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第7話

 アニメショップを出る頃には、すでに夕暮れが近づいていた。


 漫画の入った袋を手にぶら下げながら、肌寒くなった外を桜花先生と歩く。桜花先生は漫画の他にもいくつか小説などを購入した。私は読むとしたらほとんどラノベなのだが、桜花先生は純文学が多かった。シリアルキラーのミステリーとか、なんだか殺すだとか死ぬだとか暗いタイトルのものばかり買っている。


 桜花先生いわく、死は美談であり、命に価値を付与する唯一の手段なのだそうだ。だから桜花先生は、グロテスクなものが好きとか、サイコパスぶってるとかそういうわけではなく、美しいその一瞬をただ追い求めているだけなのだろう。


「みゃおちゃん、時間は大丈夫?」

「明日も在宅なので、時間はそんな気にしなくても大丈夫です」

「そっか。じゃあちょっと、あそこ寄ってもいいかな」


 桜花先生がペットショップを指さして目をキラキラさせるものだから、私は驚いてしまった。


 そんな顔もできるんだ。


 ペットショップはホームセンターの中にあって、かなり広かった。桜花先生はまっさきに猫のコーナーに行って、ショーケースの向こうにいる小さな毛玉に話しかけはじめた。


「かわいいね」

「桜花先生、猫が好きなんですか?」

「うん、大好き」


 桜花先生が指をくるくる回しても、猫はさっぱり反応を示さない。むしろシカトするように、そっぽを向いている。


「ふふっ、私には興味ないって」


 桜花先生は猫に無視されて嬉しそうにしていた。


 死が美談だとか、命の価値だとか、そういうこじれた死生観を語る桜花先生が、子猫にメロメロになっている。そういう光景を見ると、自然と顔が綻んでしまうのは私だけだろうか。


 ずっとこの時間が続いてほしい。癒しと、優しさと、そして温かさ。心を包み込み、明日から頑張ろうって思わせてくれる話だけで、充分じゃないか。


「やっぱり、私はハッピーエンドが好きです」


 ショーケースの猫と遊ぶ桜花先生の隣に、座り込む。


 指を近づけると、猫は目だけで反応した。


「別に、何も起こらなくたっていい。起伏なんかいらない。あっと言わせる展開なんかいらない。私は、キャラクターたちがずっと幸せでいてくれたら、それでいいんです」

「何も起こらないなんて、物語としては下の下だね」

「何かが起こること自体をストレスに感じる人もいる時代です。平穏に、静かに、一瞬を確かめ合うだけの日常を求めているのは、私だけじゃないはずです」


 猫とずっと戯れているだけでいい。これで終わったって誰も文句は言わない。


 だって、猫はかわいい。目を細めて心地よさそうに寝ている。気持ちいいのか、喉をゴロゴロと鳴らして、周囲の音が気になるのか時々耳をピクッとさせている。上のショーケースにいる猫が暴れ出すと、その音で目を覚ます。私たちにも気付いて、考えるような間を置いてから手をお腹の下に畳んで動かなくなった。ぼーっとしてる。どこ見てるの? なにを考えているの? ふあ、とあくびで返事をされる。あまりのかわいさに私がくすっと笑うと、桜花先生も釣られて笑った。


「誰かが死ぬ必要なんかないんです。桜花先生が猫を好きで、猫と戯れている桜花先生はとても優しい目をしている。今日はそれを知りました。それで充分です」


 桜花先生は照れているのか、それとも気にもしていないのか。ショーケースの猫を眺めたままだ。


「それに、ハッピーエンドなら絶対炎上はしませんし」


 ご飯の時間なのか、猫が反対側まで走っていってしまった、檻の向こうに見える店員さんに向かって一生懸命前足を動かして主張していた。


「とはいっても、桜花先生みたいな人は炎上とか気にしないですかね」


 この人がSNSに張り付いてエゴサしている姿を想像できない。


 こじれてはいるものの、一貫した信念と価値観を持っている人だ。周りの意見よりも、自分の気持ちをなによりも尊重するタイプの人のはずだ。


 そう呟いた私の声を、ただの独り言だと思ったのか、桜花先生は特に反応はしなかった。


 猫がご飯を食べに奥へ下がってしまったので、しょうがなく別のコーナーに移る。


 柵に覆われた触れ合いコーナーがあって、そこに犬がいたので駆け寄った。


 まだ子供の、シベリアンハスキーだ。私が近寄ってきたのに気付いて、あちらも前足を柵にあげて身を乗り出してくれた。


 きゅるきゅるの目がかわいすぎて気絶しそうだ。舌を出して、遊んでほしそうに息を荒げている。


「みゃおちゃんは犬派なんだ」

「あっ、分かりますか? そうなんです! 特にシベリアンハスキーが大好きで! この凜々しい顔立ちと大きな身体、カッコいいですよねー! シベリアンハスキーに抱きつかれながら寝るのが私の夢なんです!」


 柵があるせいでそれは叶わないが、いつかは実現したい。ただ、大型犬を飼うにはそれなりの資金と、知識がいる。それに私は自分のことで手一杯。自分以外の命を預かれるほど出来た人間にはまだなれていないのだ。


