「……ふー……」
翌日の午後、魔法戦闘の闘技場は急遽組まれた試合を見に行こうと多くの生徒と教師が集まっていた。
訳三年間、魔法戦闘においては無敗を守り抜いた霞サチと一年間休学していた識人のアリスが試合を行うのだ、見に来ない方がおかしい。
観客席にはすでに霞家当主の三枝とアリスの成長について何も聞かされていない龍も座っている。
そして闘技場の入り口にて待機していたアリスとサチはお互いがお互いの表情を見ずに集中力を高めていた。
「アリス」
「ん?先生」
そこに審判役の恭子が声を掛けてくる。
「……そんな軽装で良いのか?」
恭子が心配するのも普通だ。
以前、アリスはどんな動きでも対応できるように肘宛てや膝当てを付けていた。
だが今のアリスはとにかく動きやすいように何もつけてない。
「大丈夫っす。ちゃんと考えているので」
「そうか……ていうかサチはなんで表情が暗いんだ?」
「さあ?」
「……まあいい、そろそろ始めるからな」
そういうと恭子は先に闘技場に歩いて行った。
「……サチ?大丈夫?」
「え?あ!うん……大丈夫だよ!」
「何があったかは知らないけど……あたしは本気で挑むからね?手加減しないでよ?」
「もちろん」
「じゃあ先行くね」
アリスはウキウキしながら闘技場に向かっていた。
「……」
サチの表情が浮かれないのには理由があった。
つい先日、三枝より電話があったのだ。
『いい?明日アリス様と試合があるでしょう?私も見に行きますが……今のアリス様はあなたが知っているアリス様とは全くの別人だと思いなさい?本気で挑まないと……喰われるわよ』
———母さん……いったい何があったの?
「霞サチ!」
「あ、はい!」
パン!
悩んでいたってしょうがないと思ったサチは一度自分の頬をひっぱたき気分を入れ替えると真剣な表情で闘技場に入った。
「さてこれよりエキシビションマッチ……花組霞サチと花組アリスの試合を開催する。なおルールは魔法戦闘トーナメントのルールを採用する。二人ともいいな?」
「うす」
「はい」
「では双方、準備を」
二人は闘技場の審判席に置いてある結晶に触れ魔素を注ぐ。
色が変わったことを確認すると、恭子より杖を受け取ると開始位置に着いた。
「……すー……はぁ」
サチは大きく深呼吸し、構える。
「……」
(さあ、やろうか!)
「……っな!」
「……まじかよ」
「……あの馬鹿」
以前、サチの戦闘においてアリスはクラウチングスタートの構えを取った事があった。
素早くスタートできると考えたからだ。
しかし、今回も同じようにクラウチングスタートの構えを取ったのだが……杖を口に咥えたのだ。
「……」
———どういうつもり?
これでは仮にスタートしてもすぐにサチが魔法を放てば反応しても杖を構えることは出来ない。
「……はぁ、良いんだな?それでは……はじめ!」
ドン!
アリスは笑顔でサチに向かって走り出した……未だ杖を咥えたままで。
「……ふん!」
———避けられると思っている?……ならやってみてよ!
サチは何を考えているか分からないアリスに対してとりあえず普通の大きさの水の魔法を放った。
「……え!?」
だが魔法が自分に迫っているのにも関わらず、アリスは杖を咥えたままで構えようとしない。
「どういうつもりだ?」
誰もがアリスの行動に疑問を浮かべつつ、魔法はアリスの眼前に迫った。
するとアリスは杖を構えず、右手を前に突き出す。
「へ?」
(タイミングを合わせて……おりゃあ!)
アリスは目の前の水の魔法を右手からタイミングよく魔素を展開しながらはたいた。
パン!
はたかれた瞬間、魔法は無効化され丸い形を保てず魔素となると霧散した。
「な、なにが……結晶は!?」
恭子がアリスの結晶を確信する。
もし魔法がちゃんと当てっていればすぐさま結晶が割れているはずだ。
だが結晶は割れるどころかひびが入っているようにも見えない。
「……うそ……うそうそうそ!」
ここでようやく三枝が言っていたことを理解したサチは取り乱しながら目の前に居るのが本当にアリスなのかと思いながら次々と極小サイズの魔法を放っていく。
パンパンパンパン!
