素朴。
目の前の寮を見て、アリスが最初に思ったことだった。
屋根が木造だった時点で嫌な予感はしていたが、それは見事に的中した。
「師匠?」
「なんだよ」
「聞きにくいんですがね?この建物、めちゃくちゃ古くないですか?築何年ですかこれ!耐震性能なさそうなんですけど!この世界に地震あるのか知りませんけど!」
「はあ?周りをよく見ろ。綺麗じゃないか」
言われて見回すと、確かに寮以外は整備が行き届いていた。
門から続くレンガ造りの道はしっかりしているし、ビニールで覆われた畑らしきものもある。
「駐筝場」と書かれた看板が駐輪場の隣に併設されていたのも目に入った。見たことのない施設だが、どれも手入れが行き届いている。
再び龍を見ると、「どうだ、綺麗だろ?」と言わんばかりのドヤ顔をしていた。
「……フンッ!」
アリスは師匠の腹にボディーブローを叩き込もうとしたが、あっさり避けられた。
「あっぶねえ。そんな単調な攻撃、何度も食らうと思うか?」
「……チッ! でもですね? どんなに周りが綺麗でも、住むところがこんなボロボロだったら私、住みたくなくなっちゃうなー! いくら師匠が私を弟子にしてもー、こんなところに住めって言うんだったらー、弟子やめようかなー!」
ボディーブローが外れた分の嫌味だ。
さっきのドヤ顔を仕返すように、渾身のドヤ顔を見せつける。
(どうよ! 物理攻撃がダメなら言葉で殴ればいい! 精神にダメージを与えれば勝ちじゃなーい!?)
「はあ……お前は今日ここに来るまで何を見てきた?」
「は? ちょっと何言ってんのかわかんないんだけど? もしかして言い返せないから負け惜しみ? ダッサー!」
「……」
龍は黙って寮のドアへ向かい、ドアノブに手をかける。
「あれー? おうちに帰っちゃうんですかー? 私ー、どうしようかなー? ここよりマシな国に行こうかなー?」
「お前、車でここに来るまで色んな街を通ったな?」
「そうだけど?」
「街並みを見て、何か気づかなかったか?」
「う、うーん……?」
言われて思い返すが、道中は雄二と話していたため、建物をまともに見ていなかった。
「あー、あのー、雄二さんとの話に夢中で、あんまり見てなかったかも」
「そうか、なら仕方ない。ヒントをやろう。どの街でも、住宅もビルもほとんど形が同じだったんだ。なぜだと思う?」
龍はドアを開けた。
その先に広がる光景を見て、アリスの思考が止まる。
「魔法で建物の内部を自由にできるんなら、外観は適当で良くね? って結論に至ったからだ」
寮の内部は、外観の木造建築とはかけ離れた豪華な造りだった。
「え?……へ?」
(どゆこと? 外はあんなにボロいのに、中めっちゃ豪華じゃん! しかも広っ!)
驚きながらも、昨日のホテルで聞いた話を思い出す。
「……あ! 拡張魔法!」
「そうだよ。それで内装が自由なら、外観はどうでもよくね? ってなった結果がこれだ……おぶへえ!」
今度のボディーブローはクリーンヒットだった。
「なんで殴るんじゃ!」
「外観適当って言っても限度があるだろうが! どんなに内装が凄くても、外観がボロかったら誰も寄り付かねえぞ! 中身だけが凄いスーパーカーとか誰が買うねん!」
「……まあ、ここは転生者専用の建物だからな」
「いや、そういう問題じゃ……ん?」
突然、足音が聞こえてきた。
「誰か……走ってくる?」
「ああ、それなら……」
「龍くぅぅぅぅぅーん!」
声とともに、勢いよく飛び込んできた女性。
しかし、抱きついた先は龍ではなく、アリスだった。
「うにゅう?」
「あれぇ? 龍くん、背縮んだ? おかしいなー?」
(やばい……でかい……女性の胸って……柔らかぁぁぁぁぁ!)
「俺はこっちだ」
龍の声がした途端、女性はアリスから離れた。
「あは! やっぱりか! すんなり抱きつかせてくれたから、ついに私と結婚してくれる気になったのかなって思ったけど残念! ……で? 君が新しい識人【しきじん】?」
「え? は? 識人?」
「あー、ごめんね! 転生者のことをこの世界の住人は識人って呼ぶの。理由はまた後でね!」
「……自己紹介ぐらいしたら?」と龍が促すと、女性は笑顔で手を差し出した。
「私は友里。普段は学校の事務員をしてるんだ! よろしく!」
「よ、よろしくお願いします……」
戸惑いながらも、差し出された手を握る。
「それでー? 君が聖霊魔法のユニーク持ち?」
「え? なんでそれを……?」
アリスは慌てて師匠を見るが、龍は当然のように答えた。
「友里には昨日の時点で伝えてある。俺が信頼できる人間には話すと言っただろう? それに友里には、特別な事情もあるからな」
(聖霊魔法が世界的に貴重だって言ってたのに、こんなあっさり話すの!? しかもただの学校の事務員に!? ……まあ、師匠の言うことだから仕方ないか)
「まあ、師匠がそう言うなら……」
「それと、準備できてるよー」
そう言って友里が歩き出し、龍が続く。
「ちょっと待って! 何の準備!?」
慌ててついていった先には、長いテーブルのある部屋があった。
テーブルの上には紙と鉛筆。
「さて、さっさと書け。拒否権はない!」
「いや、拒否する気はないですけど! これは何の書類?」
「ステア魔法学校の特別入学許可申請書。他にも国に提出する書類もある」
(魔法学校!? ハリーポッターみたいな世界になってきた……!)
