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第12話 母とテニス

こんばんは。

今週も時間が取れましたので、

また、母のエッセイを書きに来ました。

母は基本とても元気です。

体調は滅多に崩しません。

明るくポジティブなところを見せるように努めている人です。

ただ、つい最近体調を崩して、

それにともなってか、

少し弱気なところも見せるようになっていました。

年齢の所為か、物忘れも多くなり、

記憶に自信が持てないとこぼしていましたし、

言っていることや、意見などがころころと変わってしまいます。

直前の記憶も保てない時があるようです。

周りからフォローがあるのですが、

体調を崩した時は、迷惑をかけていると弱気になったり、

また、いろいろなことが理解できなくなって、

イライラしていたりもしました。

年齢を重ねていくと、このようなことが増えていくでしょう。

今は体調にともなってかもしれませんが、

これから先、体調のことがなくても、

母の記憶がめちゃくちゃになるかもしれません。

今、母の言葉をちゃんと聞いておかなくてはなと思います。

だんだん母は新しい記憶が保てなくなってきて、

古い記憶をたくさん語るようになっています。

その記憶を書き留めるのも、娘である私の役目であると思うのです。

母の体調は回復してきましたが、

母の記憶はだんだんと衰えていくと思います。

いろいろなことを忘れていってしまうと思います。

母は、波乱万丈の人生を送りました。

楽しいことばかりではない人生でした。

まだ死んではいないのにこんな語り方で申し訳ないのですが、

もし、母がこれから色々なことを忘れていくとしたら、

つらいことだけを忘れてくれたらなと思います。

楽しいことだけを覚えていてくれたら、

母もつらいことを思い出して、

悲しむことはないように思ってしまいます。

母がいろいろなことを覚えていて語れるうちに、

今日も母の記憶が雨と降ります。


今回は、母とテニスについてです。


母の趣味はテニスです。

40歳を過ぎてから始めました。

かれこれ30年以上のキャリアです。

はじまりが遅かったのと、選手になるためにやっていたわけでなかったので、

ものすごく必死になっていたわけでなく、

テニスを楽しむためにやっています。


さて、母とテニスのはじまりについてですが、

日本にバブルの余韻が残る頃、

母と、二人目の夫と、私たち娘たちは、

南の方の海外に旅行に行きました。

バブルがはじけてしばらくしましたが、

海外に日本人がそこそこ行けるほどの時代のことです。

母の二人目の夫は、金銭的に余裕のある人で、

娘たちに金銭的な苦労をさせない人でした。

ただ、仕事ばかりしている人という印象があり、

家に帰ってきたらお酒を飲んでくだを巻く人でした。

娘の私は、どう接していいかわからない節がありましたが、

母の二人目の夫の彼としましては、

母に甘えたいのと、連れ子の娘とどう接していいかわからなかったのかもしれません。

娘に対する愛情の表現が、

しっかりお金を稼いで苦労をかけないことであったのかもしれません。

さて、海外旅行には何度か行けるほどの余裕のある、母の二人目の夫ですが、

南の方の国に行った際に、

それなりに整ったホテルに泊まり、

ホテルの中にテニスコートがありました。

母と、母の二人目の夫は、

そこで初めてテニスをしました。

お互い初心者です。

ボールを打っては、弾き返せずにボールを取りに行く。

そんなことの繰り返しでした。

南の方の日差しでものすごい日焼けにもなりました。

日焼けでひりひりとしながらも、

母と、母の二人目の夫は、

テニスコートがあったら、ちゃんとテニスができるようになりたいと思って、

帰国後しばらくして、テニスを習い始めました。

それが母のテニスのはじまりです。


母と二人目の夫は、

毎日のようにテニスをしました。

二人目の夫は、仕事をバリバリしていましたので、

仕事が定時で終わってから、

母とテニスをしていました。

母はと言うと、二人目の夫が元気な頃は、

毎日休みないほどテニス教室に通っていました。

ただ、選手になりたいわけではないので、

コーチが出すボールをここに打ち返す、

このフォームで打つなど、

そういったことで上達していくのが楽しかったようです。


ある夏のお話も書いておきましょう。

ここ数年の夏は、暑さから命を守るとか言われて久しいですが、

このお話は、夏の暑さがなんだかやばくなってきたという、

暑さのやばさが出始めた頃の、だいぶ前の頃のお話です。

現在ほど暑さの危機感があるものではありませんけれど、

なんだか夏がきつくないかと思われ始めた頃のお話です。

その夏のある日も、コーチのテニスのレッスンを受けていて、

母と、レッスンを受けている奥様方がいて、

コーチはバテ気味でした。

母は、コーチにもうやめるかと尋ねたところ、

コーチは意地でレッスンを続けたらしいです。

コーチは男性の方なのですが、

俺からやめるわけにはいかないと言ったらしいです。

母や奥様方は、暑さに強い方であったらしく、

バテ気味のコーチを相手にレッスンをやり切ったのだそうです。

母はその日、仕事から帰ってきた二人目の夫に晩酌のおつまみを作り、

私たち娘たちと母の分のお夕飯を作ります。

二人目の夫に今日もテニスをしたことを話したところ、

今日はテニスをしちゃいけない日ですよと。

ものすごい暑さで運動してはいけない日なんですよと。

二人目の夫に驚かれたと言います。

挙句の果てには、

グリーンベレーでも目指しているんですかと言われたと聞きました。

それほどの暑さだったとの話です。

どれだけの酷暑であろうともテニスをしていた母でした。

あちこちのテニスのレッスンを重ね、

二人目の夫の仕事終わりにはコートを借りてテニスをして、

南の国のホテルで全然打ち返せなかった母と二人目の夫は、

テニスという共通の趣味で、

ボールを追いかけ打ち返すという楽しみを見つけることができました。

母と二人目の夫のテニスは、

二人目の夫が体調を崩して、

癌になって闘病生活になる直前まで続きました。

やがて二人目の夫が亡くなった後も、

母はゆるりとテニスを続け、

今でも頻度は減らしていますが楽しんで続けています。

そろそろ引退を考えているようですが、

テニスで足腰が鍛えられているので、

母の体力はかなりのものです。

老いてはきていますが、基礎の体力がやはりすごいです。

このままテニスをすっぱり止めたら足腰が怖い気がしますが、

老いのことを考えると、よくやり切ったとも思うのです。

これだけ続けられたのは、才能でもあります。

華々しい結果を求めるばかりが、

何かをするという動機ではないように思います。

何か形のある結果をともなわないにしても、

楽しく続けたいから続ける。それができる。

それもまた、才能であると思いますし、母にはその才能があったと思うのです。

楽しむのも才能です。

人生を楽しく生きるのに必要な才能は、

楽しむことを見つけて続けられる才能ではないかなと思います。

母の背中を見ていますと、そんなことを思います。


今回は、母と、趣味のテニスについてのエッセイでした。

また、時間がありましたら、

母のエッセイを書きに来ます。

書きたいことはまだありますし、

母の記憶がまだあるうちに、

いろいろなことを聞いておきたいと思います。

母のことを残せるのは、娘の私の役目であるとも思います。

これからもお付き合いいただけると嬉しいです。


ではまたいずれ。

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