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第4話 

 私が勤務するこの株式会社『OWL』はWEBコミックサイトを運営する出版社だ。昔は文芸誌などを連載していたらしいが、十年ほど前に廃刊になってしまったらしい。それからはWEBサイトでの活動を精力的に行い、現在の経営方針に至ったという。


 四年前には漫画が読める『ブッカツ!』というアプリも立ち上げて、読者は年々増えている。


 インターネットがこれほど普及している今の世の中なら、雑誌よりもスマホで気楽に読めるほうが需要もあるのだろう。


 私が入社したのはちょうど三年前の春。編集者になって、作品をたくさんの人に届けたい。若者らしいといえば聞こえはいいが、言ってしまえば根拠のない自信と勇猛果敢な無謀さだけが前のめりになっていた。


 実際のところ漫画以外の業務に追われることが多く、一から覚えるのは大変だった。編集長は慣れてきたら連載を立ち上げてみたらと言ってくれたが、それ以外の心配ごとが多すぎてそれどころではなかった。


 同期の鷹野が三年目で連載を立ち上げたのを見て、私も負けずと企画をいくつも作った。編集長からGOサインをもらうのには骨が折れて、七回目でようやく連載を始められた。


「なんだ根駒ねこま、暗い顔をして。せっかく猫を被っているのに台無しだぞ」

「はあ? 猫なんか被ってないし。愛想がいいって言ってくれる? 鷹野たかのこそ、その仏頂面なんとかしたら?」

「やれやれ、編集長が見たらなんと言うか」


 背にもたれてデスクと睨めっこしていたら、出張に行っていた鷹野が帰ってきたらしい。会場で貰ってきたパンフレットを几帳面に整理しながら、横目で私を見た。


「宇佐ミミミ先生か?」

「うん。やっぱり返信がないなーって」

「漫画家だって人間なのだから、そういうこともあるだろう」

「そうだけど、お互い初めての連載作品だから思い入れがあるんだよね。まだ諦めたくないっていうか……そういえば鷹野の方はどうだった? 良い人いた?」


 鷹野は今日、出張編集部という形で県外の同人誌即売会へと出向いていた。そこには漫画家志望のアマチュアさんがたくさんいて、いいなと思ったら名刺を渡してスカウトすることができる。


「いや、残念ながら今回はいなかった。アマチュアの中からプロになることのできる素質を探すというのは浪漫があるが、非効率的だな」

「またデータキャラみたいなこと言ってる」


 綺麗な七三分けの鷹野は、その性格としゃれっ気のないメガネのせいで周りからは『データキャラ』と呼ばれている。


「事実を言ったまでだ。絵が上手いだけでは漫画家にはなれない。求められた作風、規定のページ数に収められる柔軟性、原稿を書き上げるスピード、それに伴うクオリティの維持。考えられるだけでもこれだけ挙がる。根駒、いつまでもアマチュアに希望を抱いていないで、実績が欲しければプロに声をかけろ。……ああ、いや」


 無機質な声は、原稿を読み上げるように淡々としている。鷹野に悪気はないのだろうが、それはあまりにも人としての情が欠けているように感じた。


「編集長から聞いたぞ。桜花先生と連載を始めるらしいが、順調なのか?」


 背にもたれたまま後ろにひっくり返りそうになる。


 ガン! と椅子が鳴って、放り出された。


「にゃ、なんのこと!?」

「変な声を出すな」


 ハッと周りを見ると、同僚たちが突然立ち上がった私を怪訝な顔で見ていた。


 し、しまった。うっかりこの前のことを思い出してしまって、取り乱してしまった。


 こほん、と一つ咳払いをする。


「桜花先生とは上手くいってる。ネームも今書いてもらってるところだから」

「そうか。いや、少し気になってな。桜花先生の噂は業界でも有名だ。なんていったか、担当の女性編集者に毎回手を出すものだから担当の入れ替わりが激しくて、前回の連載中は七人も替わったのだとか」

