アリスは考えた、ゲームの世界、まったく知らない世界に初めて来たのだ。
泊まるならホテルでなくてもいい、ゲームでよく見る木造の宿、『INN』のような場所を期待していた。
しかし、目の前に広がる光景はアリスの期待を大きく裏切る光景だった。
……何もない。ただ木々が生い茂るだけの森だった。
ただ先ほどと違うのは、キャンプが出来そうな平地があるくらいだった。
しかし、アリスにとっては先ほど歩いてきた森の中となんら変わりない。
「あのー…、龍さんでしたっけ?私の頭が正常であれば今ここに泊まるとか言いませんでしたっけ?こんな何もない場所に?た、たとえばですけど!ここに認識阻害の魔法がかかってるとか、そう言うことですよね!?ね!?」
アリスは不安感にさいなまれながら龍に尋ねた。
龍は持っている荷物を置くと、軽く体を伸ばし、ローブから杖を取り出した。
「……?見えない魔法?あー、認識阻害の魔法ね。さすが最近やってくる奴は……ハリーポッターとか言ったか?あれである程度学んでいるんだな……それを今からかける」
「いや……そう言う意味じゃ……」
龍は竈を隠すように覆って並んでいる木々の外側に杖の少し先っぽだけを出した。
「アナグトリー《認識を阻害せよ》」
と龍が詠唱するのを聞いているアリスだったが、特別何も起こらない。
しかし、すぐさま杖をローブにしまうと、カバンからこれまたキャンプ等に使っていそうな、しかもバックの内側の空間に絶対収まりはしないはずの折り畳みの椅子が二つを取り出して、アリスの目の前で組み立て置いた。
「さあ、座れ」
「え、いや、だからまだ質問が…」
「とりあえず座れ、ここなら誰にも襲われる危険も聞かれる危険もない」
「たしかに!そうですね!でもあなたに襲われる危険は考慮されてます?」
ありったけのスマイルで毒を吐くように質問した。
「…?俺がお前を?なんで?襲う必要がない。そもそも現段階で俺がお前に興味を抱く要素が何一つない」
それは暗にお前を一人の女性もしくは女の子として見てないとアリスにいうがごときセリフであった。
「えー?こんなに可愛いくて可憐な15歳の少女なのにー?」
(はあ、こいつの質問攻めには飽きた。戦略変更…)
「まあとりあえずほれっ」
竈を挟むように座っているアリスにあるものを渡し投げる。
「ちょっ!いきなり投げんなよもう、…!これって!」
「そうだ杖だ、さっきお前見ただろ?魔法使うところ。お前も使ってみろ、ただし秘密な?ばれるとちとまずい」
「……お……おおお!これぞ!ハリーポッターの杖やん!すげー!さっきの魔法もこれじゃろ!あははは!」
龍の話など一ミリも聞いていなかった。目の前にある、杖に興味津々のただの少女である。
(ふう、見たことないおもちゃ。そして前の世界では使えないがこの世界で使えるものを目の当たりしたら大抵注意はそちらに向く。これでいい、こいつの質問攻め飽きた)
「あ、あの!これ使ってみてもいいでしゅか!?」
「……」
(こいつ興奮しすぎて呂律が回っていない…、大丈夫か?)
「とりあえず落ち着け。大丈夫だから使ってみろ」
龍はローブの内側に入っている杖のスペアを握った。
(こいつが知っている呪文は覚えていればさっき俺が使った火球だけ…、火の鳥は呪文じゃなくてただの技だ。俺に向かって放つ可能性とその辺の木に放つ可能性も考えておかねば)
アリスは杖を握ると誰もいない場所に向けた。
(あ、そういう常識はあるのか)
そして誰もいない空間にアリスが大声で詠唱したのは…。
「エクスペクト・パトロナーム!」
「は?」
……。
………。
…………。
森は相変わらず静かだった。
夜になり小さな夜行性の動物が動き出したのか、鳴き声が辺りから聞こえ始める。
時折吹く風が木々を揺らし風と木々の擦れる音が聞こえる程度、そのくらいの静寂だった。
しかし、その静寂を破るかのごとくのアリスの詠唱だったが、杖はピクリとも反応しなかった。
それもそのはずだ、この世界でハリーポッターの呪文は使用できない。
だが現代人であるアリスが知る有名な呪文といえば、ハリーポッターのものくらいだった。
因みに先ほど龍が使った呪文など覚えているはずもない。
龍は聞いたことがない呪文がアリスの口から飛び出したので身構えたが、何も起きなかったので、今はただ呆れるばかりだった。
ただ、周りが暗くなったのでルーティンのようにカバンからランプを取り出し、杖を使って明かりをつけた。
「あ、あれ?何も起きない!?おかしいな守護霊が出てくるんじゃないの?あ!確か出す条件で使用者本人の幸福な記憶が必要なんだっけ!?うーん、今すぐには思い出せないなー、私自身の記憶がないんだよねー」
(びっくりした…。いきなり知らん呪文を唱えたから、身構えちまった。だが、魔法が出ない?失敗したところ見るとこの世界に存在しない呪文?いや俺の知らない魔法の可能性も…)
