「うーん、ちょっと予定とずれたか」
レセプションホールの一階下に降りているのが本来の予定なのだ。何故ならこのビルの構造に所以している。
このビルは大きく分けて三層構造になっているのだが、一番下のスタッフフロア、中段のタレントが稽古などを行うフロア、そして今いるレセプションホールやそれより上の階にある簡易宿泊用やVIP専用ホテルフロア(何に使われているのか置いといて)になっている。
そしてここからが重要なのだが、最下層であるスタッフフロアは東西に練習フロアには南北にそして宿泊フロアはまた戻るように東西に階段がある。つまり各階層に行くには45度フロアを移動しなければならないのだ。
恐らく各階層を明確に区画分けするのが目的だろうが防災法的に問題ないのかという点については置いといて、現在いるレセプションホールがあるフロアから安全に下に行くには45度歩く必要があるので襲撃が起きるまでにある程度下に居たかったのだ。
だがこのリネン室にいる時点で襲撃が発生してしまったため予定と少しずれたことになる。だが問題はないはずだ、あくまで想定しうる戦闘が一つ増えたに過ぎない。
だから不安そうにこちらを見る美優に優しく微笑みかける。
「大丈夫、少し予定とずれたけど行動は変わらないよ。それよりあたしのドレスと美優のドレス、バッグに入れといて」
「分かりました」
それより……襲撃が起きてから静かになった雪が気になる。何やら考え事をしているようだが。
「アリス」
「何でしょ?」
「このこと知ってたわね?」
「……」
まああたしがしている行動、襲撃が起こることを事前に知ってなければ出来ない行動だ、そう思って当然だ。
「うん、知ってたよ?」
「どこから情報を得たの!?」
「ふふ……あんたさあ……忘れてない?あたしの師匠で上司は神報者よ?」
「……なるほどね」
神報者、下手すればこの日本で最大限の権力を持つ総理大臣すら凌ぐ情報収集力がある人物が上司なのだ。これぐらいの情報を得るなど簡単だと納得させるには十分だ。
「なら龍さんはこのことを知ってあなたをここに送り込んだと」
「まあそうなるね……まったく人使いが荒い上司ですよ」
「それで?これからどうするの?この襲撃の首謀者でも捕まえる気?」
「いや?普通にここから脱出するだけっすよ?まあある程度の戦闘は起こるでしょうけど」
「そ……」
雪はまた考えはじめた。
「あの……アリスさん」
「ん?」
ドレスをバッグにしまっていた美優が声を掛ける。
「バッグにまだ服と紙が」
「へ?」
バッグにはもう何もないことを確認したはずだったけど……見逃してたか。
渡された物は確かにもう一人分の服装と手紙だった。
『アリスちゃんへ、もしかしたらあと一人助ける人増えるかもしれないから予備の服入れとくね!アリスちゃんなら守る対象が一人増えても問題ないよね?』
「……まじで?」
この場に居るのはあたしたちと雪だけだ。そしてこれを用意したのは間違いなく三穂さんだろう、つまり三穂さんは最初から雪があたしたちに同行してここに来ることを読んでいたことになる……だがどうやって?
