「……はぁ」
皇居の中にある、宮殿……その中にある表御座所にいらっしゃる一人の男性が書類を手に取られその中身に思わずため息を溢された。
そして視線を前にいる龍に戻される。
「龍さん」
「はい」
「貴方のことを疑いたくはないのですが……この報告書の中身は事実ですか?」
「帝……他の日本国民ならいざ知らず……私が帝に嘘をつくと?」
「まあ……そうですね」
普段一人称が『俺』の龍が『私』を使うほどの人物……そう、龍の目の前に居らっしゃるのは龍がある人物以外にこの世で最も尊敬し崇拝し絶対の信頼を置いている人物である。
龍は普段帝と呼んでいるが時代が進めば呼称も変わる。
第二日本国の象徴であり、国の非常事態時に限り総理大臣より統治権を譲られる存在。
そう、天皇陛下その御方である。
龍は斎藤に電話し、金曜日の逮捕決行を宣言した次の日……つまり逮捕の前日、ある目的のため皇居を訪れ天皇陛下に面会していた。
陛下にある書類を書いてもらうためである。
そのためには北条家の裏切りの証拠を陛下に見せなければならなかったのだ。
「龍さん」
「なんでしょう」
「……」
陛下は言い淀んでらっしゃった。
「なんでも言ってください。面と向かって本音を言えるのはこの日本国内、私だけでしょうし」
旧日本でも天皇陛下に意見を言える人物は存在しないだろう。
時代を少し遡れば天皇陛下は現人神、つまり生きて目に見える神として君臨なされている存在のため、その神様に人間が物言うのは言語道断、不敬に値するとまで言われたのだ。
現代に入り、『人間宣言』により天皇陛下が現人神から日本の象徴として変わった今でもそれは変わらない。
しかしこの第二日本ではただ一人、この国の憲法よりも遵守される神法によって天皇陛下に助言……意見を言える地位が存在する。
龍がその役職を務める、神報者だ。
「では正直に言いますね。こういうことに関しては学んできてはいますし、来ない日は無いだろうと思ってはいます。ですが現状……私に出来ることは無いのでは?非常事態も宣言されてはいません」
「問題ありません。そのために我ら識人が動いていますので、帝がこれに署名と判子をいただけたらすべてのことは滞りなく進みます」
龍は四枚の書類を陛下に差し出す。
しかし3枚目と4枚目は最初の二枚の書類のコピーだ。これに陛下が署名した場合、そのまま神報殿に収める必要があるのであらかじめコピーにも署名と捺印してもらうのだ。
「400年間」
「はい?」
「400年間歴代の天皇に仕えてきたあなたが気づかなかったというのもおかしな話です」
「言い訳にならないかもしれませんが私が神報者という職についてからどこか機械的に職務についていたのかもしれません。400年間色んな事がありましたから。そのことについてはお詫び申し上げます」
龍が頭を下げた。
「しかし龍さん……そうなると後釜が居なくなりますね」
「それは問題ないかと」
「何故ですか?」
「400年間無実の罪で帝守護のお役目から外されながらもあの方たちは何時かそのお役目に戻ることを一族の悲願として日々邁進してきました。いま彼らが居なくなってもそのお役目は十分引き継げます」
「そうですか……ではあなたの言葉を信じましょうか……龍さん」
「はい」
「これからもお願いしますね」
4枚の書類に署名され判子を押された陛下は書類を龍に戻される。しかし、この言葉の意味は今までの功績に免じて今回は許しますからこれまで以上に努力しろという意味だ。
その書類を確認した龍は真剣な表情になると一言。
「この命に代えても」
次の日、金曜日の朝。
普段の名家会館の前に人が集まることはほとんど無い。
何故なら別に物珍しい事なんて起きないからだ。
名家会館での緊急動議が発議されてもそれは同様であり、一般庶民からしてみれば名家がどのような決定を下そうが自分たちにはあまり関係ないと興味を示すことは無いのである。
しかし、この日は違った。
名家は普段表玄関から入ることは無い、来客用の出入り口から入るので正面玄関は建物の職員が入るのみだ。
ほぼすべての名家の人間が会館に入ったという情報が龍に寄せられると、警察が来たことを悟られないように、龍を乗せた車を含む覆面パトカーが名家会館前に集まった。
車から出てくる龍に何人かの私服警官が集まってくる。
「俺は会議場に入る。いくらか北条に質問して時間を稼ぐ」
「その間、別動隊が北条家にガサ入れ……家宅捜索することになっている。証拠が出れば龍さんに合図するんで以降はお願いします」
「ああ」
名家会館の会議場に到着すると、そこにはすでに多くの名家の人間が集まっている。
中央にある丸机には5つの議決権を持つ五名家が椅子に座っていた。
また五名家とは少し離れた位置でこれ見よがしに今から裁かれますと言っている風に席に座っているのは霞家当主の霞三枝だ。
それ以外の名家の人間たちは立ってこの状況を見ているので龍は気づかれずに近づくことが出来た。
「良いか?俺が見えるところに居てくれ。北条の家宅捜索の結果が来たら身振り手振りで知らせろ」
私服警官の男が頷くと、龍は静かに歩いて行った。
「おやおや!オブザーバー殿ではないか!」
名家の群衆から一歩出るとすぐに北条大次郎がその存在に気づいて声を掛けた。
「やあ」
