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第22話 気まぐれな命令

 講堂の外まで探したけれど、ジャンはどこにも居なかった。


 すごすごと肩を落として講堂に帰ると、執事とアビゲイルが迎えてくれた。


「お側を離れて申し訳ございません」


 頭を下げる執事とアビゲイル。


「いいえ、行ってと言ったのは私だから、謝ったりしないで」


 笑顔を作って、


「生きてるんですもの、ご飯は食べなきゃ」

「お嬢様、何か召し上がりますか?」


 食欲は無かった。


「お水を少し」

「はいっ!」


 アビゲイルが飛んでいく。


 優雅にパヴァーヌを踊るペアが、講堂に広がっていた。

 音楽に乗ってステップを踏み、近づいてお辞儀をしたら腕を組んで一回転、そしてまた離れ、笑顔で目を見交わす。

 ペアの相手を代えて踊ることを楽しんでいる人たちもいる。

 きらびやかな衣装の波が揺れて……。


 でも、ジャン、あなたはどこに行ってしまったの? あなたと踊るという約束を守って、私は壁の花になっているわよ。


「首席、どうした? ダンスの相手が見つからないのか?」


 からかうような声に顔を上げると、アンリ王子がお供を連れて立っていた。


「……気が付かず……失礼いたしました」


 私は姿勢を正して礼をする。


「制服は興ざめだが、踊るか? どうだ?」


 音楽は穏やかなパヴァーヌ。これはたいていペアで踊る曲。ジャンとはこれを踊ろうと思っていたのに。


 困ってしまった。

 王族の言葉は命令に等しい。

 でも、ジャンとした約束を破りたくはない。


「……大変、光栄に存じます……」


 緊張で息が浅くなる。


「申し訳ございませんが……先約が、ございまして……」

「断るのか!」


 王子の灰色の目を見ていられなくなって、私は顔を伏せた。


「……申し訳、ございません……」


 王子が手を動かすのが、目の端に映った。


「無礼者!」


 別の誰かの声がして、銀色の筋が私に向かってきた。


「きゃっ!」


 ガツン!

 青白い火花が散る。

 無意識に張った障壁が、長い剣を受け止めていた。


「な!」


 驚く声に、私は目を上げる。

 王子のお供の一人が、抜いた剣を受け止められてあたふたしている。

 パーティー会場で、乱暴なことを……。


「ちょっと脅かすつもりだったが、可愛げのない……そのまま腰を抜かせばゆるしてやったものを」


 いえいえ、アンリ王子、脅すつもりで、剣は困ります。


 お供は、剣の刃の欠け具合を確かめているわ。

 魔法の障壁は剣の刃より硬い──竜のウロコ並み──から、欠けているかもしれない……というより、早くその物騒な物をしまって!


「お嬢様!」


 執事が私の前に出た。

 広い背中が頼もしい。


「殿下、おたわむれが過ぎます。ここは女性の意思を尊重してくださいませ」

「貴様まで私に楯突たてつくつもりか!」


 執事の脚は細かく震えている。


「決してそのようなことは……」


 ごめんなさい、権威に逆らうような真似をさせてごめんなさい。


「ただ一曲、踊れば赦してやる」


「はい」と言うのよ、オーロール。

 王族の気まぐれを軽視するのは、社交界では厳禁よ。

 でも……。


「……申し訳ございません」


 チッと舌打ちの音がした。


「頑固な女だ。全く可愛げが無い」

「防衛線にしがみついている無能元帥の娘らしいですな」


 笑い声混じりにお供が言った。

 何がおかしかったか、王子はゲラゲラ笑う。

 キュッと唇を噛んだ。


「殿下、お嬢様や伯爵を侮辱するのはお止めください。連絡を差し上げれば、か弱い女性や私のような下賤な者ではなく、元帥ご自身が剣を抜かれます」


 執事が言ってのけた。

 お父様は、魔法も剣も使える。

 モランジュ家は名誉を重んじる家柄、相手が王子といえども、侮辱されれば決闘を申し込むだろう。


 アンリ王子は言葉に詰まっている。


「殿下! ここにいらっしゃいましたか!」


 リュックと腕を組んだイライザだ。

 まだ弱い者いじめをしたいの?