だがどの魔法もすべてタイミングよくアリスは両手で弾いては無効化していく。
「……なら!」
極小の魔法を線で繋げてアリスの背後から襲うように発射した。
だがアリスは顔を動かさずとも目だけを動かして魔法の動きを観察した。
そして、魔法がアリスの背後に回っている間に、杖から伸びている線の方に近づくと手刀の構えをする。
ビュン!パン!
「……え?」
なんとアリスは魔法を無力化するのではなく、繋がった線そのものを魔素で斬って無力化したのだ。
「……あ……ああ……くっそおおお!」
今までの技では何もできないと判断したサチは自分とアリスの間に水をばら撒く。
(あー、電撃で痺れさすのかー……けどそれはもう見たしー、今のあたしなら対処法は分かる!)
アリスが全力疾走のまま出来た水たまりの上に入り込んだタイミングでサチが水たまりに電撃の魔法を放つ。
「……ほっ!」
電撃が水たまりに着いた途端、電流の波が水たまりを伝って行く。
だがアリスは電撃が到達する寸前の所で、数センチだけ上に飛ぶと両足の裏に魔素を展開し、足元の魔法で出来た電撃を無効化した。
そして足の裏の魔素を維持しながら水たまりの上を走っていく。
今までとは全く違うアリスの戦い方に昔のアリスを知る三年生を中心とした観客は大きな歓声を上げることなく、食い入るようにアリスの動きを観察している。
そしてアリスとサチの距離がおおよそ一メートルから二メートルまで近づいてもアリスは杖を手に持たなかった。
「……」
———まだ杖を構えない……でも突っ込んで来るのは明白……なら!
サチはもう一度アリスに杖を構えるが魔法を放たなかった。
恐らくシールドでアリスの突進を一時的に止め、アリスの動きが止まった所に魔法を叩き込もうと思ったのだろう。
「……」
(突っ込んだ所でシールドであたしがノックバック……その隙に魔法を……ってところかな……でももしそのシールドが意味をなさなかったらどうなるんだろうねえ)
アリスがサチとの距離を一メートルまで近づくと右手を振り上げた。
「……こい!」
さてここで一つの疑問が浮かぶ。
杖による魔法無効化、無力化は杖で魔法に触れるようにすることで自動的に発動する。
だが同じ魔素で構築されているシールドは杖を近づけても発動しないのだ。
ということはつまり、一般的にステア等で学ぶ防衛技術においてシールドは耐久性という問題はあるものの、最強の盾ということになる。
だが根本的なことではあるがシールド自体も魔素で構築されている以上、魔素で無効化自体は理論上可能なのである。
ではアリスの魔素放出術で無理やりシールドに魔素を放出した場合、どうなるのか……こうなる。
アリスは右手を広げると猫が爪でひっかくように指先を曲げ、五本の指先の魔素を展開して一気にサチのシールドをひっかいた。
すると。
バリバリバリバリ!
無理やりガラスをひっかくような音と共にひっかかれた部分のシールドが溶けていく。
「……へ?何が……」
誰もが想像だにしない展開に何一つ声を上げられずにいると……。
ふわっ……。
シールドはそのまま最初に溶けたところを起点として全体が凄い勢いで溶けていき、最終的には魔素化し霧散した。
「……あ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
ある意味一般的なシールド破壊では無いが、他者によって壊されたことに変わりはない、反動がサチを襲い、悲鳴を上げ、その場に膝まづく。
一年の時、シオティスによって破壊されたシールド破壊以来の、この場に居る全校生徒にとっては初めてとなるシールド破壊の悲鳴を。
止めを刺すために咥えていた杖を右手で持つ。
(終わりだ……うおっ!)
