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第7話 母とインチキおじさん

こんばんは。

今週も時間がありましたので、

母のエッセイを書きに来ました。

このエッセイを書いていることを母に言ったところ、

母がどんどん思い出話を語ってくれるようになりました。

私が知らなかった話もたくさん聞けるようになり、

このエッセイに関しましては、ネタ切れと言うものがなさそうな勢いです。

母との会話が少ないというわけではありませんでしたが、

母のことを知ることができるのが率直に嬉しいです。

母は元気でありますが、

そろそろ後期高齢者になります。

新しいことを覚えづらいなどの、ちょっとした症状が出てきました。

このまま歳を重ねていけば、

もっといろいろなことを忘れてしまうかもしれません。

母が高齢であるので、母の親戚も徐々にいなくなっていきます。

娘である私などがいますし、

私には妹たちがいますし、

妹たちにはそれぞれ母にとっての孫がいますけれど、

それでも、母の記憶をどれほど残せていけるだろうかと考えてしまいます。

私と言う存在自体が母が生きた証、

そう考えることもできますけれど、

母がどんなことを考えて生きてきたか、

どんな思い出を抱えてきたか。

母という生き様を残していきたいと思っています。

これからも、母から色々な話を聞きだして、

エッセイにしたためていきたいと思います。

母のことを知らない方たちの中に、

こんな女性が生きているという、

そんな生き様が残せるようなものを書いていきたいです。


さて、今回は、

母とインチキおじさんです。


ここで言うインチキおじさんとは、母のいとこにあたる方です。

母の父は、とにかく兄弟が多くて、

男が5人、女が2人であったと聞きます。

長男は米屋に代々伝わる名前を継いでいて、

次男からは、いわゆる二郎、三郎、と言う感じであったと聞きます。

インチキおじさんは、そんな、母の父の兄弟のうちの、

女の兄弟の息子にあたると聞きました。

余談ではありますが、

母は小学生時代、

お前んちは八郎までいるんだってなと言われたそうです。

そんなにいないと返したそうですが、

兄弟数の多さを聞く限り、八郎もあり得たかもしれません。

まぁ、とにかくそんな関係の、いとこのインチキおじさんと母のお話です。


インチキおじさんは、見た目がすでにインチキおじさんです。

映画やドラマなどに、わかりやすい詐欺師として登場させたのならば、

一目見ただけでこいつはインチキをするに違いないと思わせるほどです。

インチキおじさんもその見た目をよく理解しており、

俺みたいなのが詐欺をしようとしてもダメなんだと言います。

俺は詐欺をしそうな見た目をしているから警戒される。

本当の詐欺師は、詐欺をしなさそうな見た目をしているもんだと言われます。

そういわれればなるほどなと思うのですが、

いかんせん見た目が見た目ですので、

煙に巻かれたような気分になります。


インチキおじさんは、外見がそのようではありますが、

とても真面目な経歴を持っています。

鉄道が国鉄だった時代に働いていたり、

気象庁関係のお仕事もしていたと聞きます。

ただ、あっちこっち出張しては行先で奔放な性関係を持ったり、

宿舎で動物を飼って大変なことになったりと、

インチキでないところで意外と大変なことをしていたと聞きました。


母とインチキおじさんは、

幼い頃に近所に暮らしていて、

どちらの家も貧しかったと聞きました。

それもあってか、高齢になった今になっても、

元気にお互いの近況を話しつつ、

たまに冗談で罵りあったり、

片方がいないときには、

それでもあいつはすごいよななどと褒めていたりします。

貧しい時代を生き延びた戦友みたいな関係かもしれません。


さて、インチキおじさんは、

母が社長を務める会社が繁忙期の時に、

アルバイトで少しだけお手伝いに来てくれます。

母と冗談を飛ばしながらも、

お客への接客はとても丁寧で、

仕事の覚えも確かです。

見た目がコミカルなインチキおじさんであるからか、

お客様から笑顔を引き出すのが上手です。

会社のみんなからも信頼されていて、

インチキおじさんが繁忙期に来てくれると、

会社の仕事がスムーズに回るので助かっています。


見た目は確かにインチキおじさんですが、

その性格はとても真面目です。

見た目に合わせた冗談なども言いますけれど、

インチキおじさんがしていることはとても真面目です。

アルバイトの仕事のこともそうですが、

若いころ奔放に生きてきたからと、

今では配偶者をとても大切にしていると聞きます。

そもそも配偶者は最初から大事にしろとは、今の言い分かもしれません。

女遊びくらいしろという風潮は、

昭和の頃にはあったのではないかなと思います。

まぁ、それでも女遊びなどしないという男性もいたと思いますし、

そのあたりは個人レベルでいろいろな考え方があったでしょう。

ただ、インチキおじさんは昭和の時代に女遊びをして、

あっちこっちでいろいろな趣味に明け暮れて、

配偶者にとても迷惑をかけてしまったと、

今では配偶者に寄り添って生きているようです。

おそらく根が真面目なのだと思います。

インチキおじさんの子供や孫からは、

とても嫌われているとインチキおじさんが言っていましたが、

インチキおじさんの真面目さが、見た目で伝わっていないことと、

インチキおじさんが若い頃にしてきたことが、

許されていないこともあるのかもしれません。

親子というものは、難しいものです。


インチキおじさんが繁忙期にやってくると、

母とインチキおじさんは、親戚の話をされます。

母の父の兄弟のこと。

親戚の誰かのこと。

私が把握できていない親戚の方の話がどんどん出てきます。

その中にはもう亡くなられた方もいて、

インチキおじさんは、亡くなられたその方の生前に、

病院に通ったりしていたようです。

母は、あんたは真面目だからと言います。

インチキおじさんはそんなことないなどと言いつつ、

世話になったからなぁ、などと言います。

母とインチキおじさんの中には、

同じ時代を生きた、いとこと言うもののほかに、

たくさんの思い出があるのだろうと思います。

それらの思い出の中には、

亡くなられた方の記憶の共有もあるのだと思います。

あいつはいい奴だったと、亡くなった方を語るたびに、

ああ、この中には割って入れないなとも思いますし、

母を形作る記憶の中には、

まだまだ私が知らないことがあるのだとも感じます。

すべては聞けないかもしれませんが、

母がつらくなければ、

たくさんの思い出話を聞きたいと思います。

亡くなられた方とのこと、

親戚の方のこと、

それから、インチキおじさんとの記憶ももっと聞きたいです。

母が語れるのならば、

私はもっと聞きたいと思うのです。


今回は、母のいとこのインチキおじさんについてでした。

また、時間がありましたら、母のエッセイを書きに来ます。


ではまたいずれ。

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