「……ん?」
アリスが目を覚ますと、そこは見覚えのない豪華なベッドの上だった。
「……知らない天井だ。」
ただ、言ってみたかっただけである。
「うんしょ。……あれ?ここどこ?ホテル?」
周囲を見回すと、調度品からしてホテルらしい。しかし、部屋の広さからしてかなり高級な部類だとわかる。
窓の方へ向かったが、分厚いカーテンがかかっており、外の様子は見えない。それどころか、カーテンに触れようとした瞬間、見えない壁のようなものに遮られた。
「……ん?」
(よく考えろ、私。あの男は日本国籍を持っていると言っていた。私が目覚めたのは日本の領土内だと。気を失ったのは夕方、今は夜の八時。数時間で国境を越えられるとは思えない……。だからここはまだ日本のはず。でも、それよりも――)
アリスは部屋の内装を眺めた。
「現代っぽいけど、ところどころ古いな……。ブラウン管テレビ?黒電話?教科書で見たことあるような……。てか、この広さって普通なの?スイートルーム?あの男、そんなに金持ちには見えなかったけど。」
ここまで考えて、重要なことに気づく。
「あの男……いや、そもそも何で私、ここにいるんだ?てか、あの男どこ行った?まさか私の身体目当て!?いや、まあ確かに?結構な美少女だと思いますし?連れ込みたくなる気持ちもわからなくは――」
(……って、何考えてんの私!?)
その瞬間、耳に水音が届いた。
(シャワーの音?ホテルなら当たり前だけど、私しかいないはず……。)
不安が頭をよぎる。杖を探そうとした、その時。
「おお、起きたのか……って、何してんだ?」
背後から声がした。
アリスの全身から血の気が引いていく。最悪の予感が、音を立てて組み上がる。
(まだ確定じゃない……。シャワーを浴びてるのは別人で、あいつは買い出しに行ってただけかもしれない……!)
決死の覚悟で振り向いた。
「……おっほー、なるほど。」
そこには、腰まで伸びた髪をタオルでまとめ、薄い浴衣をまとった男の姿が――。
(しっとり女性か!と突っ込みたい……!)
アリスの思考が完全にフリーズした。
「どうした?」
龍が尋ねるが、アリスは動けない。
「……俺の体も大変なんもんだ。成長は止まってるはずなのに、髪は伸びる。新陳代謝が普通に働いてるらしい。まあ、切るのめんどくさいから放置してるが……って、聞いてるか?」
(……逃げられない。)
本能がそう悟ったのか。アリスは静かに正座し、お辞儀した。
「初めてなので、お手柔らかにお願いします。できれば痛くしないように……。」
「……何言ってんのお前、正気か?しかもいきなり敬語て。」
「だって、どう見ても今から血が流れますよレッツヴァージン卒業!的な雰囲気じゃないですか!」
「は?ヴァージン?処女のこと?お前そうなの?」
「え、違うの?」
「俺は単に、戦闘の後で埃と血を洗っただけだが……。何想像してた?」
アリス、再起不能。
「まあいい。ついでにお前もシャワー浴びてこい。湯船に入りたければ、湯が溜まるまでシャワー浴びながら待つといい。俺はシャワーだけだったから湯は張ってないが」
「はい、そうさせていただきます」
アリスは赤くなった顔を隠しながら、そそくさと浴室へ向かった。
浴室はさすがスイートルームといった雰囲気だ。広さこそ普通だが、壁の色やバスタブ、シャワーヘッドに至るまで、すべてが高級感に満ちている。
服を脱ぎ、湯を張る間にシャワーで体を洗う。そして――
「うおおおおおおあああああ!何言ってんだ私はああああああ!」
顔を真っ赤にしながら、先ほど無意識に口走った言葉を思い出し、浴室の壁に頭を打ちつける。
「普段の私から絶対に出ないようなセリフだよ!しかもめっちゃ流暢に口をついて出たよ!ありえねえええ!どうしたんだ私いいいい!死にたいいいいい!つーか痛ええええ!」
痛みによってようやく冷静さを取り戻す。
「……よし」
何かを決心し、しっかり体を洗った後、湯船に浸かった。
数十分後。久しぶりの風呂を満喫したアリスは、ホテル備え付けの服に着替え、龍のいる部屋へ向かった。
龍はベッドのそばの机で、優雅に煙管をくゆらせている。
「ん? おお、上がったか。やはり女性は毎日風呂に入りたいんだろう? 昨日はさすがに無理だったからな。ゆっくりできたか?」
「ええ! お気遣いどうも! おかげさまでゆっくりできました!」
「……? そ、そうか」
龍の微妙な反応は気にせず、アリスは話題を変えた。
「ところで、杖ってあります?」
「まあ、あるが……なんでだ?」
「いやあ! 私、前にいた日本で杖を使う魔法の映画が大好きでして! 小説も全部読んだし、内容もバッチリ覚えてるんです! 昨日今日と魔法を使いましたけど、昨日は暗くてじっくり見れなかったんですよね。だから、今じっくり観察したいなーって!」
「ああ、なるほど。じゃあ昨日お前が言った呪文は、その物語の中の呪文か。道理で魔法が発動しないわけだ。ほれ、よく見な」
龍が杖を渡す。
「ありがとうございます! わー、すごーい!」
杖をじっくり観察する。昨夜は焚き火の明かりしかなかったため、細部までは見えなかった。
(……ハリーポッターの杖とそっくりなんだが?)
