と踊るかは彼の自由でしょ。


「貴族様だからって余裕を見せてるつもり?」

「……は?」


 今度は私が呆れた声を出す番。


「見てらっしゃい。この戦争の戦費を負担している父が、遠からず爵位しゃくいを受けるから」


 私には彼女のご一家の貪欲どんよくな上昇志向がよく分からない。それは、逆に言えば、私が押しも押されもせぬ古い家柄を誇る家系に甘えているということなのかもしれない。


 返事をしない私にいらだって、イライザはカツンとヒールを鳴らした。


「……うまくいくと良いわね」


 返事を請求されている気がして、私は思わずそう口にした。


「当たり前よ!」


 私にみじめな思いをさせようというイライザのもくろみは全て外れ、水さえも出ないので、イライザはそうそうに撤退した。

 最後に「欲しければくれてやるわ」と「地の芋」の花を投げつけて。


 執事は、雨が降っているにもかかわらず、窓を開けてイライザの残り香の漂う室内の空気を入れ換えるようにメイドたちに命じた。

 まあ、そんな気にはなるわよね。


「花に罪はないのにね」


 私はイライザが投げていった不思議な花を祈祷書きとうしょはさんだ。


 入れ替わるように、羽根ペンを魔導具に使っているジャンが、私を訪ねて来た。

 魔法学校の制服を着ている。

 たぶんそれが彼の持っている服の中で一番見栄みばえが良いのだろう。


「突然、女の子の家へ押しかけてごめん」

「いーえ、ちゃんとしたご学友は大歓迎でございます」


 手のひらを返したアビゲイルが、いそいそとタオルを出す。

 風もあるのだろう、彼の肩はすっかり濡れている。


「ありがとうございます。アビゲイルさん」

「どういたしましてー。お嬢様と客間へどうぞ。お茶をお持ちいたします。あ、お菓子も」

「おかまいなく……」

「いえいえ」


 アビゲイルの分かりやすい対応の差に、私は笑いをこらえるのがやっとだった。


「客間へどうぞ」


 来客が男性だからだろう、執事が私にピタッと張り付く。


「お座りください」

「は、はい」


 彼が緊張しているのがよく分かる。


「あの……ダンスパーティー……」


 どうして皆、ダンスパーティーのことばかり言うの?

 私の頭の中は紅白戦のことでいっぱいだと言うのに。


「相手、まだ、決まってない?」

「ええ」


 パッとジャンの顔が輝いた。


「あの、僕と、できたら僕と踊ってくれませんか?」


 私は執事の顔を見上げた。

 本来、お父様が決めることだ。私が決めて良いかしら?


「どうぞ、お決めください。社交界の厳格なルールが及ばない魔法学校の中のことでございますから」


 そうよね。魔法学校の中では生徒は平等。

 親の階級は関係無い。

 リュックは自分とペアを組むと行っていたイライザのセリフがちょっと頭をよぎったけれど、


「承知いたしました。よろしくお願いいたします」


 私は軽く頭を下げる。


「わ、わ、わ、伯爵令嬢が、そんな……」


 私は軽く微笑んだ。


「緊張しないで、いつも学校で私を助けてくれるように……」

「うん。頑張る」


 彼は拳を握った。


「ところで、ジャンは魔族は怖くない?」

「怖いけど……そのための避難訓練だろ」


 そうね、仕方ないけど、危機意識がエリゼ先生や私とぜんぜん違う。

 エリゼ先生はずっとこんな気持を抱えていたのかしら。


「どうぞ。お茶とクッキーです」


 アビゲイルが踊るような足さばきで盆を運んで来た。

 ジャンが礼儀作法を間違えないように固くなっているのが伝わってくる。


「あらあ。お好きに召し上がれば良いんですわよ」


 アビゲイルの明るい声に、やっと表情がゆるんだ。


「ありがとう、美味しいよ」


 彼は私に約束を取り付け、お茶とお菓子を堪能たんのうして、帰っていった。


「雨、やみませんねえ」


 後片付けしながら、アビゲイルがぼやく。


「皆、紅白戦よりダンスパーティに気が行っちゃってるのね……大丈夫かしら」

「お嬢様が心配していらっしゃるような真剣勝負にはならないのではないですか?」


 王子殿下の前でよ……いい加減なことはできないはず。


「お嬢様は、お嬢様のベストを尽くしてくださいませ」

「はい」


 そして、その紅白戦の日がやってきた。










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