腰が抜けた私を、執事とアビゲイルが屋敷まで連れて帰ってくれた。
その間じゅう、二人はブツブツ何か言っていた。
屋敷に帰って玄関のドアを閉めたとたん、
「伯爵様やご令息だけでなく、お嬢様まで! シャンドリュー王国はどこまでモランジュ家に献身を求めるのでしょう!」
アビゲイルがエプロンを顔に当てて、おいおい泣き出した。
普段は感情を表に出さない執事まで、
「お嬢様まで居なくなってしまったら、私めはいったいどなた様に仕えればよろしいのでしょう?」
と、オロオロしている。
従軍……。
まさか私がそんな危険なことをするなんて……。
「お父様に連絡しなくては」
緊急回線で、私はお父様に連絡を取った。
だって、本当に緊急なんですもの。
通信機の振動する水晶に指を当てる。
お父様、早く出て!
「何事だ? オーリィ?」
「お父様!」
相手がお父様だということを確認するとすぐに、私は自分がアンリ王子の軍に回復役としてスカウトされたことを告げた。
「……魔法史の勉強をすると言ってはいなかったか?」
「そのつもりだったのですが、紅白戦をご覧になったアンリ殿下の命令で……」
ダンスパーティーの
「大活躍でもしたのか?」
「いいえ! そんな……」
そこで私は泣き崩れた。
「お父様、私、怖い」
「オーリィ、回復役はほぼ後方に配置される。戦闘に巻き込まれる恐れは少ない。アンリ王子の目に留まったのは『ちょっとした不運』だったが、泣くのは止めなさい」
そうなの?
後方って、安全なところ?
「でも、お父様、リュックはたぶん前線に……」
「あのリュック坊やか。訓練も無しに若者を前線に送るほど、シャンドリュー王国軍は落ちぶれてはいない」
ホッとする。
「しかし、あのアンリ王子か……」
「どういうこと? お父様?」
「いや、なんでもない」
通信の内容は検閲されている。
元帥の立場で王族の批判はできない。
「アンリ王子の下での従軍は長く続かないだろうと思う」
慎重に言葉を選んだお父様の見解。
「お前には辛いかもしれないが、一時の辛抱だ」
ヒック、と泣きじゃくりを止めようとしながら、
「お父様、できるだけ、頑張ってみます」
「すまんな、オーリィ。私に力が無いばかりに」
いいえ! お父様は立派です。
「早く魔法史の勉強に戻れるよう祈っている」
「……は、ひゃい」
追い打ちをかけるように、夕刻、正式の召集令状を持ったアンリ王子からの使者が来た。
五日のうちに装備を整えて王宮に上がること……何から揃えよう。
フェニックスは連れて行くとして、他には何を?
食べ物?
だから、翌日、エリゼ先生が手伝いに来てくださったときは本当に安心した。
「来なさい。魔族討伐の装備はここで揃うわ」
路地の突き当たりにあるその店は看板も無く、外からでは何の店か分からない。エリゼ先生ご自身が利用しているお店なのかもしれないわ。
「へええ、エリゼさん、あんたがまた魔族とことを構えるとはね」
店主はシャツをまくって太い腕を組み、皮肉な声音で先生を迎えた。
先生はメガネの縁をクイッと持ち上げると、軽く店主をにらむ。
「私では無いの。魔王討伐に行くのはこの子なのよ」
ズイーーーッと、私の頭から足の先まで店主の視線が走った。
「こんなひ弱そうな女の子が?」
「今年の魔法学校の首席卒業生を
「へええ。いつから学校の質が落ちたんだい?」
「あなたが中退した時からかしら?」
私は白刃がぶつかるような二人の会話を、首をすくめて聞いていた。
「動きやすく、魔法の攻撃にも耐える丈夫な服をお願い」
「期限は?」
「明日まで」
「良いだろう。お嬢さん、採寸だ。こっち来な」
私はまずエリゼ先生の顔を見た。
先生はうなずく。
「……は、はい、お願いします」
「今着てるのは魔法学校の制服だね」
「はい」
