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第二章

第9話

 外で、雪が降っていた。もう十二月になる。寒さというものは身体を冷やし、細胞の動きを低下させる。この季節になると、足がむくんでしょうがない。また160デニールのストッキングに頼らなければ。


 桜花先生の『あまねく夜空の流れ星』が連載開始してから一ヶ月が経った。略して『あま空』と呼ばれる事も多い本作はいわゆるアイドルもので、アイドルを志す主人公が元トップアイドルの子に弟子入りするという大筋は王道に沿っている。だが、本作はアイドルはファンに向けてではなく、地球を侵略しようとするエイリアンに対してパフォーマンスするのが特徴となっている。


 ファンタジー要素とアイドルを目指すという熱血青春要素も盛り込んだ本作は、例に漏れず百合作品となっていて、主人公とヒロインの友情と愛情ギリギリの関係もまた魅力の一つだ。


 『ブッカツ!』では売り上げ数を基準としたランキングも執り行っており、今シーズンのランキングで『あま空』は連載が開始したばかりにも関わらず三位に食い込んでいる。


 そのおかげで、年末にも関わらず業務が多い。他社サイトやアプリでの連載なども視野に入れながら、SNSでの宣伝を目的とした公式アカウントも作成しなければならない。


 桜花先生への許可も必要だし、また打ち合わせに行かなきゃなあと、メールの返信作業を進めながら考える。


 社内での報連相は口頭で伝えるときもあるが、ほとんどはメールでのやりとりとなる。制作部からバナーのデザインサンプルが届いていたので「良い感じです!」と返信をする。


 大きな出版社だと、社内専用のチャットアプリがあり、そこでやりとりをすると聞く。うちも実績を積んで、大きな会社になればそういった便利なシステムも導入されるのだろうか。


「根駒、少し空けてもらえるか」

「え? うわ、なにその荷物」


 段ボールの山が口を利いていた。と思ったら鷹野だった。


 ぐらついていたので、慌てて一つ持つ。鷹野の綺麗な七三分けが日の出みたいにひょっこりと顔を出した。


「木菟先生宛てのファンレターだ。これから一つ一つ確認していく」

「すごい量だね。さすが木菟先生。ランキングも一位だったもんね」


 木菟先生は鷹野が担当している漫画家さんの一人だ。木菟先生が書く『亡霊に花束を』は二年前から連載を開始しており、書籍化も決まっている。アプリでの月間ランキングは二ヶ月連続の一位を飾っている、『OWL』を代表とする作品だ。


「こっちの紙袋は?」

「トローチ先生のファンレターだ」

「え、トローチ先生って、この間連載始めたばかりじゃなかったっけ」


 トローチ先生は鷹野が即売会で声をかけたアマチュアの漫画家さんで、連載を開始したのは桜花先生と同月だ。


「そうだな。それなのにこれだけファンレターをいただいて、嬉しい限りだ。トローチ先生も喜ぶだろう」


 誇らしげにファンレターの中身を確認していく鷹野。


 トローチ先生の作品は、桜花先生の『あま空』を押しのけての二位になっている。


 桜花先生宛てのファンレターはまだ来ていない。確かに順位ではトローチ先生の方が上だが、こんなにも差は開くものだろうか。


「だが、がっかりだな」

「え?」

「桜花先生の作品だ」

「なにそれ、喧嘩売ってるの? 三位だって充分すごいでしょ」

「ああ、何百とある連載作品の中で三位というのは、賞賛に値する実績だ。だが、桜花先生ならもっと上へいけたはずだ。それこそ、一位だってなれはず。木菟先生も、トローチ先生も、素晴らしい漫画家さんだ。しかし、桜花先生の実力はそれらを圧倒的に凌駕している」


 そういえば、鷹野も桜花先生の連載作品を当時追っていたと言っていた。


「あの桜花美狼を担当しておいて、三位だと? 根駒、お前は一体何をしているんだ」

「何をしているんだって、なんのこと? 私は、これでも精一杯やってるんだけど。桜花先生だってそうだよ。鷹野、それは、桜花先生にも失礼なこと言ってるって気付いてる?」


 ファンレターをめくる手が止まる。


 鷹野の猛禽類のような瞳が、私を射貫いた。


「そうだな。すまない、頭に血が上っていたようだ」

「分かれば、いいけどさ」


 なんだか気まずい空気になって、私は席を立った。


 桜花先生ならもっと上へ行けたはず?