「本当にそっくりですねー。なんでだろ?」
「そういえば最近、杖のデザインが変わったんだよな。何年前だったかな……転生してきたやつが『やっぱ魔法の杖はこうでないと!』って提案して、今の形になったらしい」
アリスは思わずガッツポーズ。
(日本人、わかってるぅぅ! そう、いいところはちゃんと取り入れないと! 魔法の杖はこうよ!)
そして――何の躊躇もなく、杖を龍に向けた。
「? 返すのか? もっと見ても構わんぞ?」
杖の先に、ゴルフボール大の魔素球が生成される。
「は? おい、お前何して――」
「さっきの会話、覚えてます?」
「ああ、一言一句……いや、どうだったかな。最近覚えが悪くてな」
龍は誤魔化そうとするが、アリスは笑顔のまま魔素球をサッカーボール大に拡張する。
「覚えてますよね? 私が土下座したことも、ちゃんと!」
男は笑みをこぼす。察したようだ。
「ふふふ、なるほど。先ほどは脅しだったか。で、今回は?」
「ふふふ! なんでしょうね!」
(てめぇの記憶と体を吹っ飛ばすためだよ!)
龍は右手を伸ばし、挑発するように手招きする。
アリスは杖を引き、思い切り振りかぶった。魔素球が龍に向かって飛ぶ――が。
「?」
(何をする気? 今さら魔法を放とうが、避けるのは間に合わないはず――)
しかし。
龍が予備の杖を構えた瞬間、魔素球は彼の目の前で見えない壁にぶつかり、形を崩した。
バンッ!
小さな爆発が起こったものの、龍にはダメージ一つ入っていない。
「は?」
(何が起きた? あの大きさなら直撃すれば大爆発するはず。けど、その前に弾かれた……? 呪文も唱えてないのに? 何これ、無詠唱呪文?)
情報量が多すぎて、頭がパンクしかけるアリス。
(ダメだ。この男には敵わない。ほかに使える呪文もないし……クッソ!)
呆然と杖を下ろす。
「今のは魔法結界。シールドとも言うが、日本人はこっちの呼び方の方が馴染みあるらしいな」
龍が淡々と説明する。
「それに俺は、その程度の魔法どころか、どんな方法でも死なないよ」
「……どういう意味です?」
「そのままの意味さ。俺は呪いを受けていて、不老不死なんだ。まあ、死ぬ痛みはあるけどな」
予想外の言葉に、アリスは驚く。
「それって、転生者は全員……?」
「違う。俺だけだ」
「ふーん」
納得しかけたところで、龍は本題を切り出した。
「さて、話を戻すぞ」
「はあ」
「アリス、お前は特別な転生者のようだ。少し特殊なユニークを持っている」
アリスは前のめりになった。
「おっと、失敬失敬。続けて?」
「偉そうになったなお前……まあいいが」
龍は説明を続けた。
この世界の聖霊魔法には、治癒魔法と闇滅魔法があること。
そして――本来、聖霊魔法は【男性しか使えない】魔法であること。
「……は?」
アリスは思わず胸や下を確認しようとし――途中で思いとどまった。
「まあ驚くだろうな。俺も最初、お前を男かと思った」
「見たんですか?」
今度は杖ではなく拳を握る。
「……ああ、見たよ。転生者は全員例外なくな」
「……まあ確かに」
アリスはこぶしを下ろした。
そして、龍はこう言った。
「お前には、俺の弟子になってもらう」
「は?」
アリスは盛大に目を見開いた。
前置きこそあったものの、弟子になるためのプロセスを一切踏んでいないことに呆れるアリス。
「先ほども言ったが、聖霊魔法は本来、男性しか使えない。しかも、すべての男性がなれるわけではなく、数百人、数千人に一人だけが素質を持つ。実際はもっと少ないがな。一国に一人いるかどうかの存在で、その価値は計り知れない。それに加えて、お前はすべての聖霊魔法を単独で扱える。この世界でも希少な存在だ。だからこそ、俺はお前を手元に置き、一人前の魔法使いに育てることにした。俺はこの世界で唯一の【神報者(オブザーバー)】だからな。情報が洩れる心配はほとんどないし、俺の周りには信頼できる者しかいない」
「………」
「まあ、いきなりこんな話をされても戸惑うだろう。だから、すぐに決めなくてもいい。明日までに考えろ……って、おい、聞いてるか?」
「……じゃん」
「ん?なんだって?」
「それって、主人公じゃん!」
「は?」
「世界で唯一、すべての聖霊魔法を使えるんでしょ?しかも、唯一のオブザーバーの弟子になるとか、チート級じゃん!やっぱり、あたしが主人公じゃーん!」
「……」
「弟子?やりますよ、もちろん!だって、そのオブザーバーってあんた一人しかいないんでしょ?その弟子ってことは、あたしも特別な存在ってことでしょ?主人公に決まってる!」
アリスは確信し、得意げにコロンビアのポーズを決める。だが、男の顔は呆れ果てていた。
「……まあ、意欲的なのはいいことだ。それじゃあ、第一歩だ」
男は立ち上がる。アリスも少し遅れて立ち上がった。
男は手を差し出す。
「なんです?」
「今日から俺たちは師弟関係だ。俺のことは……そうだな、師匠とでも呼んでくれ。それから、言葉遣いは……まあ、今さら直せとは言わないがな」
「イエッサー!」
アリスは師匠の差し出した右手を掴み、力強く握手を交わした。
「今日から私は師匠の弟子ですね!よろしく!」
こうして、アリスは【神報者(オブザーバー)】龍の弟子となった。