「あ……そういうことか」
このパーティーは招待制だ。つまりあらかじめだけが来るかなど名簿を作成しているのは確実だろう、なら神報者としての権力を使いその名簿を入手できれば雪がこのパーティーに参加することを把握できる。
問題は雪があたしたちについてくる可能性だ。……なるほど、最初から三着ではなく増えた時のために隠しておいたのは三穂さんでも雪が付いてくるか不明だったからか。ついてくれば予備の服で脱出させればいい、合流しなければこの服は使わない、あくまで予測だったから隠していたのね。
ていうか……三穂さん、あたしを買いかぶりすぎでは?いくら体術が得意と言ったって護衛をしながらの戦闘は未経験なんだけどなあ。
……まあいいか。
「ほい」
「え?」
あたしは迷うことなく服を雪に渡した。雪は最初戸惑ったようだが服を渡された意味を理解したようだ。
「なるほどね、またあたしはあなたに守られるわけ」
「もうけっこう借りは溜まってらっしゃるけど……いつか返してよ?」
正直な話、この時のあたしはどうかしていたとまで思う。美優を守るのでさえ精一杯だと思っているのにもう一人増えるのだだから。だが何故か雪なら守れると思い込んでいる。これは危ない感情だ、だが三穂さんはあたしなら成し遂げられると信じ、この服を仕込んでいたのだ……その思いには堪えたい。
雪が服を着替えている間、ふと疑問に思ったことがあるので美優に尋ねた。
「そういえばさ、美優ちゃん」
「何ですか?」
「今結構冷静だよね?予定と少しズレちゃう形になったけど取り乱したりしないし……あの一件で余裕出来た?」
「……実は……あのエレベーター、細工がしてあるのは薄々分かってたんです」
「ん?どういう意味?」
「前にも話しましたけど、ARA研修生はタレント契約するまでテレビや雑誌に出ることは出来ません。だけど近々、タレント契約のための試験を行うとは聞いていました。それであの日、雑誌の取材という予定であのビルに行ったんです。でも本来、ARA研修生が雑誌の取材をするのはあり得ません。で、エレベーターに乗った時、床の違和感は感じてました。だからこれはドッキリではないかと」
「……おっと?じゃああの時の慌てようは……」
「アリスさんが来たときにある程度は分かりました。歩き方、目線の動き、あたしと同じようにすぐに床の違和感に気づいた点、間違いなくこの人はあたしより実力がある人だと。だから弱い女の子の演技をすれば助けてもらえると思ったんです……それがあの時のあたしの役割かと」
待て待て待て!つまりエレベーターに乗った時からすでに演技をしていたと?それに対してあたしは愚か代表ですらそれに気が付かなったと?ははは!凄いなこの子!ていうか麻沼!お前、会社経営の才能はあるかもしれんが、タレントの才能を見抜く能力はなったようだな!
「じゃあ……今は素?」
「はい、昔母に教わったんです、社会に出たら常に自分を必要だと感じてもらうために演技をしなさい。でも本当に心の底から信用できる……ありのままの自分をさらけ出せる人の前では演技派不要よって」
「なるほど」
それは……本来、将来結婚したいと思うような人に対しての助言だとは思うけども。
「アリス、準備が出来たわ」
着替え終わった雪があたしたちの下へやって来る。
三穂さんが選んだのだろう、政治家……いや名家の人が着るようなものではなく一般的な庶民の大学生が着るような服だ。
「お似合いですよ。雪お嬢様」
「うるさいわ。それで?ここからどう脱出するのかしら」
「ん?まあとりあえず……ここから出て下に行きましょうかね……元々その予定だし」
全員の準備が整ったところで、あたしはリネン室のドアノブに手を掛けようとした……その時だった。
「……ん?」
「どうしました?」
「静かに」
ドアに耳を当てて聞いてみる。
コツコツコツ。
複数名の足音がこちらに近づいてくるのが分かった。歩くスピードが一定で武装した人間特有の戦闘用ブーツによる足音が二名、その他何故か歩くスピードがまばらの足音が何名か、こちらに歩いてくる。
「誰かこっちに歩いてくる」
「ならやり過ごせばいいわね。まさかここに隠れてるとは思わないでしょ」
そう、パーティー参加者を拘束するためにビンゴ大会なるものを開いたのだとすればトイレに隠れていることは想定していても普段人が入ることが無いだろうリネン室までは捜索しないだろう。だからこの場を選んだのだ。
それにもし隠れているとしてもどうせこのビルは爆破される……ならば外に出ないようだけするだろうと考えた。
そして幸か不幸か、この選択はある意味間違いだったと外の男たちの会話で思い知る。
「この女どもは結果的にどうするんだ?」
「あ?どっかに閉じ込め解けば良いとよ。そうすれば俺たちの仕事は終わりだ」
「なるほどね……その前に少し楽しむのはありか?」
「ありだろうな……そのためにシーツやらがあるリネン室に向かってるんだ」
「なるほどね」
なるほど、拘束した女性陣はリネン室に閉じ込めて監禁するわけだ、まああたしには関係ないし助ける義理も無い。……ん?リネン室?ここどこだっけ?……わあ!リネン室だあ!