「どどどどうしようかわいすぎ! あはは、桜花先生見てください! この子めっちゃ舐めてきますよ!」


 なんて人懐っこい子なんだろう。私の腕を通る舌の感触が、微妙にザラザラしていて気持ちいい。 


「桜花先生もどうですか?」


 シベリアンハスキーも、さっきから私の隣人を気にしている。ただ、飛びついていいのか迷っている様子だった。


 桜花先生はどうしてか、私よりも半歩下がった場所に立っている。心なしか、私の後ろに隠れているようにも感じた。


「え、もしかして苦手ですか? 犬」

「苦手じゃないよ」


 食い気味だった。


「じゃあ、触ってみましょうよ。こんな人懐っこい子、なかなかいないですよ」


 場所を替わってあげる。


 桜花先生が柵に近づくと、シベリアンハスキーがハッハッと嬉しそうに身を乗り出してくる。


 ゆっくりと、手を伸ばす桜花先生。


 その桜花先生の手を、シベリアンハスキーが私にしたように、ペロペロと舐め始めた。


 そんなシベリアンハスキーの様子を、桜花先生は黙って見ている。というか、言葉を失っている……? ここから見えるほど全身に鳥肌が立っていて、心なしか髪の毛まで逆立っているように見えた。


 シベリアンハスキーは狼に近い遺伝子を持っていると言われている。桜花先生のウルフカットを見て本能が騒いだのか、手首まで掴んで私のときよりも強烈に舐めている。


 桜花先生は完全に、固まってしまっていた。冷や汗まで出てるし。


 私はもう、笑うしかなかった。


「桜花先生、顔引きつってますよ」


 まさかこんなところでギャップを見せられるとは思わなかった。


 私が介入すると、シベリアンハスキーは舐めるのをやめて柵の中を走り始めた。


 桜花先生はベトベトの自分の手を後ろに隠して言う。


「からかわないでよ」


 顔が赤かった。


 あ、ちょっとかわいい。こういう一面もあるんだ。てっきり、王子様を気取ったただの女たらしだと思っていたけど。人間らしい桜花先生の姿を見て、なんだか距離が縮まった気がした。


 シベリアンハスキーは桜花先生のことが忘れられないのか、たびたび振り返って桜花先生に向かって吠えていた。そのたび桜花先生は肩をビクッと震わせていた。


 桜花先生はそんなシベリアンハスキーの視線から逃げるように、そそくさとペットショップを出て行ったのだった。


 桜花先生の背中を追い掛ける。


 また笑いそうになるのを堪えて「楽しかったですね」と声をかける。


「ペットショップへはよく来るんですか?」

「この近くに出版社があってね。連載していたときはよく寄ってたな。疲れた心も、動物たちの無邪気な姿を見ていると癒されるんだ」


 週刊連載は人間のすることじゃない、なんて話は編集者じゃなくてもよく聞く話だ。睡眠時間は三時間以下。締め切り近くは寝ない日すらあるという。体力も心も、ズタボロになりながらペンを握って原稿にしがみつく。


 いつも余裕そうな表情を浮かべているけど、この人も、そうやって漫画という作品に命を吹き込んできたのだろうか。


「ねぇ、みゃおちゃん」

「はい、なんでしょう」

「ハッピーエンドって、そんなに良いもの?」

「はい、良いものです。バッドエンドはあり得ません。ハッピーエンド一択です! たとえば、さっき遊んだ犬が殺処分された、みたいな話を読まされても、全然嬉しくありませんよね。でも、さっきの犬を主人公とヒロインで飼うことにしたっていう話は無限に読みたいじゃないですか!」

「そういうものなんだね。私には、やっぱり分からないな。犬の純粋さに心惹かれて、人間としての優しさを取り戻したと思った矢先に犬が殺されて、怒り狂った主人公は殺しに手を染め全てを失う……そういう話もまた一興だと思うけど」


 桜花先生が、立ち止まる。


 クリスマスはまだ遠いはずなのに、街に飾り付けられたイルミネーションが、青と黄色を行き来して道を照らしている。


「今日、泊まってかない?」


 泊まるって……え? 


 途端に顔が熱くなって、背中に汗が滲んだ。


「ハッピーエンドというものがどれだけ素敵なものなのか、教えてほしいな」

「え、ああ!」


 な、なんだ……そういうこと!


 勘違いしてたみたいだ。泊まるなんて言うから私、てっきり、手を出されるのかと。


「そういうことでしたら、全然いいですよ! 明日は出社日ではないので。そしたら一度家に帰って、支度をしてからでもいいですか?」

「うん。着いたらまたインターホンを押してくれるかな」

「分かりました!」


 桜花先生との打ち合わせはだいたい一時間から二時間ほどで毎回終わってしまう。一晩あれば、ハッピーエンドがいかに正義であるかを桜花先生に分かってもらえるかもしれない。


「えへへ、お泊まりだなんて、なんだか学生時代を思い出しますねっ。それじゃあ、なるべく急ぎますから!」


 桜花先生とは駅で別れ、私は電車に乗って一度帰宅することにした。


 泊まりだなんて言われたときはちょっとビックリしたけど。


 これはあくまで仕事。


 編集者として、作品をより良くするための仕事にすぎないのだ。


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