「それにしても待つだけなのはきついな」
「どういう意味ですか?」
「今はとにかく作戦開始までの待機時間だけど、作戦開始がいつなのか分からない状態じゃん?事が起きるのは確実なんだろうけど、いつ起きるのか分からない状態での待機は精神的に来るなあって」
「ああ、そうですね。でも始まるまではパーティーを楽しんで良いのではないですか?」
「……」
この子は分かってない。もしこれが普通のパーティーで終わったら普通に帰れるんならあたしは普通に飲み食いするだろう。だが今回は違う、この後少なくともあたしは戦闘する可能性がある以上、必要以上に飲み食いしないことでトイレに行く頻度を減らす必要があるのだ。
楽しんでいる余裕はない。
「あ、すみません。楽しんで良いじゃなくて、楽しむふりをした方が良いのでは?という意味です」
「ごめん……どういう意味?」
「今のアリスさん、これから何か起きるからそれに備えてるようにしか見えませんよ?他の参加者は皆楽しんでます。アリスさんだけそのような表情では逆に浮いてしまうのでは?」
前言撤回、この子凄いな。なるほど、確かに注目を集めないために静かにここに居るけど逆にそれが浮いて見えるというわけだ。必要なのは状況状況でその場に溶け込むこと……つまり演技をするという事……さすが女優志望なだけはある。
外交や交渉にも演技力は必要か……師匠からは学べないことかもしれん……この子はこれからも役に立ちそうだ。
「そうだね……じゃあとりあえず誰かと話してこようかな。ついてくる?」
「出来れば麻沼さんと近寄らない形であれば」
「うん、今回は美優が必要だし配慮するよ。……じゃあ……ん?」
その時だった。一瞬過ぎて誰かは分からないけど、今明らかに誰かがあたしの右手に何かを忍ばせたのだ。すぐに周りを見渡すが不審な動きをしたものは誰もいない、だが明らかに右手には紙のような感触がある。
「どうかしました?」
あたしは静かに右手を開く。その手には折りたたまれた紙があった。
「それって」
「うん、多分合図だと思う」
紙を開き、中身を確認した。
『作戦を開始する。行動を開始せよ、なお紙はすぐに処分すること』
正直言うが、少し残念な気持ちとほっとしたような気持ちが混ざり合っている。ただ待っているだけの状態から次の行動指示が出た事によりこのドレスを脱ぐことが出来るという安心とここに居る人と少しは話しかけたかったという無念感だ。
だがもう遅い、行動開始……つまりここを急いで離れろという指示だ。ここに居ては襲撃に巻き込まれるし、この服では何もできない。
「美優行くよ」
「はい」
怪しまれないようにトイレに行くという雰囲気で会場を後にする。
美優の案内である場所に向かっていたあたしたちだが予想外の人物が背後から声を掛けた。
「アリス!」
「ん?は!?雪!?」
何故か雪があたしたちを追いかけるように走ってきたのだ。
「何してるの?これからビンゴ大会が始まるわ!戻りなさいよ」
ビンゴ大会?ああ、確かにさっき受付でビンゴカードもらった気がするなあ、でも多分参加できないからポケットにしまったままだ。でも……そうかビンゴ大会、こういうパーティーでやるイベントとは思えなかったけど、目的は会場の暗転か。
ビンゴなら前方のステージに注目させるために会場の明かりを落とすだろう、そして全員の注目をステージに集めれば武装集団は会場に入れるだろう、しかも主催の麻沼が手引きをするんだからさらに容易だ。
ていうか会場から出た時に武装した人がいなかったのは何故だ?偶々別の入り口だったからか?それともあたしが会場を抜けたタイミングはまだ入り口に配置されてないタイミングだったとか?だとすればあたしに合図の紙を握らせた人はそれが分かっていたってことになるけど、誰だ?
