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第2話 おじいさん監督

 おじいさん監督は、過去のヤキューが懐かしい……


 試合の前日の土曜日。

 午前9時半過ぎ。よく晴れているのはいいが、そのぶん、放射冷却現象が強まったおかげでまだ肌寒い。風は弱いが、ネックウォーマーなしでは体が冷えてくる。

 そのさなか、ほとんどの部員は体をほぐし終わっていた。それは準備がいいというわけではなく、寒くてじっとしていられないだけだったが。

 8時半には嶋と服部、代田だいだ網越あみごしの順で、そして9時頃には他の男子部員全員が揃っていたが、他の女子部員は少し遅れ気味に来た。一年生のワンマーリー磨利保木ほきが小走りで来たが、最も遅い到着だと分かると、「なあんだ」という感じで歩いてグラウンドに入って来た。両肩脱臼を治療中のけが人とその介助役なのだから仕方がなかった。

 そのことを知ったうえで、薩田さつだは「どうせなら、ここまで走れよー」と、声を張り上げた。

 部長の服部はっとりは「雪がまだけ残っているので、多少のぬかるみもありますし、いいでしょ」と、かばっていた。

 こうして部員全員が集まった。ちなみに、全員が自前の運動着姿だ。ベンチ前で仁王立におうだちしていた顧問が突然、点呼てんこをとっていく。ベンチ席でふざけ合っていた甲田こうだと網越が慌てて出て来た。


 今日はグラウンドの状態が良くないので、地面が乾いている所で練習することになった。軽めの調整という、なんだか試合前日らしい感じの練習だ。

 一時間ほどして小休憩になると、おじいさんがグラウンドにやって来た。

 部員のみんなは近所の散歩中のおじいさんが、ちょっと練習を見に寄ったのかと思ったが……。

 顧問が「おはようございます。監督――」こう言った途端に――

「おはようございまーす」「おはよござまーす」「……ざまーす」「ざまぁ……す」と、バラバラに部員たちが続けて挨拶あいさつし、取りつくろった。

 監督はおじいさん。しかも、学校の近所のおじいさんが監督。

 部員のみんなは、まだ不慣ふなれだったのだ。去年途中から、ふらっと、監督にいたおじいさん。

 ご氏名は山野家やまのや亘人こうとさん。もうすぐ八〇歳。

 部員の誰一人として、それを覚えている者はいないだろう。

「監督さん。八〇歳になられたんですよね」服部だけが、年齢ならまだしも、誕生日までも覚えていた。

「や、や、よしなさいな。でも、ありがとさん」監督は手では、シッシ、という仕草しぐさをしながらもにこやかに言った。「はは。おまいたちの七倍しちべえくれえ、生きてんのか、わい。やべえ、な」

 休憩しながらで構わないと監督が言うので、特別に〝監督が来た〟緊張感はない。むしろ皆無かいむである。ただの近所のおじいさんが見に寄った、まさにそのままの雰囲気だ。

 おじいさん――の監督がまた、シッシと手を動かした。その手は卯佐木うさぎと嶋に向けられていたが、二人は意味が分からずにそのままの位置で互いに見合うだけだ。


「コッチャコー」


 その不可思議ふかしぎな響きの単語は、おじいさんの口からはっせられたのはたしか。だが、誰もその意味が分からなかった。離れた所から声がした。

 上川かみかわだった。「それが分かるの、あたしくらいだからね……」

 バックネットの方から、上川が監督にけ寄った。

亘人こうとさん」上川だけが名前を覚えていた。「その手だと、区別がつかないよ?『あっち行け』と、どう違うんだよってこの前ゆったでしょお」

「おう……」おじいさんが自分の手を残念そうに見やる。

 顧問は感心していた。「さすが上川くん。その年齢にとらわれない接し方、なかなかできることではない」

 男子部員の数名はややかな視線を顧問へ向ける。いつもの贔屓ひいきが始まったからだ。贔屓されている上川に対しては何も悪い気はしていない彼らだが、むしろ上川姉妹の親衛隊しんえいたいを結成する寸前すんぜんだった彼らだが、中年の大人がその同志にすることが許せないのだろう。

