朝、大塚道場を後にする日と言えどアリスの朝のルーティンは変わらない。
いつも通りの時間に起き、顔を洗い、トレーニングウェアに着替えると筋トレを始める。
昨日まで振っていた雪は見事に快晴となっており、残っている雪に太陽の光が降り注ぎ中々神々しい光景になっているが、この状態でランニングするのは危険なため、室内のランニングマシンで走っていた。
そしてあらかた午前中の食事前にやるべきトレーニングを終えてシャワーを浴びたところに久子が声を掛ける。
「アリス……こんな日でもやってるのか」
最終日なのにいつも通りのトレーニングをしていることに褒めているというよりは少し呆れた顔になっている。
「出るまで時間があるのでやれることはやっとこうかと」
「そうか……ていうか荷造りは終わってるんだろうな」
「昨日の時点で終わってますよ」
「そうか……なら朝ごはん食べて出る準備をしろ」
「了解」
その後、いつも通りの時間に朝ご飯を食べ終えたアリスはまとめた荷物をバッグに突っ込みいよいよこの時を迎える。
すべての荷物を持ったアリスが玄関で久子の見送りを受ける。
「さて……いざこの時になると少し寂しさがあるな」
「そうっすか?いつでも会おうと思えば会えるじゃないっすか」
「そうだな……じゃあ最後に一つ言っておこう」
「ういっす」
「アリス……自信を持つなよ」
「へ?」
「お前は今まで色んな稽古をこなしある程度の自信がついてきたのは私でも分かる。だかな?過剰な自信は出来もしないことを出来ると思い込んでしまう。お前に教えたのは最低限自分の身を護る技術だ……まあ三穂がある程度の技術も教えたが……でもお前にはまだ実戦経験がまるでないんだ、だからこそ自分自身の本能に従って危険だと判断すれば逃げろ、いいな?」
「はい」
「それと……」
久子が優しくアリスの頭を撫でた。
「……?」
「これは矛盾するかもしれんが、お前は私が育てた弟子の中の最高傑作だ。これだけは忘れるな、誇りに思え」
「……ういっす!……じゃあ行きます!」
玄関から外に出ると、雪がまだ残っている所に歩き、箒を取り出して跨った。
そしてゆっくりと久子の方に顔を向けた。
「……?」
「師匠!お世話になりました!」
アリスが深々と一礼をした。
「ああ!さあ楽しんで来い!」
ドン!
勢いよく飛び立ったアリスはステア魔法学校がある方向へ飛んでいった。
「……達者でやれよ?」
受話器を手に持った久子はある場所へ電話を掛ける。
数秒のコール音の後にある人物がそれに応えた。
「龍か?久子だ」
「ああ、アリスは?」
「今ステアに向かったよ。これで全行程は終わった」
「そうか……それで?どうだった?たまに見に行った三穂も何も言わなかったからな」
「……龍」
「ん?」
「お前の予想以上にアリスは逸材だったよ。結果、あいつは予想以上の化け物になってしまった」
「化け物って……何したんだよ」
「普通の稽古をしただけだが?まあ後は実際に自分で見るんだな!じゃあ電話切るぞ?あいつに集中している間、自衛隊や警察の講師の依頼を全部断ってたんだ、それを再開するんだから忙しいんだよ」
「そうか……とりあえず感謝は伝えておくよ」
「じゃあな」
ガチャ。
受話器を置いた久子の表情は何処か誇らしげだった。
皇居の一角、神楽が住まう場所に降りたアリスは神楽がいるであろう場所に向かって歩いていた。
修行を終えて最初に出会うのは神楽だと決めていた。
神楽こそアリスが修行するための決意をすために背中を押した人物だからだ。
いつも通りの道を歩くこと数分後、いつも通りの庭に出ると、これまたいつも通り別に決めているわけでは無いだろう場所に神楽は座っていた。
見えていないはずの神楽は気配を感じ取ったのだろうか、アリスが歩いてくる方向に顔を向けると笑顔になる。
「……あら、アリスさん」
「暇なの……って質問はあれだけどなんでいつもそこに座ってるかね」
「そうですね……私の場合、基本的に外に出ることはありませんが、庭であればいつでも出れるので……ですかね?それより」
「……ん?」
紙で隠れているのではっきりとは分からないが神楽の目がじっとアリスを観察していることに気づいた。
「ふふふ、どうやらかなり大変な修行をされたようで」
「見えないのに分かるもんなの?」
「ええ、さすがに皮膚の色とかまでは分かりかねますが、体格ぐらいなら見ることが出来るので、それで?自分を守るための武器は手に入れられましたか?」
「うん一応、後は何処まで通用するか分からないからひたすら実戦で経験を積む……かな?」
「あら、そうですか……では今日、何故こちらに来たんです?」
「あんたはさ、落ち込んでいた時に励ましてくれたし、あたしが自分の武器を手にするために背中を押してくれたじゃん?あの時のお礼を言いたくてね」
「であれば何か甘い……和菓子を所望します!」
「現金だなあ……今さっきこっちに帰って来たばかりだぜ?それに金もそこまで持ってないからさあ……また今度でいい?」
「もう……分かりました。ではお茶の一杯ぐらいは付き合ってもらいましょうか」
神楽がそういうといつの間に現れた執事が湯飲みとお茶が入った急須を持ってきた。
「あー、ごめん、この後、まだ立ち寄るところがあってさ、今日は本当にお礼の挨拶に来ただけだからじゃあね」
「むー、次は必ず付き合ってもらいますからね!」
「へいへい」
一応、執事に謝罪の意味を込めて一礼するとそのまま境内の外まで走る。
そしてもう一度箒に乗ると、今度は多くの名家が住む町へ飛んでいった。
「……ふふふ」
霞家当主、霞三枝はその日やるべき予定を終えると毎回一冊のアルバムを読む。
それはサチとコウが生まれてから今日に至るまでの成長が写真として載っているアルバムだ。
これを見ている間だけは霞家当主からただの母親に変わる。
そして本来付けることは無い表紙の裏には新しく撮った一枚の写真が貼ってある。
それはアリスが霞家を救った時に家に招いたときにアリスを中心にその場にいた全員で撮った集合写真である。
今までだったらアルバムを見て娘たちに不幸な思いをさせまいと自分を奮い立たせるために一日の予定の終わりに読む物だったが、今は違う。
アリスに一族の名誉を回復してもらったことを胸に刻みつつ、今では過去の思い出に思いを馳せるだけになっていた。
「三枝さま」
そこに使いの者が声を掛ける。
「どうしたのですか?」
「訪問者が」
「え?今日は誰も来ない予定では?いきなりですね……断って大丈夫です。事前に連絡がない非常識者など会う価値が……」
「それが……アリス様なんです」
「なっ!」
アリスという名前を聞いた瞬間、アルバムをたたみ、勢いよく立ち上がった。
「ならそれを早く言いなさい!アリス様であればいつでもお通しするように言ったではありませんか!まずいですね……アリス様にお見せできるような服装ではないのに!申し訳ありませんが数分だけお待ちになるように伝えなさい」
「畏まりました」