「どうしたのかね!ここはオブザーバー殿が来る場所ではないような気がするがね」
「それは俺は判断することだ。お前にどうこう言われる筋合いはない」
「そうか……では今日は何しに?」
「たまたま近くを通ったのでね、そしたらちょうど名家会議が行われるそうじゃないか、一度は見学してみたいと思っただけだよ。俺にはこの国のあらゆる情報に触れる権利があるんでね」
「ほう!そうか!ではオブザーバー殿には特等席に座ってもらおう!誰か!」
北条だ次郎が人を呼び寄せる、そして一言何かを支持すると男が直ぐに椅子を持ってくる。ちょうど北条大次郎の後ろだ。
龍が座ると、一回だけ辺りを見回す。その時群衆の中に霞三枝の姿を確認した。
霞三枝は精神的にも相当参っていたのだろう、顔はやつれ目線も下を向いていた。
しかし、北条大次郎がオブザーバー殿と声を上げた時、救世主が来たと龍の方向を見たが、龍は霞三枝を見すぎると北条大次郎に計画を悟られると感じそれ以降、霞三枝の方は見なかった。
「なあ北条」
「何ですかな?」
「まだ会議は始まらないんだろう?ならいくつか聞きたいことがある」
「ははは!初めからそのつもりだったのだろう」
(知っていたのか……いや、だとしても全て動き出した……後戻りは出来ない、なら進むのみだ。その後は……どうにかするしかない)
「霞家のことか?」
「いや、違う」
「ほう?ではなんだね?」
「これを見てくれ」
そういうと龍は龍の模様が入った入れ墨の紙を見せた。
北条大次郎の顔色は変わらない。
「これは……うちの家紋だ。どこでこれを?」
「お前の家の家紋は違うと記憶しているんだが」
「これは北条家の男児が15歳になると入れる世間向きではない入れ墨だからだ。これを入れればそのものは永久的に北条家の男児として受け入れられる。400年前から残っている伝統だよ」
「元服……昔の成人か……なるほどな」
「だが、何故今これを?」
「3週間ほど前、許可なく神報殿に入ろうとしたものが背中にこれを入れていたんだ。と言ってもまあ仮に許可が出ても入れないんだがな」
「そうか、じゃあこっちで見つけてきつく言っておこう」
「いや、それはどうでもいい。問題は入った事実じゃない……何故入ろうとしたのかだ」
「とういうと?」
「この入れ墨の紋様……実は俺が書いたものではない」
「じゃあ誰が書いたんだね?」
「400年ほど前に俺の師匠が書いた」
400年前という言葉と師匠という言葉に北条大次郎の眉が動いた。
そしてそれを龍は見逃さない。
「別件で神報殿に来ていたんだが……400年前の……ある事件の資料を探していてね、で見つけた内容にはこう書いてあったんだ……400年前、帝を暗殺しようとした人間がこの入れ墨を背中に入れていて自分を霞家と名乗ったと」
その瞬間、議長席座る名家どころか立っている名家でさえ声を上げてざわつき始める。
そして今まで暗い顔だった霞三枝の目に希望の光が灯る。
「ありえない!」
声を張り上げたのは北条大次郎だ。
「君の師匠は何か別のものでも見たんではないかい?それか間違って書いたとか」
「確かに、あのクズのことだ。俺個人に出す手紙なら冗談の一つも付けただろう。だが、これは神報殿にある神報書に書いてあることだ。あいつは神報書に嘘は書かない」
龍はいくつか嘘をついた。
正確には神報書には帝が暗殺されかけた事やそれが霞家であるということは書いてあったが、入れ墨のことまでは書いていない。
だがそれでよかった。
どうせ400年前に起きた事件について警察が正式に捜査するとは龍自身も思っていないし仮に北条家が身の潔白を証明しようとしてももはや陛下も龍も北条家を敵と認識している以上神報殿に入る許可も資料を持ってくるように嘆願しても許可が下りないからだ。
するとここで一人の男が龍に近づいてくる。
気配を察知した龍が振り向くと、そこにいたのは一緒に入ってきた私服の捜査官だった。
捜査官近づき龍に耳打ちする。
「別動隊より報告。北条家のガサ入れの結果、多数の証拠を発見。家の住人は全員引っ張ったと……どうします?ここで緊急逮捕しても構いませんが」
「駄目だ、まだこいつが自供してない。この場で自供させる」
「了解です」
ガサ入れ……警察の隠語である。
家宅捜索が行われて証拠が出た以上、北条家当主の逮捕は免れない。だが首謀者として逮捕されるのか、それとも共謀や煽動での逮捕では課せられる罪が違うのだ。
第二日本の刑法は基本旧日本の刑法を踏襲しているので国家反逆罪でも共謀や煽動では罪が最高でも無期懲役でしかならないのだ。
これが首謀者の場合、裁判長の印象次第だが死刑は免れないだろう。
しかも今回の場合、識人会議が招集されたので意地でも北条家の当主だけは死刑にするために画策するはずだ。
問題は、北条大次郎が当主として首謀者としての罪を認めるかどうかなのだ。
証拠はある……しかしそれはあくまで北条家が国家反逆罪として裁かれるだけだ。
今回の逮捕で北条家は国外追放されるのは目に見えてるだろうが、龍が望むのは北条大次郎の死刑ただ一つなのだ。
つまり、ここから先は……北条大次郎の死刑を望む龍の一騎打ちになったのだ。
捜査官が退くと未だに信じられないという様子の北条大次郎を横目に椅子に座り深呼吸をする。
「……」
(さて……最後だ……ここで決着をつけるぞ)