「パーティーにふさわしい衣装も用意できない首席なんて、魔法学校の恥さらしですわ」


 イライザが、自分から王子に手を差し出した。


「次の一曲、私といかがですか?」


 私は思わずリュックの顔を見た。

 パートナーの裏切りに、怒りよりも驚きが先に立っているのか、目を丸くしている。


「イライザ・ノル・デュポン……美しいな。よし、次の曲はお前とだ」


 アンリ王子は、この僥倖ぎょうこうを逃すまいとでも言うかのように、イライザの手を取った。


「参りましょう、こんなインク臭いところは嫌ですわ」


 追い出したジャンにさらに侮蔑の言葉を浴びせ、イライザは紺色のドレスを翻した。


「……なんだい……」


 置き去りにされたリュックがボソッとつぶやいた。イライザの変わり身の速さに呆然としている。


「リュック、大丈夫?」

「ああ……イライザらしいと言えば、イライザらしいや」


 彼は大きなため息をついた。


「将来の男爵夫人にしろと散々迫っておいて、なんだい……」

「聞いて、リュック。ジャンがどこにも居ないの」

「本当に講堂からいなくなったのかい?」

「この周りにも居ない」


 リュックは腕を組んで、


「もしかしたら家に帰っちゃったのかも」

「なら良いけど、あの身体だし」


 リュックも昨日の紅白戦に参加していて、イライザがジャンに瀕死の重傷を負わせたのは見ている。


「リュック様、お嬢様、今のうちに少しでも召し上がれ」

「うん、ありがとう」


 フレッシュチーズにミントを載せたカナッペを、アビゲイルが運んできた。


「ありがとう」


 リュックは一口で食べる。


「魔法学校の食堂ともお別れか……」

「卒業生なのだから、また来ても歓迎してくれるわよ」

「そうだな。手柄を立てて……魔族の首領を討ち取って凱旋してやるよ」


 その時、私は不意に魔王ダリオンのことを思い出した。

 あの、カラスのような黒い翼、ねじれた角、そして、燃える熾火おきびのような赤い目。


 その目は好奇心に輝いていて、敵意は感じられない。私を昏倒させただけで見逃してくれたし、悪い人じゃなかったのかも。

 それに「また会うやも知れぬ」と言っていたわね。そんなことが可能なのかしら。


「オーリィ、どうかした?」

「あ、いえ、なんでもありません」


 シャンドリュー王国をおびやかしている魔族の王に好意を持つなんて、あり得ない。

 だいたい、魔王に名前が知られている私は、この瞬間も監視されているのかもなのよ。


 ブルッと震えが来て、私は一度手にしたカナッペを皿に戻した。

 やっぱり、エリゼ先生に名前のことを打ち明けよう。この秘密は、一人で抱えるには重すぎるわ。


「オーリィ? ジャンのことなら、きっと心配ないよ」

「だったら、いいんだけど……リュックも身体には気を付けてね」

「ありがとう」


 通りかかった給仕の盆から、七色に輝くドリンクを取って、私に手渡してくれる。


「首席での卒業、おめでとう」

「「おめでとうございます。リュック様、お嬢様」」


 執事とアビゲイルがハモった。


「リュックのご家族はどこ?」

「来てないよ」

「え」


 リュックはニコッと笑った。


「もう大人だから、付き添いはいらない。それに、軍に入るんだ。僕の不在には慣れてもらわないと」


 そうなのね……いろいろな考え方があるわね。


「オーリィの研究が上手くいくように祈っているよ」


 そうだわ、エリゼ先生に弟子にしてもらえるか聞くのを忘れていた。

 先生方はジャンにかける回復魔法で手いっぱいだったし。


 紅白戦には参加したし、自分としては精いっぱい頑張ったんだけど……。


「魔族の弱点を見つけてくれ」

「え、ええ……できるだけ……」


 その時、イライザとパヴァーヌを一曲踊り終えたアンリ王子が戻ってきた。


 薄ら笑いを浮かべたその顔に、嫌な予感が胸をよぎる。


「お前は首席だったな。女の身であってもさぞかし強力な魔法が使えるのであろう。実際、先ほどの障壁も見事だった」


 薄ら笑いがはっきりニヤニヤ笑いに変わった。


「加えて、昨日深傷ふかでを負った仲間の生命を救ったな。たぐまれなる回復魔法の使い手とみえる。戦場では貴重だ」


 そして、決定的な王子の言葉が吐かれた。


「オーロール・モランジュ。回復役として我が軍に加われ」


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