講堂の外まで探したけれど、ジャンはどこにも居なかった。
すごすごと肩を落として講堂に帰ると、執事とアビゲイルが迎えてくれた。
「お側を離れて申し訳ございません」
頭を下げる執事とアビゲイル。
「いいえ、行ってと言ったのは私だから、謝ったりしないで」
笑顔を作って、
「生きてるんですもの、ご飯は食べなきゃ」
「お嬢様、何か召し上がりますか?」
食欲は無かった。
「お水を少し」
「はいっ!」
アビゲイルが飛んでいく。
優雅にパヴァーヌを踊るペアが、講堂に広がっていた。
音楽に乗ってステップを踏み、近づいてお辞儀をしたら腕を組んで一回転、そしてまた離れ、笑顔で目を見交わす。
ペアの相手を代えて踊ることを楽しんでいる人たちもいる。
きらびやかな衣装の波が揺れて……。
でも、ジャン、あなたはどこに行ってしまったの? あなたと踊るという約束を守って、私は壁の花になっているわよ。
「首席、どうした? ダンスの相手が見つからないのか?」
からかうような声に顔を上げると、アンリ王子がお供を連れて立っていた。
「……気が付かず……失礼いたしました」
私は姿勢を正して礼をする。
「制服は興ざめだが、踊るか? どうだ?」
音楽は穏やかなパヴァーヌ。これはたいていペアで踊る曲。ジャンとはこれを踊ろうと思っていたのに。
困ってしまった。
王族の言葉は命令に等しい。
でも、ジャンとした約束を破りたくはない。
「……大変、光栄に存じます……」
緊張で息が浅くなる。
「申し訳ございませんが……先約が、ございまして……」
「断るのか!」
王子の灰色の目を見ていられなくなって、私は顔を伏せた。
「……申し訳、ございません……」
王子が手を動かすのが、目の端に映った。
「無礼者!」
別の誰かの声がして、銀色の筋が私に向かってきた。
「きゃっ!」
ガツン!
青白い火花が散る。
無意識に張った障壁が、長い剣を受け止めていた。
「な!」
驚く声に、私は目を上げる。
王子のお供の一人が、抜いた剣を受け止められてあたふたしている。
パーティー会場で、乱暴なことを……。
「ちょっと脅かすつもりだったが、可愛げのない……そのまま腰を抜かせば
いえいえ、アンリ王子、脅すつもりで、剣は困ります。
お供は、剣の刃の欠け具合を確かめているわ。
魔法の障壁は剣の刃より硬い──竜のウロコ並み──から、欠けているかもしれない……というより、早くその物騒な物をしまって!
「お嬢様!」
執事が私の前に出た。
広い背中が頼もしい。
「殿下、お
「貴様まで私に
執事の脚は細かく震えている。
「決してそのようなことは……」
ごめんなさい、権威に逆らうような真似をさせてごめんなさい。
「ただ一曲、踊れば赦してやる」
「はい」と言うのよ、オーロール。
王族の気まぐれを軽視するのは、社交界では厳禁よ。
でも……。
「……申し訳ございません」
チッと舌打ちの音がした。
「頑固な女だ。全く可愛げが無い」
「防衛線にしがみついている無能元帥の娘らしいですな」
笑い声混じりにお供が言った。
何がおかしかったか、王子はゲラゲラ笑う。
キュッと唇を噛んだ。
「殿下、お嬢様や伯爵を侮辱するのはお止めください。連絡を差し上げれば、か弱い女性や私のような下賤な者ではなく、元帥ご自身が剣を抜かれます」
執事が言ってのけた。
お父様は、魔法も剣も使える。
モランジュ家は名誉を重んじる家柄、相手が王子といえども、侮辱されれば決闘を申し込むだろう。
アンリ王子は言葉に詰まっている。
「殿下! ここにいらっしゃいましたか!」
リュックと腕を組んだイライザだ。
まだ弱い者いじめをしたいの?
