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アリス【主人公】の転生 11

人間の視界、いや視野と呼ぶべきか。一般的に人間の視野の限界は約100度と言われている。ただし、形や色を明瞭に認識できる範囲は、せいぜい4~20度程度だ。


つまり、それ以外の範囲では詳細な識別は難しい。


しかし、龍はその100度ぎりぎりの視野内で起こった現象をはっきりと認識した。なぜなら、到底あり得ないことが起きたからだ。


ウィビシが姿を現し、迫りくる中、龍は視線を向ける。


そこには……。


かつて自分がいた場所、瀕死の裕也が倒れ、まだ魔法をまともに扱えないアリスが防衛を任されている場所。


その上に、眩い光の円柱がそびえ立っていた。


「……っな!」


驚愕が思考を停止させる。


龍はこの状況を踏まえ、最善の選択肢を選んだつもりだった。


それがまるで嘲笑われるかのように、目の前に現れた光の柱――選択肢すら与えない、圧倒的な力の発露。


(あれは…なんだ?魔法陣か?しかも…白い!?……聖霊魔法だと!?このタイミングで!?【聖霊魔導士】が4人も現れたとでもいうのか!?そんな偶然、あり得るのか!?いったい誰が…)


もはや龍の意識からウィビシの存在は消え去っていた。


彼の興味を奪ったのは、まさしくこの奇跡の術を使った者の正体だった。


距離と円柱の輝きで視界は妨げられていたが、龍は目を凝らした。


ウィビシが迫る緊迫した状況の中で……

「……は?」


確認した瞬間、思考が再び混乱する。


魔法陣の中心で杖を握る者、それは……アリスだった。


(……は?どういう状況だ?あれはアリス……だよな?聖霊魔法を発動している?いや、待て。昨日、裸を見た時の反応からしてアリスが女であることは明らか……なら何故アリスが聖霊魔法を使える!?)


情報の処理が追いつかず、脳が悲鳴を上げる。


しかし、龍に迷う暇はなかった。ウィビシが躊躇なく襲いかかる。


一体が背後から飛びかかった……本来なら完全な死角。振り向いて回避するには遅すぎる。


だが、龍は振り向くことなく、左手の杖を背後に向ける。


放たれた火球がウィビシを直撃した。


空中で避ける術を持たぬウィビシは、燃え上がりながら後方へと吹き飛ばされる。


龍はゆっくりと敵の群れへと向き直る。


左手に杖、右手にはバッグから取り出した脇差。


「…予定変更だ、貴様ら。いや、違うな。考え方を変えただけか。本来なら、お前たちが1、2匹通り抜けても、アリスの魔法の経験値として良しとするつもりだったが……もう違う。裕也が生き延びる選択肢が生まれた以上、一匹たりとも近づけさせるわけにはいかない」


(……すまない、裕也。俺は一度、初心に立ち返るべきだな。そういえば、師匠にも言われた……『諦めることは敗北に等しい。常に思考を巡らせろ。でなければ、ただの獣だ』。ははは、この世界に来たばかりの新人に気づかされるとは、俺もまだ半人前ということか)



龍は、改めて覚悟を固める。


「さあ来い!貴様らあ!」



同じ頃、アリスは……

「……分からん!」


行き詰まっていた。


(治癒魔法は発動したけど、その先が分からない!普通こういうのって、自動的に傷を癒してくれるものじゃないの!?それに……何、この粒子?)


円柱の光の中、無数の光の粒子が裕也の上で漂っていた。アリスの杖の輝きに呼応するように、ふわふわと揺れている。


(……いや、まさかね?こんなゲームみたいな方法で……いや、試してみるか)


アリスは杖の光を、裕也のぱっくり開いた傷口に向けた。


すると……


粒子が杖の光に導かれ、傷口へと吸い込まれていった。


「……まじかー」


(これはこれで面白い。ていうか……出血、止まってる?)


確かに傷はゆっくりと閉じつつあった。裕也の呼吸も、少しずつ安定していく。


「よかった……!あとは流し込むだけ……っ!」


安堵した瞬間……


全身に倦怠感が襲いかかった。


(うそっ、すごい勢いで体が重くなる!?まさか、第四治癒魔法の“第四”って、消費する魔素が多いって意味!?)


体から急速に力が抜けていく。


(まずい、まだ治りきってない!……何か、眠気を吹き飛ばせるもの……)


必死に周囲を見回し、アリスはあるものを見つけた。


それは、龍が落とした果物ナイフ。


アリスは無言でナイフを手に取り、自分の太ももに刃を向ける。


「うおりゃあああ!」


……ザクッ


「ぎゃあああああ!」


躊躇はしたが、それでもナイフの先端は皮膚を裂いた。


痛みで魔法が消えかける……杖の光が一瞬弱まる。


「くっ……!た、耐えろォォォ!」


アリスは歯を食いしばり、必死に集中する。


(裕也さんの痛みに比べれば……私のなんて、蚊に刺されたようなものだろ!?だったら耐えろ、私!主人公になるんだろ!?こんな程度で……!)


