こんばんは。
今週も時間ができましたので、
母のエッセイを書きに来ました。
母は新しいことが覚えづらくなってきていて、
私をはじめとした娘たちのフォローや、
娘たちの配偶者のフォローが入っています。
孫はさすがに母のフォローは無理かもしれませんが、
もうすぐ一歳になる孫はかわいいらしく、
母は良きばぁばになっています。
それもまた、最高のフォローであるのかもしれません。
母は、新しいことが覚えづらくなった分、
古い記憶が表に出てきているのか、
思い出話を繰り返してくれることが増えました。
その中には私の聞いたことのないお話もたくさんあります。
昔話と言えばそうかもしれません。
おとぎ話と紙一重かもしれませんが、
母が感じたことや思い出などによる昔話です。
母の記憶に刻まれた物語です。
新しいことは覚えられないかもしれませんが、
母にはまだ語る物語がたくさんあります。
昔話はまだまだあります。
歴史として残っていない、母という個人の物語です。
偉い人ではありません。
この時代を懸命に生きている普通の女性です。
母の思い出の話を聞きながら、
私は今度はエッセイとして何を書こうかと考えるのです。
今回も、母の記憶が雨と降ります。
今回は、母とお金持ちについてです。
何度か母のエッセイに書きましたが、
母の実家は貧乏でした。
戦後間もない時代でしたので、
お金持ちという人が少なかったかもしれません。
それから母が成長するにしたがい、
日本も戦後の復興をしていくのだと思いますが、
今回は、幼い頃の母と、お金持ちということについてです。
母の幼い頃には、近所に貸本屋というお店があったようです。
聞いている話ですと、漫画などを置いてあって、
貸本屋で読んでいくと3円、
持ち帰りで5円と聞いたような気がします。
母が貸本屋にいると、
同級生らしい男の子が貸本を立ち読みしながら、
魚肉ソーセージにかぶりついていたと聞きました。
母はそのことに衝撃を受けたそうです。
なぜかと言いますと、
母の家では、魚肉ソーセージ一本を薄く切って、
お皿に並べてソースをかけただけのものが、
晩御飯のおかずであったからです。
母の家族は、母のおじいさん、母のおばあさん、
母の父、母の母、それから母たち四兄弟。
そのくらいの家族であったと聞いています。
家族みんなの晩御飯のおかずのソーセージを、
その男の子は、
貸本屋で貸本を立ち読みしながらかぶりついているのです。
母は、こいつの家はなんてお金持ちなんだろうと思ったと言います。
幼い母のお金持ちというイメージは、
こんな些細なものでした。
また、昭和の表現としてちょくちょくあらわれる、
駄菓子屋というものも近所にあったようです。
毎日10円程度のお小遣いをもらって、
駄菓子屋で何を買おうか考えるのが母の楽しみであったようです。
ゼリービーンが10個でいくらだとか、
あんドーナツの小さいのが5円だとか、
そんな話を聞きました。
特にあんドーナツは、トレーのようなものに並んでいたようで、
お腹いっぱいあんドーナツを食べたいと思っていたようでした。
大きくなったら、このトレーにのっているあんドーナツを全部買って食べるんだと、
そんな野望を持っていたようでした。
母なりの大人買いの感覚であったのでしょうが、
小さなあんドーナツ5円程度が、
トレーにどれほどあったかはわかりませんが、
仮に当時のまま5円だとしても、
100円もあればお腹いっぱいになるだろうと考えます。
母の大人買いのイメージは、つつましいなぁと思うのです。
ただ、当時の幼い母としてみれば、
あんドーナツの買い占めは、
お金持ちになったらできることであったのだろうと思います。
母のお金持ちのイメージは、こんなところでもささやかです。
母は、お金持ちのイメージが上手くできていないのではないかと思いますが、
それはそれで、地に足のついた生き方をしているものかと思います。
フワフワしたお金持ち像に届かないことを嘆くよりも、
手の届く範囲でのお金持ち像に届けばいいと考えるのは、
堅実に生きていけそうな気がします。
現に母はむやみやたらな無駄遣いはせず、
かといって、過剰な倹約もしない、堅実な金銭感覚を持って母になりました。
地に足のついたお金持ち像を見てきたというのは、
母の成長にいい影響があったのではないかと思います。
母が真面目に育ったことで、
娘たちもしっかり育ったと思います。
とにかくギャンブルで一発逆転を考えることもなく、
金が儲かると言われて騙されることもなく、
水商売に貢ぐこともなく、
そうして生きてこれたのは、
母の金銭感覚が、まっとうであったからだと思います。
この金銭感覚に育てられたことを、私は幸せだと感じます。
最後に、母とお金持ちのお話としまして、
こんなことも話していたというものをご紹介しましょう。
母は幼い頃、近所のおばさんに得意げに語ったことがあると聞きました。
それは、母は大きくなったらお金持ちになって、
毎日レースの服を着るのだと。
レースの服以外は着ないのだと。
お金持ちはレースの服を着るのだということが、
母なりのイメージであったようです。
近所のおばさんは微笑んで、
レースの服だけ着るんだねと、繰り返してくれて、
母は、そうなんだと答えたと言います。
レースの服なんてばかばかしいと言わずに、
おばさんは母のお金持ちのイメージを壊すことなく、
母を受け入れてくれたのだなと思います。
レースの服なんてどこでイメージしたのかと思いましたが、
いわゆる、漫画にあるようなお姫様のドレスのようなものを表現するのに、
幼い母はレースの服としか表現ができなかったのかもしれません。
お姫様はお金持ちで、レースの服を毎日着るものだと。
そんなイメージになった上での、おばさんとの会話だったのかもしれません。
今の母は、レースの服なんて何考えてたんだかねと、
当時を明るく笑い飛ばしますが、
幼い母の中では、大人になったらお姫様みたいになりたいという、
夢はあったのかもしれません。
戦後間もない時代であっても、
多分今現代においても、
幼い女の子の空想するお姫様像の根元は似ているのかもしれません。
お姫様はお金持ちで広いお家に住んでいて、
きれいな服を着て、大変なことは何一つない。
このあたりの、幼い女の子の想像するお姫様は、
時代を問わないような気がするのです。
母はレースの服など着ませんが、
あの頃よりはお金持ちになりました。
生活には困らなくなり、
あんドーナツもソーセージも好きなだけ食べられます。
それでも、これ以上もっとお金持ちになろうとはあまり考えていなくて、
あの頃に比べたら恵まれた生活だと笑います。
お金持ちはお金を持っているものではありますが、
このくらいで十分だと、満たされた気持ちになることが、
お金を増やすことよりも必要なのかもしれないと思います。
もっともっとお金を増やさなくてはいけないとか、
そんなことを母が言っているのを聞いたことがありません。
生活に困っているという旨のことも、
母から聞いたことがありません。
貧しいことを経験した母だから、
身の丈にあったお金の使い方をしているのでしょう。
母は、大金持ちではないかもしれませんが、
豊かな生活を送れていると、私は思います。
多分、本当の意味で、豊かさとはこんなことではないのかなと思います。
今回は、母とお金持ちについてのお話でした。
また、時間がありましたら、
母のエッセイを書きに来ます。
ではまたいずれ。