「パーティーにふさわしい衣装も用意できない首席なんて、魔法学校の恥さらしですわ」
イライザが、自分から王子に手を差し出した。
「次の一曲、私といかがですか?」
私は思わずリュックの顔を見た。
パートナーの裏切りに、怒りよりも驚きが先に立っているのか、目を丸くしている。
「イライザ・ノル・デュポン……美しいな。よし、次の曲はお前とだ」
アンリ王子は、この
「参りましょう、こんなインク臭いところは嫌ですわ」
追い出したジャンにさらに侮蔑の言葉を浴びせ、イライザは紺色のドレスを翻した。
「……なんだい……」
置き去りにされたリュックがボソッとつぶやいた。イライザの変わり身の速さに呆然としている。
「リュック、大丈夫?」
「ああ……イライザらしいと言えば、イライザらしいや」
彼は大きなため息をついた。
「将来の男爵夫人にしろと散々迫っておいて、なんだい……」
「聞いて、リュック。ジャンがどこにも居ないの」
「本当に講堂からいなくなったのかい?」
「この周りにも居ない」
リュックは腕を組んで、
「もしかしたら家に帰っちゃったのかも」
「なら良いけど、あの身体だし」
リュックも昨日の紅白戦に参加していて、イライザがジャンに瀕死の重傷を負わせたのは見ている。
「リュック様、お嬢様、今のうちに少しでも召し上がれ」
「うん、ありがとう」
フレッシュチーズにミントを載せたカナッペを、アビゲイルが運んできた。
「ありがとう」
リュックは一口で食べる。
「魔法学校の食堂ともお別れか……」
「卒業生なのだから、また来ても歓迎してくれるわよ」
「そうだな。手柄を立てて……魔族の首領を討ち取って凱旋してやるよ」
その時、私は不意に魔王ダリオンのことを思い出した。
あの、カラスのような黒い翼、ねじれた角、そして、燃える
その目は好奇心に輝いていて、敵意は感じられない。私を昏倒させただけで見逃してくれたし、悪い人じゃなかったのかも。
それに「また会うやも知れぬ」と言っていたわね。そんなことが可能なのかしら。
「オーリィ、どうかした?」
「あ、いえ、なんでもありません」
シャンドリュー王国をおびやかしている魔族の王に好意を持つなんて、あり得ない。
だいたい、魔王に名前が知られている私は、この瞬間も監視されているのかもなのよ。
ブルッと震えが来て、私は一度手にしたカナッペを皿に戻した。
やっぱり、エリゼ先生に名前のことを打ち明けよう。この秘密は、一人で抱えるには重すぎるわ。
「オーリィ? ジャンのことなら、きっと心配ないよ」
「だったら、いいんだけど……リュックも身体には気を付けてね」
「ありがとう」
通りかかった給仕の盆から、七色に輝くドリンクを取って、私に手渡してくれる。
「首席での卒業、おめでとう」
「「おめでとうございます。リュック様、お嬢様」」
執事とアビゲイルがハモった。
「リュックのご家族はどこ?」
「来てないよ」
「え」
リュックはニコッと笑った。
「もう大人だから、付き添いはいらない。それに、軍に入るんだ。僕の不在には慣れてもらわないと」
そうなのね……いろいろな考え方があるわね。
「オーリィの研究が上手くいくように祈っているよ」
そうだわ、エリゼ先生に弟子にしてもらえるか聞くのを忘れていた。
先生方はジャンにかける回復魔法で手いっぱいだったし。
紅白戦には参加したし、自分としては精いっぱい頑張ったんだけど……。
「魔族の弱点を見つけてくれ」
「え、ええ……できるだけ……」
その時、イライザとパヴァーヌを一曲踊り終えたアンリ王子が戻ってきた。
薄ら笑いを浮かべたその顔に、嫌な予感が胸をよぎる。
「お前は首席だったな。女の身であってもさぞかし強力な魔法が使えるのであろう。実際、先ほどの障壁も見事だった」
薄ら笑いがはっきりニヤニヤ笑いに変わった。
「加えて、昨日
そして、決定的な王子の言葉が吐かれた。
「オーロール・モランジュ。回復役として我が軍に加われ」