だが今はどうでも良い事だ。今はとにかく所定の場所へ向かって着替えるのが優先だ。
「トイレ、別に普通でしょ?」
簡単な言い訳だがそれでいい。何故か美優がやってしまったという表情をしているが置いておく。
「トイレは……逆方向よ」
すみません……美優の表情の意味が分かりました。
「……すまん、急いでるんで!」
「ちょっと!」
もうどうにもならんと覚悟を決めたあたしは美優の手を握ると目的の場所へ走り出した。
「はぁ……はぁ……はぁ……マジか」
「はぁ……はぁ……はぁ」
ヒールを履いているのでそこまで速度は出ないだろうが、それでもここまで走れば雪と言えど諦めるだろうと高をくくっていたのだが……何故か付いて来ていた……なんと目的地まで。
「あの……雪さん。今日は別にあなたの邪魔してないですよね!?なんで付いて来るんですか!?」
「トイレに行くと言いながら逆方向に行くし、さっきまで立ってただけのあんたが何かするときはあんたが何かやらかすか何かが起きるときよ?あたしはね自分の周りで起きることはちゃんと自分で把握したいのよ、プロソスの時もそうだけど何も分からない状態が嫌いなの」
なんでも知りたがるその性格は良しとしよう。……ていうかやはりあの会場ではあたしの行動は逆に浮いてらっしゃいましたか……気を付けねば。
「どうします?」
美優が不安そうな表情であたしを見る。だが雪は敵ではないのは目に見えている、まあ敵からあたしを監視しろとの指示を受けていればある意味終わりだが。だが政治家を目指す人間が襲撃犯に加担するとは思えない。
ならやることは変わらない。
「やることは変わらないよ、さっ入ろう」
「分かりました」
「ちょっとアリス!何か説明しないよ!ここはリネン室よ?普通は鍵が……」
ガチャ。
あたしがドアノブを回すと本来なら閉まっているはずの鍵が開いていた。
「うそでしょ!?」
「入るよ」
何故か開いている事に驚愕している雪だが、事前に知っているあたしと美優は動揺することなくリネン室に入った。
リネン室、本来はホテルなどの宿泊施設にある部屋である。一般的にはシーツやタオルなど所謂リネン類と呼ばれる物を保管しておくための部屋である。
中にある金属製の棚にはARA本社ビルの今いる階より上の従業員用簡易宿泊ルームに使うシーツやらが保管されていた。そしてその中から指定された棚の前に移動する。
「あった」
そこにあったのは少し大きめのボストンバッグである。それを床に下ろすとジッパーを開ける。
「それあなたの?ていうかなんで鍵空いてるのよ」
「なーんで普通に入って来るのよ」
「貴方が何をしようとしてるのか知りたいのよ」
「あっそ」
あたしはバッグからまず美優の普段着を取り出すと美優に渡した。美優はそれを手に取ると少し隠れるようにして着替えを始めた。
あたしも自分のいつもの普段着を手に取るとその場で脱ぎ始める。
「ちょっと!なんで着替えるのよ!まだパーティーが続いているのよ?」
「……それを教える義務ある?」
「……無いけど」
「でしょうね」
数分後、いつも通りの格好に着替えたあたしは戦闘モードに切り替えるために髪を結び帽子を被りサングラスを付け深呼吸した。
そしてバッグから腰ではなく戦闘用にすぐに抜けるレッグホルスターを左ももに付けるとバッグから愛銃を取り出す。
「はあ!?ちょっとそれ……本物!?」
「イエス」
「なんでそんなもの持ってるのよ!?まさか会場を襲撃するつもり!?」
「んなわけないじゃん」
その目的がある人達から逃げるために着替えているのだ。
スライドを複数回引き、異常がないことを確認すると取り出したマガジンにゴム弾が装填されているのを視認し、そのままマガジンを銃に入れる、今回はすぐに使うのでスライドを一度引きチャンバーに弾丸を送り込む。
「慣れてるわね。かなり訓練してるように見えるけど」
「そりゃあね、あたしがステア三年の頃に休学していたのはある人の下で魔法とは別に修行するためだよ。これはその結果」
「ふーん」
「よし……準備かん……ん?」
何もないことを確認するためにバッグを見ていた時だ、置手紙とあるものが二個置いてあった。
『必要なら使ってね。役に立つはずだよ、三穂より』
置手紙と共においてあったのは、スタングレネードだった。
爆音と光で一時的に相手を麻痺させることが出来る非殺傷性のグレネードだ。基本的に軍隊ではルームエントリー時に人数が不明の敵を麻痺させるために使われる物だ。
三穂さん……ありがとう。
スタングレネードを一つはベルトからぶら下げて、もう一つはショルダーポーチに入れる。
「アリス」
「もう……何すか?」
「ドレス姿から動きやすい格好、それに拳銃と……手榴弾。あの会場で何か起きるのね?余興で使うとは思えないし……何者かの襲撃でも起きるの?パーティーが始まってからあなたの様子が何処かおかしかったけど関係ある?」
こいつは……察しが良いな。ていうかそんなに浮いてましたかあたし!?
ていうより早くここを出なければならないんだよなあ、今すぐここを出て一階下に行かねばならない。
「すまないけど、ここで無駄話をしてる時間は無いのよ。今すぐにここを離れないと……」
パンパンパン!
その時だった。リネン室の外……正確にはちょうどビンゴ大会が行われているであろうレセプションホールから聞く人から見ればクラッカーや爆竹だろうがあたしから見れば十分銃声だと判断できる音が聞こえてきた。
「今の音……何!?」
「さあ……なんですかねえ」
襲撃が起こると知っていればこれは銃声だと判断できるが雪にとっては何の音か分からない時点で恐怖の音だろう。
だがあたしからすればそれは問題では無い。美優が不安そうな表情をしてる時点で問題は銃声から次の問題にシフトしているのだ。