 鷹野は何を言ってるんだ。桜花先生は月間三位を穫ったんだ。充分にすごいじゃないか。


 それに、まだ三話なんだから。これからもっともっと人気が出て、順位はあがるはず。


 だってこの先は、誰もが望む、心温まる優しい話だけが待っているのだから。もっと、広報にも力を入れて、たくさんの人に読んでもらえば。


 月間ランキング一位だって夢じゃない。




「みゃおちゃん、久しぶりだね」


 進捗を聞くために、私は一ヶ月ぶりに桜花先生の自宅へと来ていた。連載が始まってからは、お互いに自分の作業が忙しくて会う機会がなかったのだ。桜花先生は相変わらず、メールしても返信くれないし。


 だから連絡を取るためには、こうやって会いに来るしかない。


「桜花先生、体調は大丈夫ですか?」

「うん。別に無理して書いてるわけじゃないし。ふふっ、心配してくれるの?」

「それは、当然ですよ。漫画は身体が資本って聞きますし」


 執筆途中に倒れてもらっては困る。睡眠はメンタルにも関わるし、調子が悪いときはスケジュールを調整してでも休んでもらったほうがいい。


「それから、桜花先生! 『あま空』が『ブッカツ!』のアプリ内ランキングで三位にランクインしていましたよ! 連載開始一ヶ月でこの順位は快挙といえます。おめでとうございます!」

「ランキング? ああ、そういうものがあるんだね」

「はい! 人気の指標にもなりますし、シーズンごとの集計結果次第では紙での書籍化もあり得ます。これからどんどん、『あま空』を推していこうと思っているので、お互い頑張りましょうね!」

「そうだね。ところで、今日はどうしたの? 私に会いたくなっちゃったのかな」


 紙がひらっと舞うように、桜花先生が距離を詰めてくる。指で顎をなぞられて、ゴロ、と喉が鳴りそうになった。


「きょ、今日は進捗報告に来たんです! ちゃんと、仕事の一環なので」

「うんうん。そうだね」


 そう言いながら、桜花先生の指が顎から鎖骨へ降りていく。


「みゃおちゃんってさ、脱がされやすいようにいつもカーディガン着てくるの?」

「ち、違いますっ。あ、あの、離してください。私、今日は……」

「お願い」


 耳元で囁かれる。桜花先生は意図的に、声色を使い分けている。


 普段は優しく柔らかく。だけどこういうときは、低く深く。脅すような強い語尾に、背筋がぞわっとする。


「このまま、ハッピーな話を書いていけばいいんだよね? 安心してページをめくれるように、だったっけ」

「はい。そうです。でも、起伏がなくては読者も飽きてしまいますので、多少のシリアスは入れていきましょう」

「ふーん、じゃあ、友達が事故死とかでもいい?」


 カーディガンのボタンが一つずつ、外されていく。胸元のボタンを二つ外したところで、桜花先生の手がカーディガンの中に入ってきた。


「だ、だめ……です……シリアスはあくまで簡潔に、なるべくマイルドに。読者にストレスを与えないくらいの塩梅を意識してください。次回の話に持ち越すのもダメです。連載という形式上、読者は次の話を待たなければならないので、その間に離れてしまうかもしれません」

「それって、シリアスっていうのかな。まあ、なんでもいいや。私はみゃおちゃんの言うことは聞くよ」


 桜花先生の吐息が耳にかかってくすぐったい。身体に力が入らなくて、ふらついてしまう。それに気付いた桜花先生が、私の肩を優しく抱く。


「今日は私が脱がせたい。みゃおちゃんは、ジッとしてて」

「で、でも……」

「約束、でしょ?」


 その言葉に、為す術を私は持っていない。


 桜花先生が私の言う通りの作風を貫いてくれてる以上、私が桜花先生のお願いを拒否するのは規定違反だ。仕事相手として、この歪な関係として、人として。律することは律しなければならない。


 信頼関係とはそういうものだ。


 私が桜花先生のお願いを聞き続ける限り、桜花先生も必ず作品をより良いものにしていってくれる。


 ――あの桜花美狼を担当しておいて、三位だと?


 鷹野の言葉がフラッシュバックする。


 一位を穫るためには、どうすればよかった? 桜花先生なら、それができた? 私でなく鷹野なら、桜花先生を一位に導くことができた?


 いや、これでいいはずだ。


 この調子で続けていけば、桜花先生の作品は次第に評価される。


 優しくて温かい、そんな話を人は求めている。それ以外はいらない。


 不幸も、苦痛も、吐き気を催すほどの凄惨な展開も、醜悪な結末も必要ない。


 キャラクターたちが、ただ笑って、幸せでいてくれたら、それでいいのだから。


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