「ジャン、大丈夫?」
椅子が片付けられ、パーティーの準備ができるまで、私たちは壁際で待機していた。
「うん。なんとか。ありがとう」
「お似合いでございますよ。華美な参加者の中で、制服のお二人はひときわ輝いておられました!」
朝とは意見を変えたアビゲイルが、私たちを
「お嬢様、答辞もお見事でございました」
「本当に伯爵夫人そっくり……今日のお姿をご覧になったら……いえいえ、天国からご覧になっているに違いございません」
「ジャン・ペリエ様のご両親は?」
「店を空けられないって……」
寂しそうな顔。
「でも、オーリィもご両親じゃないんだね」
「……ええ。父は前線から離れられないし……」
アビゲイルがジャンに手を差し出して、
「ジャン様、お嬢様のダンスのリードをお願いいたしますね」
「うん、オーリィ……激しいのは無理だけど……パヴァーヌくらいなら」
昨日の怪我の酷さを知っているんですもの。曲を選ぶのは当然だわ。
「そうよね。他のダンスは、お話ししながら見学しましょう」
執事が動いてくれた。
「失礼。ジャン様とお嬢様に椅子を……」
呼び止められた在校生が、二人分の椅子を置いていった。
「あ、音楽が始まった」
「ほんと」
卒業式のけたたましい国歌演奏と違って、落ち着いた室内楽が流れている。
天井もさっきまでとは打って変わって、金星のように明るく輝く星々とテープで飾られていた。
「皆様方、ちょいと失礼、お料理が参りました」
エプロンを着けた男女が、ご馳走を満載した長テーブルを運んで来て、壁際にすえた。
「ジャン、座っていて。お料理を取ってくるわ」
ずらりと並ぶとりどりの料理。美味しそう!
「僕が行くよ、女性を、ましてや伯爵令嬢にそんなことは……」
「では私が行ってまいります。好き嫌いはございませんね?」
アビゲイルがにこにこしながら腰を浮かせかけた私を制止した。
「ありがとう。あと、二人も食べてね」
「もちろんでございますとも!」
アビゲイルがいそいそと料理コーナーへ移動する。執事も後に続いた。二人きりになってジャンとゆっくり話をしようと思っていたのだけれど、
「あら、こんなところにいたわね。オーロール」
イライザがやって来た。
鮮やかな藍色のドレスに真珠の編み込まれたレース。
そして横には中年の男性。
お父上のデュポン氏? いや、違う。
「オーロール・モランジュ、あなたのダンスのペアにどう? 私の従兄弟でうちの商会の重役よ」
ジャンが息を呑む音が聞こえた。
「……ええ……いえ、私の相手は……」
「おやめなさいよ、そんな貧乏人」
イライザ、なんて失礼な!
「私がいいお相手を見つけてあげたわ。仕事熱心で、今まで女性とご縁が無かったの。どう?」
そんな、家畜をかけ合わせるような無礼さで!
ジャンの顔が青ざめている。
「オーリィの相手は僕だ」
「おやまあ、イライザ・ノル・デュポンにそんな口のきき方をして良いのかしら?」
「イライザ、止めて。その男性にも失礼よ」
イライザは恨みのこもった目で私を
「首席! さぞ良いご気分でしょうね。オーロール・モランジュ」
「……それは先生方が決めたことで……」
魔法学校を卒業したんですもの、あなただって自信を持って良いのに。
「だいたい、今も椅子に座り込んでいる死にぞこないが、ダンスなんてできるの? 最初はいつも通り、モレスカよ」
モレスカは手を
「……後で、パヴァーヌだけを二人で踊るの」
「だから、こっちにしなさいって。彼と結婚すれば、デュポン商会としてあなたの研究資金を援助してあげても良いわ」
「お断りします」
「イライザ、もう僕たちに構わないでくれ」
ジャンが羽根ペンを取り出した。また「沈黙!」の魔法を使うの?
