おじいさん監督は、過去のヤキューが懐かしい……
試合の前日の土曜日。
午前9時半過ぎ。よく晴れているのはいいが、その分、放射冷却現象が強まったおかげでまだ肌寒い。風は弱いが、ネックウォーマーなしでは体が冷えてくる。
そのさなか、ほとんどの部員は体をほぐし終わっていた。それは準備がいいというわけではなく、寒くてじっとしていられないだけだったが。
8時半には嶋と服部、代田と網越の順で、そして9時頃には他の男子部員全員が揃っていたが、他の女子部員は少し遅れ気味に来た。一年生のワン・マーリーと保木が小走りで来たが、最も遅い到着だと分かると、「なあんだ」という感じで歩いてグラウンドに入って来た。両肩脱臼を治療中のけが人とその介助役なのだから仕方がなかった。
そのことを知ったうえで、薩田は「どうせなら、ここまで走れよー」と、声を張り上げた。
部長の服部は「雪がまだ解け残っているので、多少のぬかるみもありますし、いいでしょ」と、庇っていた。
こうして部員全員が集まった。ちなみに、全員が自前の運動着姿だ。ベンチ前で仁王立ちしていた顧問が突然、点呼をとっていく。ベンチ席でふざけ合っていた甲田と網越が慌てて出て来た。
今日はグラウンドの状態が良くないので、地面が乾いている所で練習することになった。軽めの調整という、なんだか試合前日らしい感じの練習だ。
一時間ほどして小休憩になると、おじいさんがグラウンドにやって来た。
部員のみんなは近所の散歩中のおじいさんが、ちょっと練習を見に寄ったのかと思ったが……。
顧問が「おはようございます。監督――」こう言った途端に――
「おはようございまーす」「おはよござまーす」「……ざまーす」「ざまぁ……す」と、バラバラに部員たちが続けて挨拶し、取り繕った。
監督はおじいさん。しかも、学校の近所のおじいさんが監督。
部員のみんなは、まだ不慣れだったのだ。去年途中から、ふらっと、監督に就いたおじいさん。
ご氏名は山野家亘人さん。もうすぐ八〇歳。
部員の誰一人として、それを覚えている者はいないだろう。
「監督さん。八〇歳になられたんですよね」服部だけが、年齢ならまだしも、誕生日までも覚えていた。
「や、や、よしなさいな。でも、ありがとさん」監督は手では、シッシ、という仕草をしながらもにこやかに言った。「はは。おまいたちの七倍くれえ、生きてんのか、わい。やべえ、な」
休憩しながらで構わないと監督が言うので、特別に〝監督が来た〟緊張感はない。むしろ皆無である。ただの近所のおじいさんが見に寄った、まさにそのままの雰囲気だ。
おじいさん――の監督がまた、シッシと手を動かした。その手は卯佐木と嶋に向けられていたが、二人は意味が分からずにそのままの位置で互いに見合うだけだ。
「コッチャコー」
その不可思議な響きの単語は、おじいさんの口から発せられたのは確か。だが、誰もその意味が分からなかった。離れた所から声がした。
上川だった。「それが分かるの、あたしくらいだからね……」
バックネットの方から、上川が監督に駆け寄った。
「亘人さん」上川だけが名前を覚えていた。「その手だと、区別がつかないよ?『あっち行け』と、どう違うんだよってこの前ゆったでしょお」
「おう……」おじいさんが自分の手を残念そうに見やる。
顧問は感心していた。「さすが上川くん。その年齢にとらわれない接し方、なかなかできることではない」
男子部員の数名は冷ややかな視線を顧問へ向ける。いつもの贔屓が始まったからだ。贔屓されている上川に対しては何も悪い気はしていない彼らだが、むしろ上川姉妹の親衛隊を結成する寸前だった彼らだが、中年の大人がその同志に伍することが許せないのだろう。
その一方で、卯佐木と嶋は監督の元に行った。「天韋皇。要。こっちに来いって、さっき言ったの」と、上川が通訳してくれたからだ。
監督は二人を交互に見て言った。
「しまっていこうさん(※嶋天韋皇)。明日、実戦で、うさくん(※卯佐木)と組んでみな、ね?」
嶋は明るく答えた。
「はい。練習では何度も組んでるので、ようやくだって思います」自分の名前の発音のされ方には、もう慣れていた。
卯佐木は「うさではないです……」と、囁いた。
小休憩の後、卯佐木と嶋のバッテリーはベンチ前のスペイスで投球練習をすることになった。監督が「ちょっと見ておこか、ね」と、言い出したのだ。
