何度か行ったことがある首相官邸ですら各部屋に名称が存在するようにこの皇居の天皇陛下が主に公務をする場所、宮殿内のあらゆる部屋にも名称が付けられている。
なおこの皇居や宮殿の各部屋の名称も旧日本の皇居を参考にされているという。
そしてあたしは一旦、天皇陛下に準備があるというので来た人が休憩をする場所……つまり控室である千鳥の間に通された。
そして現在待機すること訳十分ほどが経ったが、すでにあたしはトイレに三回ほど言っていた。
三回目となるともう何も出ないのだが極度の緊張からか脳が勝手に尿意を生み出すのだ。
そしてそんな様子のあたしを師匠は呆れているのかと思いきや以外にもいつも通りだという表情だった。
「そんなに緊張するもんかね。ここに来た奴は大抵そんな感じだ」
「当たり前だろうが!今から会うの天皇陛下だぞ!?緊張しないわけがないでしょうが!」
「そういうもんか?」
「師匠は何時もあってるから慣れてるだろうが日本人としては緊張するもんなの!」
もしこれが総理大臣ならまだ緊張はしなかっただろう。
あたしの場合、人がころころ変わり定期的にテレビに映っている総理大臣に対しては誘拐事件の件も含めてもはや緊張どころか政治家自体に呆れてしまっているぐらいだ。
だが天皇陛下は違う。
旧日本での教育の影響もあるだろうがそれでもあたし含めて大多数の日本人にとって天皇陛下という存在は特別なのだ。
そもそも旧日本でもテレビやネットでそのお姿を見ることは可能だろう。
何かしらの行事に偶々居合わせて生のお姿を見ることは可能であろうがお話するとなると人によっては一生に一度あるかないかぐらいのレベルだ。
名称こそ忘れたが宮内庁が招待する天皇皇后両陛下と一言二言会話できる行事があったような気もするがそれでもある程度有名人や何かしら功績を残した人が対象であったような気がするためますます一般人は関わりがない。
もし仮にだが生のお姿の天皇陛下とお会いしてお話しできたとすればある意味周りの人に自慢できるレベルで運がいい出来事となる。
だが災害に巻き込まれた時に、両陛下がお見舞いとして視察しに来ることがあるが、これでは災害に巻き込まれた時点で運が悪いしある意味イレギュラーであるため完全にお会いするための選択肢としては除外だ。
そうなると旧日本だろうが第二日本だろうが一般人が天皇陛下にお会いして会話するなんてほぼ不可能と言っても良いだろう。
そしてやはり日本人なのだろう、昭和時代……とりわけ戦時中は
そのような存在とお会いできると決まれば誰だって緊張するのは当たり前だ。
「だが少なくともお前は神報者になる人間だ。役職上天皇陛下とはいつも顔を合わせることなる以上、毎回この調子じゃあ体持たないぞ?」
「た、多分大丈夫……この一回だけ緊張しまくってるだけだから!次からは問題ないと思う!」
「なら良いんだがな」
「龍様、アリス様、ご準備が整いましたのでどうぞこちらに」
「ひゃい!」
いきなり声を掛けられたことにより意図しない返事なってしまったがあたしはすくっと立ち上がると宮内庁の人について行き天皇陛下がいるであろう場所に向かって行った。
「アリス……右手と右足同時に出てるぞ」
師匠曰く、天皇陛下が皇居内で公務をする場所である表御座所の扉の前にやってきた。
「大丈夫か?」
「……」
もはや師匠の言葉が聞こえないレベルで心臓の鼓動が過去一に早くなっているのが分かる。
宮内庁の人はあたしのような人を何人も見てきているのだろう、あたしの様子に別段取り乱す様子も見せず扉の取っ手に手を掛ける。
「陛下が公務をする場所、表御座所でございます。陛下がすでにお待ちですので任命式頑張ってください」
「ん?……どゆこと?」
任命式……聞きなれないというより恐らく今日ここで行われるだろう行事の名前を初めて聞いたあたしは聞き直そうとしたがそんな余裕はなく扉が開かれた。
そして扉の先に居たのはこの第二日本国の天皇陛下であるはずなのだが……私の想像とは全く……いい意味で違っていた。
「初めまして、アリスさん」
そこに居たのはこの世界のテレビで見た記憶がある天皇陛下そのお方だったがまず着ている物が違った……何故か燕尾服だったのだ。
「……」
「アリス?」
「おや、固まってますね」
正直に言えば固まってしまっていた。