「ジャン、あなたって時代遅れね。もう印刷の時代なのよ。羽根ペンなんて使う人はいなくなるし、あなたのお店も……おっと」
ジャンが飛ばした鉛色の「沈黙!」の呪文を、イライザは手にした扇で払い除けた。
ピシッと小さな稲妻が走る。
「さあ、オーロール、立ってこの男性の手を取りなさい」
言葉に支配的な魔力がかかっているのを察知して、私も振り払う。足元に灰色のモヤが落ちたので「消滅!」と指先から小さな炎を出して焼き尽くす。
そして、イライザの横の男性に、
「……失礼いたします。先約がございますので」
と、丁寧に詫びる。この人に罪はないわ。恥をかかせて申し訳ないけれど、苦情があるなら連れてきたイライザに言ってちょうだい。
「言うことを聞きなさいったら! 卒業式用の晴れ着も買えない貧乏人!」
「僕はそのとおりかもしれないけれどオーリィまで侮辱するな!」
ジャンがとうとう立ち上がった。
はあはあと苦しそうな息遣い。
「良いわよ。ジャン。昨日は良くも恥をかかせてくれたわね。うちの商会の圧力で、あなたのちっぽけな文房具屋なんて、すぐに潰してあげる」
ぶるぶるとジャンの拳が震えた。
「卑怯だぞ……イライザ」
「あら、イライザ・ノル・デュポンとお呼びなさい。この国の、時代遅れのお荷物が!」
「卑怯者……」
「それしか言うことは無いの? オーホホホッ、これが商売のルールよ」
私は、ジャンの手を握ろうとした。
いいえ、イライザ、そんな獣のようなルールを持ち出さないで。
私たちは人間。
それも、高い倫理が求められる魔法使いじゃない。
「……イライザ」
私が口を開きかけた時、ジャンは私の手を振り払った。
「ジャン!」
「ごめん、僕が相手じゃ、君の……伯爵家の権威に傷が付く」
「違うわ!」
「オーリィ、ありがとう。楽しかったよ」
ジャンは人混みをかき分けて講堂の出口に向かった。
待って。
待って。
待って!
後を追おうとした時、両手にお皿を持ったアビゲイルに呼び止められた。
「お嬢様、どうなさったんです?」
「後で説明します……ジャン!」
イライザの高笑いが続いていた。
「……来ないでくれ」
ジャンの返事が遠くから聞こえた。
音楽のテンポが速くなった。モレスカが始まるのだわ!
「卒業生は中へ!」
私は誰かに押されて、ジャンを追えなくなった。卒業生はリボンを着けているから、一目で分かる。
「首席! 中の輪へ!」
待って、待って、ジャンも卒業生なのに!
「モレスカ!」
掛け声とともに、音楽はいっそう速く、リズミカルになった。
「ごめんなさい、通して……」
外側の在校生の輪が邪魔で、通れない。
賑やかな音楽。
回る生徒たち。
通して!
「そんなことはない」とジャンに伝えなければならないの。
身分違いを気にするような伯爵家なら、どうしてお父様は「ノル」の称号を捨ててまで、
「オーリィ!」
音楽より大きな声がして、私の腕をリュックがつかんだ。彼もダンスの輪から離れている。
「イライザが……ジャンをひどく侮辱して……」
「……え?」
「ジャンが、外に行ってしまったの!」
リュックは、笑いながら踊っているイライザをにらんだ。
「どこまで弱い者いじめを……イライザ!」
私はジャンがどこへ行ったか気が気ではない。
「通してください!」
在校生が握り合っている手の間を、無理やり押し通る。
その外は、さらに保護者が輪になって回っている。
「モレスカ! モレスカ!」
「……お願い、通してください!」
通れない。
ジャン、行かないで!
ダンスに熱狂する人いきれと激しい回転で、私は気分が悪くなってしまった。
「うっ……」
口を押さえて座り込む。
フェニックスがいてくれたら一飛びなのに。
「ジャン、待って……」
「お嬢様!」
異変に気付いた執事がふらつく身体を支えてくれた。
「お嬢様、モレスカで目が回って?」
「違うの。ジャンがどこへ行ったか知らない?」
「も、申し訳ございません……」
いくら探しても、ジャンの姿は無かった。
イライザに、身体も心も傷つけられたまま……。
私は、ジャンを守れなかった自分の弱さを、心から恥じた。