「紳士淑女たれ、か。魔族に食われたら淑女もおしまいだ……うん、靴はそれでいい」
軍人のお父様と選んだ良質な靴を褒められて嬉しい。
店主は身長と腕の長さなどをざっくりと巻き尺で測って、
「デザインは任せてくれるな?」
「ひゃい、お願いします」
エリゼ先生がうなずいているので、そのまま話を進める。
「他にも
やれやれ、と店主は肩をすくめた。
「全くのど素人を魔族の地に送り込むつもりかい、エリゼともあろう人が」
「私はオーリィの能力を信じています」
店主は装備一式をカウンターに並べると、さほど大きくない背嚢に次々と放り込んでいく。
「これは特別な魔法で、持ち主の体重までなら負荷なく運べるの。フェニックスも入るわよ。もし、嫌がらなければ」
エリゼ先生の説明に、目をパチクリさせる。
便利! 後でどんな魔法がかかっているのか確認してみよう。
「で、料金だ。一式まとめて特急料金いただくぜ」
「……いかほどでしょう?」
「金貨三枚。まけてやるよ」
「それはやりすぎじゃない?」
「服まで要るんだろ?」
うーん、とエリゼ先生。
「先生、私が払いますから」
「……違うの。この店、舐められるとどんどん値上げしてくるから」
「俺とお前の仲だ。アコギな真似はしねえよ」
「……そういうことにしておきましょう」
「明日、服を取りに来てからで良い」
その翌日、お金を持ったアビゲイルと一緒に再び来店し、出来上がったという服を見て仰天した。
「これは……殿方の衣装ではありませんか?」
「違う。お前さん専用に縫い上げた服だ」
だって、スカート(?)は膝上だし、タイツだし……襟を詰めた異国風の上着だって、女性向けじゃないわ。
「色はお前さんの瞳に合わせた薄紫だ」
「……あの」
「そこの試着室で合わせてみな」
「……ひゃい」
着替えてみると、寸法はぴったり。
それに、確かにスカートより動きやすい。
王妃様に仕える少年のお小姓みたい。
「……これも……かわいいかも」
姿見に映った自分を見て、そう認めるしかなかった。さすがエリゼ先生
「アビゲイル、これ、どう?」
試着室からおずおずと首を出す。
「ま! お嬢様、お兄様たちにそっくり!」
「男っぽくない?」
「男装の麗人、といったところでございましょうか……よくお似合いです」
「……神様の教えに背かないかしら?」
店主の野太い声がした。
「神様なんぞ、魔族の前では何の力も無い。そもそも、神が人に善性を求めるなら、何で魔族なんかを作ったんだね?」
「それは……人間の信仰を確かめるため……」
「確かめなきゃならんような信仰なら、そもそも信じられなくても仕方ないんじゃないかね?」
アビゲイルが手を組んで天を仰いだ。
「神様、この言葉をお赦しください」
いえ、アビゲイル、魔法学校を聖職者エマニュエルに扇動された暴徒が襲ったのを忘れた?
魔法使いは、魔族への恐れと神への畏れの狭間にいるあいまいな存在よ。それは魔法を使う者が身にしみて知っていること。
「……エリゼはドレスにローブでダンジョンに入って苦労した。だから弟子には同じ思いをさせたくないんじゃないかね」
ゴツい手がトントンと私の肩を叩く。
「あのエリゼが弟子を取るほど誰かに心を許すとは驚きだ。良い弟子になって、エリゼの心の傷を癒してやってくれ」
「……いえ、まだ、私は弟子として認められたわけでは無くて……」
店主はゆっくり首を振った。
「無事に帰って来い。俺も待っている」
「あ、ありがとうございます」
「ダンジョンは魔王城を中心として北の地に水平に広がっている。エリゼたちが達した第七層は今や伝説だ。そこを超えなくても良い。必ず帰って来い」
「は、はい」
期待の大きさとミッションの困難さ……アンリ王子は分かっているのかしら?
「行ってきます」
私は店主に告げた。