監督はベンチからそれを見て、ボールが数往復すると、決まって一言ずつ呟いていた。
「いつか、みんなのヤキュー……ベイスボールを始めたきっかけを、聞いてみたい気がする、ね」
「うさくんの、投球のフォーム……ヤキュー中継のあのアングルで見ても、ええ感じだろう、ね」
「うさくん。なあんか……昔の映像で動作を研究してそうな動きだよ、な」
それを聞いた顧問が言った。「おっと、山野家監督に伝えていませんでしたか」
監督と顧問は、卯佐木が小学校のベイスボールクラブにいたときの話を始めた。
卯佐木は、そのように自分についての話をしているところを見聞きするのが、とても嫌だった。
それを紛らわそうとした。好きな言葉を思い浮かべてみる。
併殺、死球、犠飛……
そんな用語に憧れた、昔を思い出すことにした。
必殺技の名前大好き児童だった卯佐木。特に漢字多用系の技名がお気に入りだった。ベイスボール乃至はヤキューに興味を持つことになったのも、古新聞のスポーツ記事がきっかけだ。半世紀以上前の日本プロ野球の試合についての記事には、漢字の用語がたくさん載っていて、一時期の卯佐木は読み方を調べることにはまっていた。
顧問と会ったのは、卯佐木が小学生の頃に、中学校のベイスボール部と交流したときだ。プレイを見ながら卯佐木が、「併殺だ……」「……挟殺?」とか呟いているのを聞き逃さなかった顧問は、野球用語についてのことで卯佐木と話が合って、中学校にベイスボール部があるから、そこでも続けることを約束したのだった。
そして中学生になり、ベイスボール部に入部。
去年の秋頃、必ずアウトカウントを増やせるプレイが起きそうな、一瞬の悪寒に似た、何かの予感がする雰囲気に卯佐木は包まれたことがあった。
変化球でも、直球でも、送球でも、捕球でもない。何かしらの感覚で捉えられる、そのときに投じられる一球。
卯佐木は確信した。そして思わず「これ、必殺球、だ――」と、囁いた。
その予感を幾度となく感じるうちに、いつしか、それは〝アウトボール〟という球種として、卯佐木個人には認識された。
当時は、打撃練習で卯佐木が投じた球が彼の意図した所へ打球が行くだけで、実際にアウトが成立したわけではない。しかし、それでも卯佐木にはイメイヂができているのだった――味方の守備位置、フィールド上方の風向き、走者の心理……様々な状況は想定可能だった。
だからといって、それはティームのためではなかった。そのことを卯佐木は、誰にも知られていないから想定できると感じていた。複数人の意図が絡むと、状況は想定が複雑になり、アウトボールはただのボールになる気がしたのだ。
しかし、時間と共にアウトボールは決まらなくなっていった。それは正確には、プレイの意図と結果が、卯佐木の意識とは異なるようになったことなのだが。
卯佐木は調子が出ず、登板実績といえば練習試合を数回経験しただけで一年生の部活動を終えた。
このままベンチ外、戦力外へと転がり落ちるのでは……、という焦り――来年度は三年生が居ない少人数の部活動で、そのような事態はありえないのだが――それに近い心境の卯佐木は、ついに、同級生でキャッチャーの嶋天韋皇に相談すると決意した。彼にとっては、普段通りを装う余裕もない状況だったわけだ。
それは、三月の三年生送別試合の後のことだった。
卯佐木は、囁いた。
「……相談があるんだけど……」
ところが、よく聞き取れなかったのか、嶋は「何か思い出した? 要くん」と、訊いてきた。
「……うん……?」卯佐木は何のことか、さっぱりだった。
すると、卯佐木はその言葉のキャッチボールができなかった過去と同様に、嶋からの返球を取り損なってしまっていた。思い出すことに気が逸れ、今の投球練習が疎かになっていたようだ。
彼が聞きたくなかった顧問と監督の会話は、もう終わっていた。
監督はまたしても、意味することがよく分からない手招きのような仕草をした。
「一番好きなヤキュー用語は、なに、だい?」
卯佐木は、咳払いしてから「必殺――」と、言いかける――
「いや、最終九回表無死満塁……」と、ゆっくり囁いた。
その囁きは監督の耳に届かなかったが、懐かしそうにバッテリーを見る、そのシワシワな顔が印象的なのだった。