その気力が奇跡を生んだ。


傷は完全に塞がり、出血も止まる。


裕也の呼吸が、ゆっくりとした穏やかなものに変わった。


「ふふ……やったぁ……さすが私……これでこそ主人公……」


安堵の中、アリスはその場に倒れ込む。


光の円柱が、ゆっくりと消えていった。



その頃、ウィビシと戦っていた龍の目の前には、黒焦げの死体、胴体が真っ二つになった死体、びしょ濡れの死体など、様々なウィビシの亡骸が転がっていた。


十数匹いたウィビシも、今では片手で数えられるほどに減っていた。


(……おや? 円柱が消えた? 治療は終わったと見ていいのか? っていうか、アリスさんまで倒れてらっしゃる。まあ、一人で第四を使ったんだ、相当な魔素を消費したんだろう)


「さて……お前ら、撤退する気は……まあ、ないわな。最初の数匹で引かなかった時点で分かってたさ。こっちはまだ余裕があるんだ、さっさと片付けようぜ?」


そのとき、龍の視界の端に、遠くの森の中で何かが光を反射するのが見えた。龍はにやりと笑い、煙管を取り出して火をつけると、一服した後、杖を天に向けた。杖の先にゴルフボールほどの魔素球が現れる。


「ピロテクーノ《赤き花火よ》」


魔素球は赤く染まり、天へと飛んでいく。数秒後、夜空に真っ赤な花火が咲いた。ウィビシたちはその意味を知らず、一匹が飛びかかってくる。


「残念ながら、詰みだ。お前らの負けってことさ」


龍は何もせず、ただ微笑んだ。次の瞬間、ウィビシの脳天に銃弾が直撃し、絶命する。その数秒後、銃声が響いた。


「こわーいお兄さんたちが、物騒なもんぶら下げて皆殺しに来るぜ?」


そう言うと、龍はローブを脱ぎ捨て(後で拾うつもりだ)、腰に取り付けていた巾着袋から一本の箒を取り出した。それに跨ると、ゆっくりと浮上する。


ウィビシたちは標的を失い、次に裕也とアリスに目をつけた。しかし、もう全てが遅かった。


上空から戦況を見ていた龍は笑みを深める。


「ふふふ、だから言ったじゃないか、詰みだって。もう手遅れなんだよ」


次の瞬間、銃弾の嵐がウィビシたちを襲った。数十発もの弾丸が撃ち込まれ、数秒後には全てのウィビシが沈黙した。


龍はそれを眺めながら、ゆっくりとアリスのもとへ降下する。アリスのそばには魔導書、杖、ナイフが落ちていた。


「なるほど、魔導書を使ったか。だが、それだけじゃ説明がつかない」


(問題はなぜこいつが聖霊魔法を使えたのかだ。ただ呪文を真似しただけでは発動できない。これがこいつの【ユニーク】か? もしそうなら説明はつくが……また厄介な問題が生まれるな)


「まあ、それは後で考えるとして、今の問題は……」


龍は大きく肩を落とした。


「あいつらになんて説明するか。明日香さんの様子を見れば、確実に裕也は死んだと思われてるだろうし、まあ実際、今も死んだようにぐっすり眠ってるけど。援軍が来て『裕也治ってました』なんて言ったら、間違いなく質問攻めだな。アリスのユニークは伏せたいし……国家機密レベルの情報になってるし……ってか、なんでこんなに静かなんだ?」


周囲を見渡すと、すでにウィビシは全員、鉛玉を浴びて永眠していた。森の方角からは何台もの軍用車がこちらに向かってくる。


「……さっすが。……よし、決めた」


一台の車が龍の方へ向かい、他の車両はウィビシの処理に向かった。車が止まると、戦闘服を着た自衛官――冴島が降りてくる。その顔には、どこか呆れた表情が浮かんでいた。


「おー、冴島くん、早かったな。もう少しかかるかと思ったんだが」


冴島は深いため息をついた。


「……はあ、龍殿。今、緊急出動任務中なんです。いつもなら構いませんが、今は階級で呼んでください。冴島一尉と」

「堅苦しいのは勘弁してくれ。ほかの人は知らんが、俺は『龍さん』でいいんだ。君ぐらいだぞ、殿なんてつけるの。それより来るの早くないか?」

「そりゃあ、今朝から桜木さんとも龍さんとも連絡が取れず、異常事態かと思いました。三穂さんが林さんに頼んで、小隊規模の部隊を編成していました。うちくらいですよ、上の許可なしで動けるのは」

