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第10話 母と怖いおじさん

こんばんは。

今週も時間がありましたので、

母のエッセイを書きに来ました。

世間はゴールデンウィークです。

このエッセイを執筆している今日は、

実家に、娘たちとその配偶者と、母にとっての孫が集まって、

バーベキュー大会をしました。

特に、もうすぐ一歳になる男孫にとっては、

初節句と、誕生日祝いということで、

それはもう楽しいものになりました。

母も笑顔が絶えませんでした。

娘や孫に囲まれながら、

思い出話をいくつも話してくれます。

私や、私の妹たちも、

この話そうなったんだよねなどと、

相槌をうったり、

孫も興味津々で聞いています。

こうして母の記憶が誰かに残っていてくれたならば、

それはとても素敵なことです。

私は小説を書くことができますので、

こうして、エッセイとして母の記憶を残していきます。

娘たちや、その配偶者や、孫たちに残る母の記憶。

それらにある記憶も残しつつ、

母がこう思って生きていたということを、私も残していきたいと思います。

もっといろいろな話を聞いて、

たくさんのエッセイに仕立てていきたいと思います。

それは雨がずっと降り続くように。

今回も、母の記憶が雨と降ります。


今回は、母と怖いおじさんのお話です。


母の幼い頃の話が多くなっているので、

もう少ししたら、時間の系列バラバラにして、

もっといろいろな時代の母を書こうと思いますが、

今回までは、母の幼い頃のお話です。

母の父には、兄弟がいて、

母の父は次男。母の父の男兄弟は合わせて五人。

それから、女兄弟が二人の七人兄弟という構成であったようです。

今回語る怖いおじさんとは、

母の父の末の弟のおじさんです。


母の父の男兄弟は、

長男は代々受け継がれてきた名前を付けられて、

次男以降は、二郎、三郎となります。

末の弟の怖いおじさんは、五郎おじさんと言います。

五郎おじさんは、いわゆる不良でした。

小さな田舎町では、

泣く子も黙ると言われた五郎おじさんでした。

幼い母が見ていないだけで、

ケンカも相当したのでしょうし、

物を壊したりもしたのかもしれません。

とにかく恐れられた不良であったようでした。

昭和の初期のころの不良ですから、

令和の今の不良より、

かなり無茶をしていたのではないかと思います。

今の価値観で言う目立ちたいだとか言うこともないように思います。

バズるために迷惑なことをするというものがないように思います。

過去の価値観を美化するわけではありませんが、

五郎おじさんは、自分で選んで不良になり、

我が道を行っていたのだと思います。

ただ、その我が道を進むことで、いろんな方に迷惑をかけたのだと思いますが、

五郎おじさんは、それらも受け止めて、

自分の責任として不良をやっていたのではないかと思います。

かけた迷惑がチャラになるわけではありませんが、

昭和初期の価値観と、今の価値観は違うのかなと思います。


母と五郎おじさんについて、こんな思い出話がありました。

ある時、母が、母の姉からお下がりのスカートをもらいました。

母の姉は4つ違いで、母へのお下がりのスカートは、

幼い母には長すぎるものでした。

子どもの成長は早いものです。

4歳でかなりの成長をします。

4歳差の母の姉からもらったものは、

母にしてみれば長すぎるスカートであり、

こんなスカート嫌だなと思って、

大泣きしたのだといいます。

その大泣きを聞いていたのが、五郎おじさんでした。

五郎おじさんは母の大泣きに怒って、

そんなに長いスカートが嫌ならば、こうしてやると言って、

母が嫌がっていたスカートを、鋏でじょきじょきと切ってしまいます。

母は呆気にとられました。

泣いていたらスカートを鋏で切ってしまうとは、

そこまでやってしまうのだとも思ったとも聞きました。

とても怖いエピソードです。


さて、このお話には続きがあります。

スカートじょきじょき事件から少し経った頃、

五郎おじさんの当時の恋人が、

お裁縫をしているところに母がやってきました。

この当時の恋人は、後に五郎おじさんの奥さんになる方です。

お裁縫をしているのはスカートであるようです。

昭和初期のころは、洋裁和裁などができる方も多かったのではないかと思いますが、

このあたりは私の憶測なのでそんな感じがしているだけで流してください。

さて、五郎おじさんの当時の恋人が、

スカートを仕立てている周りで、

母は、いいなぁ。そんなスカートを履ける幸せな女の子は誰だろうなぁと。

そんなことを思っていたそうです。

スカートが仕上がると、

五郎おじさんの恋人は、スカートを母に渡します。

このスカートが履ける幸せな子は私だったんだと母は喜んだと聞きました。


今思えば、たまたま五郎おじさんの恋人がスカートを縫っていたとは考えづらく、

五郎おじさんが裏で、恋人に頼んでいたのではないかと思います。

表で不良をしていて、

母の前でスカートを切り刻むなどをした手前、

今からお前に代わりのスカートを作ってもらうからな、

などと言うこともなかったのだろうと思います。

泣く子も黙る不良というのは、

こんなところがとても不器用なのだと思います。

憶測ですが、スカートの布地のお金なども出していたに違いないと思うのです。

多分スカートを切り刻んだことに対して謝ることもできなかったのだと思います。

昭和の不良なりのプライドみたいなものがあったのかもしれませんし、

悪いと思っていても引けなかったのだろうと思います。

だから、恋人にスカートを作ってもらって、幼い母に渡した。

五郎おじさんは、とても不器用な方でした。


五郎おじさんは怖いおじさんではありましたが、

姪っ子である母を憎んでいたわけでなく、

多分自然に接することができなかったのではないかと思います。

母が成長していって、結婚などをして、

正月に実家で親戚が集まって宴会をするときなど、

親戚の中に五郎おじさんがいて、

楽しそうに笑っていたと聞きました。

あの時の不良の面影があったかどうかは聞けませんでしたが、

怖いおじさんも歳を重ねれば丸くなったのでしょう。


今はもう、母の父の男兄弟はみんな故人であると聞きました。

五郎おじさんも亡くなっているのです。

泣く子も黙る不良だった五郎おじさんも、

すっかりおじいさんになって、旅立ったのでしょう。

若い頃は昭和の不良でしたが、

時代の荒波と、年とともに重ねていく経験で、

棘がすっかり取れたのだろうと思います。

以前のエッセイで書いたインチキおじさんが、

五郎おじさんの老後の面倒を見ていたと聞きました。

インチキおじさんは見た目がすごくインチキですが、

こんなところがとても義理堅い方です。

五郎おじさんの奥様の面倒も、

インチキおじさんが見ていると聞きます。

スカートの件を覚えているかはわかりませんが、

母は、五郎おじさんとスカートの件を覚えています。

母の中で五郎おじさんの印象として、

切り刻まれたスカートと、母のために仕立てられたスカートがあって、

どちらも五郎おじさんのかかわりのもとで生まれたものであり、

五郎おじさんの裏と表であるのかもしれません。


さて、今回も母の幼い頃中心のエッセイでしたが、

近いうちにもっと今寄りの母のエッセイが書ければと思います。

それでも、母の父についても書きたいとも思いますし、

母の母についてもいろいろ書きたいと思うので、

いつから現代寄りになるかはわかりません。

書きたいことは山ほどあります。

過去も現在も交差して、

母の記憶が雨のように降ります。


また、時間がありましたら、

母のエッセイを書きに来ます。


ではまたいずれ。

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