誰もが終わりだと瞬間、アリスだけは見た。
「うおおああああああ!」
ギフト発動の証である虹色の発光が目に宿ったのである。
そして同時に再度シールド展開の為か杖がアリスに向けられる。
「……まじかよ」
他の人たちはサチのギフト発動に気づいているようには見えない。
(おいおいおい!確かにエキシビションマッチだけども!……いや違うな、ギフトを発動したサチに勝てないようじゃ稽古したって言えないよなあ!)
「……ふん!」
アリスは右手に杖を持ってきていたが、急遽それを空に向かって投げ飛ばす。
「……?……っ!」
その一瞬、サチの顔こそ動かなかったが、視線だけは投げられた杖の方向を捉えていた。
だがその一瞬だけで十分だった。
視線が外れた瞬間、アリスはサチの右側に回り込むと右手を掴み、ひっぱりはじめる。
「なっ……えっ……ちょっ!」
シールド破壊の余波によって杖を持っている右手だけは動かせたが、未だ痺れが取れない下半身は満足な抵抗が出来ずに引きずられる。
ドン!
そのまま引っ張り上げた腕を少しひねるように持っていき、ついには合気道の要領で地面に制圧したのだ。
そして投げられ落ちてきた杖を綺麗に右手で掴むとサチの首元に向ける。
「……え、あー……ふふ……参りました」
試合が終わった……が、何故か周りは静かであった。
アリスが周囲を見渡しても何故か皆困惑の表情ばかりだったのだ。
「……あれ?」
(勝ったよな?間違いなく、サチは負けを認めたし……なんで?)
「馬鹿!」
ゴツン!
「んにゃあ!」
恭子がアリスの頭を叩く。
「何すんですか!サチは負けを認めた!これで勝ちでしょう!」
「おまえなあ!最初に言ったよな!レギュレーションはトーナメントの時のだって!」
「はいそう言いましたけど!」
「なら覚えてるよなあ!レギュレーションには『相手に触れるのは禁止』だって!」
「……ん?……あー!」
(そうだ!完全に忘れてたわ!)
「やっべー完全に忘れてた!あれ?この場合、どうなんの?」
「失格に決まって……」
パチパチパチ!
そこに現れたのは拍手をしながら歩いてくる八重樫だった。
「校長先生」
「いやー、良い戦いでした。見とれてしまいましたよ!」
「どうも」
「校長、でも失格です」
「いや?私言いましたよね?合否は試合の内容を見て判断すると、別に勝てとは言ってませんよ?」
「あ」
「それにルール違反を言うならアリスさんより先にルール違反を犯したサチさんの方が失格では?サチさんはギフトを発動しましたよね?確かにレギュレーションの中にはギフト使用の項目がありませんが、公平性の観点で考えれば使用はしない方が良いでしょう。今後は無いとは思いますがルールに追記しても良さそうです」
「ではアリスは合格ですか?」
「もちろんです、サチさんに対してここまでの戦いを見せてくれたんですから、魔法戦闘に対しての防御に関しての力量は十分だと言えます」
「分かりました」
「おっしゃー!合格じゃあ!」
「ふふふ!アリスさん?筆記試験がまだですからね」
「……」
(わかってますよ、良いじゃないっすか……少しぐらい喜びを感じたっていいじゃないかあ!)
「あ!先生、勝敗のコールを忘れています。このままではどちらが勝ったのか皆さんには分からないでしょう」
「……そうですね」
恭子は闘技場中央に移動すると高らかと右手を上げる。
「ただ今の勝負!……花組霞サチが先にギフトを使用したため、ルール違反のため失格!そのためこの勝負……花組アリスの勝利!」
「「「おおおおおお!」」」
審判役の結果発表にてようやく喜んでいいのか悪いのか判明した観客が一気に湧いて拍手喝さいが巻き起こった。
そしてこれによりアリスの卒業試験の一つである実技は終了した。
因みにこの日まで不敗伝説を守り通したサチに初の黒星が点くことになってしまったが、その相手がアリスだということで逆に嬉しかったサチであった。
そしてその二週間後、アリスは三学年進級試験と卒業試験を同時に一回の試験でやることになったが、例にもれず合格点ギリギリの点数で無事合格を果たした。