「ああ、そういうことか。だから異様に早かったんだな。まあ、そうじゃなきゃ、あの部隊を俺の特例で作った意味がない。ただでさえ部隊編成には糞時間かかるんだから」

「それはともかく、私たちに気づいたなら、さっさと退避してくださいよ。緊急出動で小銃しか持ってません!普段は火器厳禁なのに戦闘になったんですよ!迫撃砲も使えないし、赤色花火を上げてくれないと撃てないのは知ってますよね?なのに花火を上げたのに、優雅に煙管を吸うってどういうことですか?あと少し遅れていたら、間に合わなかったんですよ!」

「まあ俺は死なないし、そん時はそん時で君たちが対処すりゃいいだけの話だ」

「処理の仕方が変わるんで面倒なんです!……はあ、もういいです。ところで」

「ん?何?」

「……その……桜木さんは?」


冴島の顔が曇る。


「あ、えーと……そこだな」


龍は裕也を指差した。冴島は、恐らく手を合わせるつもりなのだろうと龍は思った。


(……マジでどうするかな。仕方ないけど、こんな顔されたらますます説明しづらい)


「……龍さん?」


冴島が神妙な顔つきになる。


「……うーん、なんだい?」

「桜木さんの奥様の話では、肩から胸にかけて重傷で、もう命はないと。我々が到着するまで、ウィビシに体を持ってかれないように龍さんが守ってくれるって聞いて来たんですが……」


(ちゃんと明日香さんには俺の意図が伝わってたのね、よかった!……いや、そこじゃないな)


「冴島くん」


龍は冴島を立たせ、両手で肩を掴んだ。


「っ!な、なんでしょう?」

「いいか?今から言うことを一言一句、しっかり明日香さんと上に伝えるんだ。俺は裕也の傷を見て、もうダメだと判断した。だから体を守る方を優先した。しかし!その時だ。どこからともなく四人の聖霊魔導士が現れて、裕也を治癒し、すぐに消えてしまった。俺とそこの少女……新しい転生者のアリス……は、その間、ウィビシを近づけさせないように必死で戦った。そして治癒が終わると、聖霊魔導士たちはどこかへ立ち去ってしまった。お礼を言う暇もなかった。そしてアリスは戦いの疲れか、魔素切れかでぐっすり眠っている。……これが事の顛末だ。聞いてるか?」


冴島の顔には、話の途中から露骨に「嘘くさい」と書かれていた。


「……嘘ですよね?」

「え?いや?俺は真実を述べているよ」

「そんなに話せないことなんですか?我々にも?特に我が部隊でも?」


龍の目が泳ぐ。


「…………すまない。まだ確証が取れないんだ。もし俺の仮説が正しければ、今のところ話せる人間はいない」

「そんなにヤバい話なんですか?」

「真面目に最重要国家機密レベルで」

「……はあ、そうですか。龍さんがそうおっしゃるなら、そうなんでしょう。三穂さんと奥さんにはそう言っておきます」

「助かる。もし上から何か言われても、俺がそう言ったと伝えてくれ」

「もちろんです。じゃあ先に門まで行っててください。車は余分に一台持ってきましたし、桜木さんの搬送にはアンビもあります」


龍は腕を組んで考えた。


「分かった。裕也は念のため、門で明日香さんと里香ちゃんを乗せて病院まで頼む。俺たちは近くのホテルに一泊する」

「了解しました」


数分後、車が用意された。


大多数の隊員はウィビシの死体処理に、冴島についていた隊員は裕也の搬送準備とアリスの車への積み込み作業に取り掛かる。途中、アリスの太ももから血が出ているのを見て騒ぎになったが、大事には至らなかった。


その間、龍は自分のバッグの中身が散乱していることに気づき、黙々と後片付けをしていた。


やがて、救急搬送と龍たちの出発準備が整い、車がゆっくりと走り出す。


「では、出発します」

「ああ」


(……ふう、長い一日だったな。だが、これから先はもっと忙しくなる。アリスはこの国、いや、この世界を動かす存在になるかもしれん。俺の仮説が正しければ、日本やプロソスだけでなく、【闇の勢力】にも狙われる恐れがある)


(どうするか……もう選択肢は一つしかない。別に考えるのを放棄したわけじゃない。これが俺の考える最善の選択だ。アリスを俺の手元に置き、できる限りのことを教える。アイツを倒すための最強の魔法使い……いや、魔女に育てる)


(そのためには、大義名分が必要だな。弟子ならちょうどいい。周りが持てとうるさいし、色々と都合がいい。それにもし仮説が正しければ、アイツを倒す鍵になるはずだ)


龍は胸元のネックレスに触れた。


(【闇の女王・ファナカス】。今度こそ、お前を殺す)


白目を向いて気絶しているアリスを横目に、龍は横浜のホテルへと向かうのだった。



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