アリスは半ば呆然としながら、椅子に座った。
アリスはおとなしく椅子に座り、師匠が部屋を出ようと歩き出した。
「え?師匠、どこ行くんですか?」
「その申請書の書き方は俺じゃなくて友里に聞け。俺は知らんし、書くのに時間もかかる。それまで荷物を置いてくるだけだから、休憩させてくれ。じゃ、よろしくな」
「はいはい!」
龍は部屋を後にした。アリスは鉛筆を取り、申請書に取り掛かる。
ところが、異世界の申請書は予想外のレイアウトで、驚きの連続だった。
「苗字…書く場所がないんですね」
「この申請書は転生者専用だからね。転生者には苗字がないから、書く必要のない欄は削除したのよ」
(さすが日本人、無駄なところは削るんだな。でも、行き過ぎることもあるよね。行き過ぎた校則みたいに)
アリスは名前を書いた後、次の欄で手を止めた。生年月日の欄だ。誕生日の概念はすっかり忘れていたが、年齢は分かるのに、誕生日が思い出せなかった。
「あの…友里さん、生年月日が思い出せません」
「大丈夫、もう書いてあるから」
「え?何を言って…」
再度紙を見直すと、生年月日欄がすでに埋まっていた。自分の字で、「5月4日」と書かれている。
(なんで?必死に思い出そうとしたのに、いつの間にか書かれてる!)
「この世界に転生するとき、誕生日が記憶にないはずなのに、書類を通じて知ることがあるのよ。理由は分からないけど」
「へぇ」
(それって、ちょっとホラーじゃないか?勝手に手が動いたってことだろ?でも、これが私の誕生日なんだね…)
アリスは書類を進め、しばらく後、友里に質問を投げかけた。
「すみません、識人って何ですか?」
「転生者のことよ。転生者は旧世界の知識を持ち込むけど、新しい知識を持ってくる転生者もいるから、識人って呼ばれるの。昔から呼ばれてるんだけど、詳しいことは私も知らないわ」
「失礼ですが、友里さんはおいくつで?」
「30歳よ」
「…旧日本に未練はありますか?それとも割り切れたタイプですか?」
「……」
(あれ、地雷踏んだ?)
「アリスちゃん…」
「ひゃい!」
空気が重くなる中、友里が続けた。
「時々思い出すの。誰のか分からない赤ちゃんの顔。もしかしたら親戚か、友人かもしれないけど」
(やばい、めっちゃ地雷踏んだ!)
「転生したとき、結婚して赤ちゃんがいたら、家族を置いてきたことになる。責任感から死にたくなったことがあるの」
「それは違います!」
アリスは思わず立ち上がり、叫びながら友里に詰め寄ったが、椅子につまずき転んでしまう。
(ああ、やっちまったー。かっこよく決めたかったのに)
「大丈夫?顔ぶつけたけど」
友里に手を引かれ、アリスは立ち上がった。
「ありがとうございます、いてて。でも、それは違うんです!友里さん!」
「はい」
「友里さんは私が旧日本のことをもう忘れて割り切れたと思ってますか?」
「うーん、ちょっと分からないけど、今のところそれはないんじゃないかな?」
「今は割り切れたけど、昨日いろいろあって…」
アリスは裕也の件を思い出す。
「両親や兄弟を置いて先に死んだかもしれないと思ったとき、すごく申し訳なかった」
「それは仕方ないわ」
「でも思ったんです、私がこの世界に来たのには意味があるって。師匠も、私のユニークは貴重だって言ってくれたし」
アリスは自分でも何を言っているのか分からなくなっていた。しかし、心の中で「主人公」と叫ぶ自分がいた。
友里はアリスの頭を優しく撫で始めた。
「アリスちゃんはしっかり考えてるんだね。両親も納得してると思うよ」
アリスの顔が少し崩れる。
「友里さん、一つお願いしてもいいですか?」
「何?」
「その…抱きしめて撫でてくれませんか?」
(女子の特権!今だ!)
「いいよ!」
アリスは思いっきり友里に抱きついた。
「ふふ、かわいい、よしよし」
「ふふへへ」
(やべー、柔らかい!いい匂い!大きい!気持ちいい!)
「ほう、アリスはそっちが趣味か」
声を聞き、アリスは顔を向けた。龍だった。
「違います!女の子のスキンシップです!ねえ、友里さん!」
「そうだよー、龍君も来る?」
「いや、遠慮しとく」
「アリスちゃん、龍君ひどくない?」
「ひどいですよ師匠!謝ってください!」
龍はアリスが書いた書類に目を通しながら言った。
「話をそらさないでくれ。書類はちゃんと書いたか?」
「書きました」
「よし、今日は自由だ。友里に寮を案内してもらえ。学校卒業したらここで暮らすことになるからな」
龍は部屋を出ようとした。
「師匠、どこ行くんですか?」
「転保協会に行くんだ。転生者を保護して連れてくるのが仕事だけど、他にもやることがある」
「は、はあ」
「アリスちゃん、明日7時起床ね。学校に必要なものをそろえに行くから」
「7時!?急すぎる!」
「今日は4月3日、転生者は必ず月初に来るんだ。だから急いで準備する」
アリスは驚きながらも、師匠の後を追う。
「勝手だなー」
「龍君の仕事はハードだよ。休日もないし」
「その仕事、私もやらされるんですけど」
「主人公なんだから、困難に立ち向かわなきゃ」
アリスはもう逃げられないと思った。
その後、アリスと友里は寮を見学した。