過去に総理大臣に会った時ですらこのような気持ちになったことは無い。
そこに居る人は人間であり、この世界で生まれたのだから識人のような力はないはずだ(ギフトが使えるなら話は別だが)。
見た目もこう言ってはあれだが日本のどこにでもいるような50代もしくは60代ほどのおじさんである。近所で見かけ挨拶すれば優しい笑顔で返してくれそうなおじさんという印象でしかない。
だがやはり皇族に生まれ厳格な天皇陛下になるための教育を受けられたからだろう、立ち方、燕尾服の着こなし、他にもその立ち振る舞いからただそこに立っているだけのはずなのにこの人は普通の日本人とは全く違うという感覚を覚えるほどのオーラを醸し出していた。
そしてそれゆえか天皇陛下にお会いした瞬間、全身を包んでいた緊張が一気にはじけ飛んでなくなった。それどころか原因不明の日本人にしか通用しないのかもしれない安心感が体を包み込んでいったのである。
これこそ日本の象徴たる……生まれた時から役職が確定しており休日が存在しなく逃げることすら許されない皇族のしかもある意味将来天皇陛下になることが確定して生まれたこの人のなせる業なのだろう。
「おい!アリス!」
「ん?ああ!すんません」
完全に意識が抜け落ちたあたしだが耳元で大きな声を上げる師匠の声で我に返る。
「いえいえ、ここにいらっしゃった識人の皆さまは同じ反応なので気にしないでください」
「あ、ありがとうござます」
「ではもう一度挨拶し直しましょうか」
そういうと天皇陛下はゆっくりとあたしの前に歩み寄ると握手の為に手を差し出した。
「第二日本国、天皇陛下の
「て、転生者のアリスです」
どこかで聞いたことがあるが、旧日本において皇族に生まれた男性の名(厳密には名ではない)には必ず『仁』の文字が入るという。
その慣習がこの世界の日本にも受け継がれているようだ。
「……似合ってますよ袴」
「あ、ありがとうございます」
「ですが……あまりサイズがあってないように見えますね」
「すみません、作成が間に合いませんでしたので俺の袴をアリスのサイズに直したんです。もうしばらくすればアリス用の袴が出来ると思います」
「そうですか!であれば出来た時は早く見せてくださいね?新しい神報者の正装なんですから一番最初に見る権利があるのは私です」
「あ、はい……わかり……ました。……それ燕尾服って言うんですか?なんでそれ着てるんです?」
「400年間現れなかった神報者の弟子が出来たんです!しかも私の代で!ちゃんと服装は整えないと失礼でしょう?まあ他の識人の皆さんの任命式でもこの服は着ますけど今日は特別です!」
「なる……ほど?」
ここであたしは一つ気になることが生じた。
天皇陛下と喋っているとどうしてもある人物が脳裏に浮かぶのだ。
それは奇しくも天皇陛下以外であたしが唯一話した皇族の人間だ。
「アリスさん」
「はい」
「今考えていることを当ててみましょうか……そうですねえ……私の雰囲気が神楽に似ているなあ……とかでしょうか」
「なっ!?」
「驚くもの無理ないですよ、龍さんにもよく言われるので。因みに今の神楽ですが、私の娘です」
「あー……やっぱりですか」
歯に挟まった物が取れたかのようなすっきりとした感覚が生じた。
「過去の神楽は自らの体に生じている制約と運命に心を病んでしまった方が多くいました。ですが私の娘は私の性格が映ったのでしょう、神楽になってもその運命を受け入れ今ではちゃんと神楽として楽しんで職務を果たしています。自慢の娘です」
「そう……ですね」
確かに父親であるこの人の娘だ、あたしにはどうも自分の状況を受け入れて楽しんでいるようにも見えていた。多くを望むのではなく今の現状でどう楽しむかを考えている姿を見ると確かにこの人とそっくりだと感じられる。
だからこそこの人も天皇陛下たりえるのだろう。
「さて、ここから本題に移りましょうか!」
そういうと天皇陛下は侍従に目配せする。すると侍従は何やら大きな長方形のお盆のような物を持ってくる。
「さてアリスさん、今日は何のためにここに来たかご存じですか?」
「さっき宮内庁?みたいな人が任命式頑張ってくださいとのことだったのでそれかと」
「……龍さん!?また何も言わずにここに連れてきたんですか!?」
どうやら師匠はこの任命式とやらに連れてくる識人の大半には秘密で連れてきているようだ。