「は!? な、なにそれ!」

「なんだ、本当に知らなかったのか」


 全然知らなかった。いや、なんか訳ありなんだろうなとは思っていたけど。


「というか、よくそんなとぼけた顔ができるね。桜花先生との企画が決定したとき、教えてくれたらよかったじゃん! 今に知った話じゃないんでしょ!?」

「あくまで噂だからな。尾ひれが付いている可能性のある以上、当事者からの証言が必要だ。下手なことは言えないだろう。それで、どうなんだ。手を出されたのか?」

「……ッ! 出されてな――ッったぁ!」


 何を踏ん張ったのか。勢いよく出した右足のつま先がデスクの足に当たって激痛が走る。


 つま先を握りながらピョンピョン跳ねても、鷹野は表情一つ変えやしない。


「べ、別に、手を出されてなんか!」


 初めての打ち合わせから約一ヶ月が経っていた。


 約束通り、桜花先生にはハッピーエンドを目指して書いてもらっている。そしてその代わり、私は打ち合わせ一回につき一度、桜花先生のお願いを必ず聞かなければならない。


 初日は服を脱がされた。というか、自分で脱いだ。下着に手をかけたところで桜花先生が「上着だけでよかったんだけど、みゃおちゃんが脱ぎたいなら脱いでいいよ」なんて言うものだから「じゃあシャツ脱いだ時点で言ってくださいよ!」と猛抗議した。


 あれは、きっと、手を出されたとかそんなんじゃない。ハニートラップ……も言い方がおかしい。じゃあなんなんだろう。形容できない関係性が産声をあげそうだったので、深くは考えないことにした。


「なんだ根駒くん、今日はやけに元気じゃないか」


 暴れていた私を見かねて、編集長が声をかけてきた。


「あ、いえっ。なんでもないんですー。えへへ」


 へらへらと笑って、編集長が廊下に出て行ったのを確認してから鷹野を睨む。


「鷹野のせいで注意されたでしょ!」

「どうして俺のせいになるんだ」


 わざとらしく肩を竦める鷹野。


「何を慌ててるのか知らないが、手を出されていないのならあの噂は嘘ということになるな。しかし、よかった。俺も桜花先生の作品は連載当時ずっと読んでいてな。あのような繊細な作品を書ける方が、そんな不埒な真似をするはずがないと、ずっと疑問だったのだ」

「あ、うん。そうね……」


 なんとも言えなかった。


 繊細な人……という評価は私の中では適当ではない。


 交渉とはいえ、出会った初日で服を脱がせようとしてくる人だよ、なんて言ったら鷹野は椅子から転げ落ちてメガネくらいは吹っ飛ばしてくれるだろうか。見てみたい気もしたが、鷹野が珍しく目をキラキラさせながら桜花先生の作品の素晴らしさを語り始めたので、言わなかった。それに、私も出会った初日で服を脱ぐ編集者であることには変わりはない。いやでもだから交渉なのであって。……やめよう、虚しくなる。


「そういえば鷹野もおめでとう。担当してた作品の書籍化が決まったんだって?」

「ん? ああ、そうだな」


 電子書籍を軸に展開しているこの会社で紙での書籍化は最高の実績だ。ここで働く編集者は全員、自分が担当する作品が紙の本になって書店に並ぶ日を夢見て毎日頑張っている。


 鷹野は入社三年目で、もうその偉業を達成してしまった。現在もアプリ内では、その書籍化が決定した作品が推され、広告バナーも占領されている状態だ。


「負けないよ。私もいつか、鷹野に追いついてやるんだから」

「そうか。まあ頑張れ」


 この七三黒縁メガネを倒すには、私の実力は足りていないのかもしれない。


 だけど、熱意だけなら負けない。私が武装しているのは、根拠のない自信と勇猛果敢な無謀なのだから。


「あ、噂をすれば」


 メールボックスがピコンと光る。


 送り主は桜花先生だ。『作品 ネーム』と簡潔に添えられた件名を見るに、以前話した分の原稿が出来上がったのだろう。


 ネームの確認作業だと分かると、鷹野も話しかけてくることはなくなった。


 物語の基盤となる下書き。いったいどんな作品になるんだろうというワクワク半分、私自身の指摘で良し悪しが変わってしまうというプレッシャーもあって、楽しくもある反面とても緊張する作業になる。


 ネームの書き方は漫画家さんにもよるが、桜花先生はネームの時点でだいぶ書き込む方だった。背景やセリフ、人物の表情や毛先の動きまで、事細かに書いてある。色の陰陽や細かい描写を加えたら、もうほとんど完成だ。


「って、なにしてんのあの人!」


 ガッ! と立ち上がった瞬間に椅子が飛んでいった。


「突然声を出して、どうしたんだ」


 その椅子を手でキャッチしながら、鷹野が言う。


「ああ、もう。私、今から桜花先生のところ行ってくる!」

「それは急だな。今日は会議もないし、問題ないと思うが。何かトラブルか?」

「トラブルっていうか、なんていうか……!」


 あれほどハッピーエンドにしてくれと言ったのに。


 ホワイトボードの『外出中』欄に自分のネームプレートを貼って、私は部署を飛び出した。


 送られてきたネームは全部で四話分。


 ちょっと目を離した隙に、主人公が屋上から飛び降りていた。



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