「おい、やりたいことは終わったか?お前が突然知らない呪文を言ったからびっくりしたぞ…まったく…。お前はまだこの世界がなんなのか理解してないようだな。本当に現代人なのか?まったく…。まず杖をこう持ってみな」
龍は自分の持っているスペアの杖を胸元から30センチの距離まで持っていく。
アリスはとりあえず龍と同じようにした。
しかし、一瞬は杖を持って逃げようかと考えた。
が、もう辺りは暗い。それに先ほど龍が認識阻害の魔法をかけた事も知っている。
そのことからここらへんにもあのライオンのような猛獣がでるとわかってしまう。
それにアリスは先ほど(といってももう数時間経過しているが)この見知らぬ場所で目覚めたばかりなのだ。
土地勘も地図もない、それに魔法も知らない(ちなみに龍が使った火球の呪文も覚えていない)。
もう真っ暗。この状況で獣に襲われることを考えたら逃げるという考えも自殺行為に思えたため断念した。
「いいか?杖の先を集中してみるんだ。ゴルフボールは分かるか?あれぐらいの大きさの玉をイメージしてみろ」
「は、はあ…」
何言ってんだこいつ?とは思いながらも杖の先を見て玉をイメージする。
するとどうだろう、杖の先から僅かに光る粒子状の何かが出てきて集まっていく。
それは徐々に大きくなり、アリスがイメージした大きさの僅かに光る半透明の球体になった。
美しかった。光る球体が宙に浮かび、外側は揺らめいている。
「すごい…、綺麗…」
アリスは自分が作った球体に眺めていた、そして自然に開いている手でその球体を触ろうとした。
「触るなよ、破裂して吹き飛ぶぞ」
「…っ!」
さすがに今回は聞いていたのかすぐさまに手を引っ込める。
「綺麗だろ?それが【魔素球】だ。だがこれは呪文ではない。俺たちが使う基礎魔法の土台になるものでね、イメージすれば出せる。本来俺たちの体の中にある【魔素】を球体にして呪文によってただの魔素の状態から魔法に変換してくれるのが杖だ。だから俺たちは杖が無くては魔法が使えないってわけだな…って近い!」
龍の説明を聞いてたアリスは自分でも気づかぬうちに近寄っていた。
「おっと!失敬失敬」
(いつの時代の人間だよ…、まあ俺がそんなこと言う資格ないんだが)
「それで!それで!」
「…まあいい、さっき俺が魔素球に触れるなといったなその理由を教えてやろう。杖をそこら辺の木に向けてはなってみろ。魔素球は放たれない限りは杖に先を浮遊してるだけだから心配しなくていい」
「あの、どうやって放つんです?」
「……。お前さっき変な呪文叫んでただろ?あんな感じで」
「ああ、そういうことね」
理解したアリスはフフーンと木に向き直り、映画でやっていた杖を振る真似をして、木向かって魔素球を放った。
(よく転生者がやってるけどなんなんだ?流行り?)
アリスが放った魔素球は狙った気に向かって真っすぐ飛んで行った。
そして、木に直撃すると水の塊がはじけるように形を崩した。
「おお!ストラーイク!当たったじゃん!別に危険なことなんて…」
次の瞬間、魔素球はパーンという強烈な音とともに姿を消した。
しかし、魔素球が当たった木の表面は数ミリほど円形に削り取られていた。
「……」
アリスはゆっくり龍の方に向きかえると、魔素球にあたった所を指差した。
「ええっと…」
木の表面に起こった現象を見て驚愕している顔に吹き出しそうになりながらも説明を続ける
「ん?ああ、魔素球に触れるとああなる。もちろん指なんて触れた暁には、ふっ、どうなるんだろうな」
ちょっと出た。
「あぶねーじゃねーか!先に言えよ!まじで指吹き飛ぶところだったじゃん!笑ってんじゃねーよ!」
「いや、見てもらった方が早いかなと思ってな。次に進もう」
「いや、聞けよ!あの木見た!?その魔素なんたらが当たった場所思いっきりやばいことになってるよね!?えぐれてらっしゃいますよ!?」
「はいはい分かってる分かってるって。見りゃあ分かるし、俺も何回もくらったから。それよりも早く、杖構えなさい」
自分に詰め寄るアリスの肩を掴みぐるんと回す。
「もう!わかったわかった!こうすればいいんでしょ?」
アリスはまた表面が少しえぐれた木に向かって杖を構えた。
「じゃあ俺が使った魔法覚えてるか?今日使ったやつ」
「覚えてない!」
(いやそんな力強くはっきり言わんでも…)
「まあいい、よく木を狙え、“ピロズクステ”って唱えてみろ!魔素球は出さなくてもいい」
「なんか聞き覚えがある気がするけど、ま、いいか」
杖の先に木を捉え、深呼吸。そして、振り、詠唱…。
「ピロズクステ《火球よ飛べ》!」
今度は半透明の光るゴルフボールサイズの球体ではなく、サッカーボール並みの大きさの真っ赤に燃える火の玉が杖の先から出現し、木に向かって一直線に飛んで行った。