 その一方で、卯佐木と嶋は監督の元に行った。「天韋皇ていこかなめ。こっちに来いって、さっき言ったの」と、上川が通訳してくれたからだ。

 監督は二人を交互に見て言った。

「しまっていこうさん(※嶋天韋皇)。明日あす、実戦で、うさくん(※卯佐木)と組んでみな、ね?」

 嶋は明るく答えた。

「はい。練習では何度なんども組んでるので、ようやくだって思います」自分の名前の発音のされ方には、もう慣れていた。

 卯佐木は「うさではないです……」と、ささやいた。


 小休憩のあと、卯佐木と嶋のバッテリーはベンチ前のスペイスで投球練習をすることになった。監督が「ちょっと見ておこか、ね」と、言い出したのだ。

 監督はベンチからそれを見て、ボールが数往復すうおうふくすると、決まって一言ひとことずつつぶやいていた。

「いつか、みんなのヤキュー……ベイスボールを始めたきっかけを、聞いてみたい気がする、ね」

「うさくんの、投球のフォーム……ヤキュー中継のあのアングルで見ても、ええ感じだろう、ね」

「うさくん。なあんか……昔の映像で動作を研究してそうな動きだよ、な」

 それを聞いた顧問が言った。「おっと、山野家監督に伝えていませんでしたか」

 監督と顧問は、卯佐木が小学校のベイスボールクラブにいたときの話を始めた。

 卯佐木は、そのように自分についての話をしているところを見聞きするのが、とてもいやだった。

 それをまぎらわそうとした。好きな言葉を思い浮かべてみる。

 併殺へいさつ死球しきゅう犠飛ぎひ……

 そんな用語にあこがれた、昔を思い出すことにした。

 必殺技ひっさつわざの名前大好き児童だった卯佐木。特に漢字多用系の技名わざめいがお気に入りだった。ベイスボール乃至ないしはヤキューに興味を持つことになったのも、古新聞ふるしんぶんのスポーツ記事がきっかけだ。半世紀以上前の日本プロ野球の試合についての記事には、漢字の用語がたくさんっていて、一時期の卯佐木は読み方を調べることにはまっていた。

 顧問と会ったのは、卯佐木が小学生の頃に、中学校のベイスボール部と交流したときだ。プレイを見ながら卯佐木が、「併殺……」「……挟殺きょうさつ?」とか呟いているのを聞きのがさなかった顧問は、野球用語についてのことで卯佐木と話が合って、中学校にベイスボール部があるから、そこでも続けることを約束したのだった。

 そして中学生になり、ベイスボール部に入部。

 去年の秋頃、必ずアウトカウントを増やせるプレイが起きそうな、一瞬の悪寒おかんに似た、何かの予感がする雰囲気に卯佐木は包まれたことがあった。

 変化球へんかきゅうでも、直球ちょっきゅうでも、送球そうきゅうでも、捕球ほきゅうでもない。何かしらの感覚でとらえられる、そのときにとうじられる一球いっきゅう

 卯佐木は確信した。そして思わず「これ、必殺球ひっさつだま、だ――」と、囁いた。

 その予感を幾度いくどとなく感じるうちに、いつしか、それは〝アウトボール〟という球種きゅうしゅとして、卯佐木個人には認識された。

 当時は、打撃練習で卯佐木が投じたたまが彼の意図した所へ打球だきゅうが行くだけで、実際にアウトが成立したわけではない。しかし、それでも卯佐木にはイメイヂができているのだった――味方の守備位置、フィールド上方じょうほう風向かざむき、走者の心理……様々な状況は想定可能だった。

 だからといって、それはティームのためではなかった。そのことを卯佐木は、誰にも知られていないから想定できると感じていた。複数人の意図がからむと、状況は想定が複雑になり、アウトボールはただのボールになる気がしたのだ。

 しかし、時間と共にアウトボールは決まらなくなっていった。それは正確には、プレイの意図と結果が、卯佐木の意識とは異なるようになったことなのだが。

 卯佐木は調子が出ず、登板実績とうばんじっせきといえば練習試合を数回経験しただけで一年生の部活動をえた。

 このままベンチがい戦力外せんりょくがいへと転がり落ちるのでは……、というあせり――来年度は三年生が居ない少人数の部活動で、そのような事態はありえないのだが――それに近い心境の卯佐木は、ついに、同級生でキャッチャーの嶋天韋皇ていこに相談すると決意した。彼にとっては、普段通りをよそおう余裕もない状況だったわけだ。

 それは、三月の三年生送別試合のあとのことだった。

 卯佐木は、囁いた。

「……相談があるんだけど……」

 ところが、よく聞き取れなかったのか、嶋は「何か思い出した? かなめくん」と、いてきた。

「……うん……?」卯佐木は何のことか、さっぱりだった。


 すると、卯佐木はその言葉のキャッチボールができなかった過去と同様に、嶋からの返球へんきゅうを取りそこなってしまっていた。思い出すことに気がれ、今の投球練習がおろそかになっていたようだ。

 彼が聞きたくなかった顧問と監督の会話は、もう終わっていた。

 監督はまたしても、意味することがよく分からない手招てまねきのような仕草をした。

「一番好きなヤキュー用語は、なに、だい?」

 卯佐木は、咳払せきばらいしてから「必殺――」と、言いかける――

「いや、最終九回表無死満塁さいしゅうきゅうかいおもてむしまんるい……」と、ゆっくり囁いた。

 その囁きは監督の耳に届かなかったが、懐かしそうにバッテリーを見る、そのシワシワな顔が印象的なのだった。

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