雪と美優が明らかに慌て始めるあたしを見て不安そうな表情を見せる。
どうする?ここはドアが一つしかない!今出たら確実に戦闘になる!なっていいか?いやーさすがに……あ、やべーもうすぐそこだ!あ!
「アリス?」
幸いここはリネン室だ。シーツやら何やらがたくさんある!雪と美優を扉のすぐわきに誘導すると置いてあるシーツを一枚とり被せた。このリネン室のドアは内開きだ、ドアが開けば今誘導した美優と雪は死角になる。
そしてあたしはリネン室の電気を消すと二人の被っているシーツの中に入り、杖を取り出した。
「何してるのよ!」
「いいか?声を出すな!動くな!ただし、呼吸だけはしていい!」
「……」
がちゃ。
ほぼ同時にリネン室のドアが開いた。
「おお!ちょっと狭いけど、シーツやらがあっていいじゃん」
「ま、本当は宿泊室が良いんだけどな。ここでも十分だろ、入れ」
五名の手を縛られドレスを着ている女性が部屋の奥に集まった。
「さて……俺は見てるから先にやっていいぜ。でもすぐに済ませろよ?時間は90分しかないんだからな」
90分、つまりこのビルが爆破されるまでの時間だ。ここでようやく一番欲しかった情報が手に入ったことにより少し安心する。すぐに腕時計のタイマーを90分に設定し、スタートさせた。
そして二人の男の内、一人は持っていた銃を外すとおもむろにズボンを脱ぎ始める。
「やめなさい!あたしたちはね、あんたたちが触れていいような物じゃないのよ!」
決死の説得のつもりか女性の一人が声を張り上げる。だが男は何一つ響いていないようだ。
「……あははは!良いか?ここに居る時点でお前らはな?裏切られたんだよ!お前たちの命は俺たちが握ってるも同然なんだ!もう少し愛想よくしといた方が良いぜ?」
「近づかないで!」
そろそろか。
あたしは今まさに行為をしようとしている男……ではなくそれを銃を持ちながら眺めている男の背後にゆっくりと忍び寄った。
どれだけ重武装だろうが防弾チョッキを着ていようが守れない場所がある。それは奇しくもあたしは師匠と初めて会った時に師匠に向かってかましたあれだ。
「……ふん!」
ゴツン!
「んんん!んんんんんん!」
男の股間を思いっきり膝で蹴り上げると同時に左手で男の口を押える。普通なら口を抑えられてもすぐに引きはがそうとするが、股間への強烈な一撃に思考が回らないようだ。
「あ?なにして……」
ディロクステ《電撃よ飛べ》。
右手に持っていた杖を男の脇からもう一人の男に向けて心で呪文を唱える。最小限の魔素で生成された電撃の魔法はまっすぐ下半身を露出しかけていた男の……何故か股間に命中した……別に狙ったわけでは無い……うん。
「ぎゃあああ!ばばば!……」
最低限の魔素だったが当たった場所が悪すぎたのだろう、痺れと激痛により男は泡を吹いてその場に倒れた。
そしてあたしが股間を蹴り上げた男もいつの間にか気絶していたようであたしに体を預けていたのでその場に置いた。
「ふー。ひとまずは……完了。もういいよ」
そういうと雪と美優はシーツを剝ぎ捨て近寄って来る。
「貴方……容赦ないわね」
「もちろん」
「あんたたち!」
「ん?」
女性陣が壁の傍でこちらを睨んでいた。……いや睨まれるようなことしましたっけ?危うく犯されるところだったのを助けたんだから感謝してほしんだけども。
「何か?」
「とりあえずこれ外してくれない?」
「え?ああ」
よく見れば全員もれなく手首に結束バンドが巻き付いている。
あたしはナイフを抜くと全員のそれを切り、解放した。
「それで?あんたたち……なんでここに居るわけ?あんたは……西宮雪だっけ?日本を裏切った政治家の二女、あんたは……ああ!思い出した!研修生に居たわね!それで……あんたは……知らないわね。名前は?」
「……アリス、神報者の弟子と言えば分かる?」
「しん……神報者の弟子!?」
そんなに珍しいのかね。麻沼もあたしの正体知ったら凄い驚いてたし……ていうかもしかして師匠って普段は転保協会からほとんど動かない人間か?だから神報者自体がかなり珍しい存在なのか?だからこそその弟子……神報者付きも普段から表に出ない存在だと思われとる?
「な、なるほど。分かったわ、それで?ここからどうするの?」
「とりあえず、ここから出てビルを脱出しますが?」
「なら連れて行ってもらえるかしら?守ってくれればそれなりのお礼は……」
「断る!」
相手が言い終わる前に拒否の返答を言った。
「なっ!」
「ちょっとアリス!こっち来なさい!」
「なになになに!」
即答するとは思ってもいなかった雪があたしを引っ張り部屋の隅に連れてくる。
「まあ……あなたの事だからそういうと思ってたけど、一応理由を聞いてみたいわ」
「雪は……元とはいえ総理大臣の娘だろ?なら総理大臣の護衛……つまりSPが総理大臣一人を守るために何人必要か知ってるだろ?」
「あ……なるほど」
「正直に話すと美優を守ることすら嫌だったんだよ、あたし一人が暴れるなら良いけど守る人間が一人増えるだけで状況がまるで違う。分かるだろ?」
「じゃあなんであの子を今回連れているのよ。それになんであたしまで護衛対象にしてるの?出来ないのにやるとか言わないで」
「問題無いよ……少なくとも雪と美優を守ることに関しては支障は生じないんだよ。だがあいつらは違うし……人数も二人から七人だ、あたしゃ単独だぜ?特殊部隊じゃねえんだ、無理に決まってるだろ?」
「……そうね……なら、いい手があるわ」
「ん?」
雪は耳元に囁いたが、おおよそそれは普通の人間が思いつくようなものでは無かった。
「……さすが政治家の娘」
「これでも名家で政治家の娘よ?」
あたしは五人の女優?モデル?かは定かではないがタレントの前に立った。
「あなた方を守ることは出来ない。ていうよりあたし一人であんたがたを守れる保証がないからだ。でも……別に同行するなとは言っていない……つまり勝手に着いてくるんなら勝手にしてもらって構いません……ということです。以上!では」
あまりにも鬼のような提案だ。あたしが安全……いや命の保証をするのは雪と美優の二人、この五人がどうなろうと知った事では無いし命を守る義務もない。だがもしここでこいつらを拘束してしまえばビルは倒壊しこいつらは死ぬのが確定する。それではあたしが殺したも同然だ。だが勝手に着いてきて敵に撃たれてもそれはあたしの責任ではない。
……うん、雪も酷なことするねえ!
「雪、美優、行くよ」
「あ、はい」
「ええ」
そういうとあたしは銃を手に取り、杖と共に構えるととりあえずドアをゆっくり開けクラリングしながら外に出た。そして階段に向かって数秒歩いた時だった。
後ろから足音がした。
雪と美優は振り向いたが、あたしはその足音がリネン室からの物だと総勢5名の物だと聞いてすぐに確信したため振り向かなかった。
二人は少し笑顔になったとは思うが……正直あたしにとってはこれが戦闘時にどう影響するか不安で仕方がなかった。