移動開始から数分後、階段を降り始めたあたしはどういうわけか何らかの誤解をしていたようだ。レセプションホールから下が直ぐにトレーニングフロアだと思っていたのだがどうやら設計変更されたのかレセプションホールから上がVIP専用の宿泊室であったようでレセプションホールから下は従業員用簡易宿泊室だったのだ。
見取り図とは若干違う……師匠後で憶えとけよ。
つまりあたしがリネン室から早く出れたとして恐らく関係なかったと思われる……まあ最初の戦闘を回避できていたかもしれないがそれはこの際おいておこう。
そして宿泊フロアからまずはトレーニングフロアに向けて階段をクリアリングしながらゆっくり降りているときだ、雪が話しかけてきた。
「アリス」
「ん?」
「念のために聞いておくわ。今通っている脱出経路、他の道もあるはずだけど……それを使わないのは何故?」
「ああ、それね」
まあ、疑問に思うのは普通だろう。
このビルには階段以外にエレベーター、非常階段が存在する。即座に脱出するんだったらエレベーターが一番だろうし、非常階段を使えばわざわざ45度歩かなくても済むからだ。
「まず敵の人数が不明な点、何処に配置されているか不明な時点でエレベーターを使う案は論外でしょ?もし途中階で敵と遭遇したらハチの巣になる」
「そうね」
「次に非常階段。もしこれがただの地震や火災によるものだったらあたしも積極的に使うだろうね、でも今回はこのビルの非常階段の構造上使えない」
「というと?」
「このビルの非常階段ってフロアから非常階段側に出ることは出来るけど戻ることは出来ないのよ、つまり一度非常階段に入ると一階か地下駐車場まで降りるかフロア内からドアを開けてもらうしか方法がないわけ、もし下と上から挟まれたら脱出不可能でしょ?つまり現状あたしたち以外味方がいない状況で非常階段に行くのは自ら選択肢を狭める自殺行為なのよね」
「なるほどね……それとあなたあの二人の男を倒したけどもし起きたら問題にならない?」
「それについては問題無いよ。拘束はしてないけど念のために持っている武器を全部壊してきたし、無線機や携帯端末も壊してきた。もし起きても他の部隊に連絡が行くのは遅れるはず」
「用意周到ね……それと一つ気がかりがあるのよ。あの男が言っていたあと90分しかないってどういう意味だと思う」
「ああ、それね」
やはりあの状況でそこまでちゃんと聞いて覚えていると……さすがだ。
雪は美優と同じく守る対象に入った以上、教えない理由は無いし雪なら教えても取り乱しはしないだろう。
「雪、もうちょっと耳寄せて」
雪の耳があたしの口元に近づく。
「あたしが脱出を急いでいた理由でもあるけど、このビルには爆弾が仕掛けられているんだよ」
「……!」
声こそ出さなかったが驚きの表情に変わった、だがすぐに冷静な表情に戻る。
「なるほどね先ほどまで焦っていたのはそれが原因なのね?」
「そ、でもあの時は爆弾の制限時間が分からなかったからなるべく早く行動しようと思ってたけど、90分っていう情報が入ったから少し計画と気持ちに余裕が出来たのもあるかな」
「分かったわ」
「あのさあ!」
「ん?」
声を上げたのは後ろから付いて来ていた五人のモデル達の一人だ。さきほどあたしに交渉を持ち掛けてきたのもこの女性だったが他の四人の反応を見る限りこの女性がリーダー的な立ち位置なのだろう。
「何か?」
「さっきからこそこそ何話しているのよ?まさかあたしたちを何処かに置き去りにするための話し合いとか?」
そんなことするわけないだろう。この五人に対してのあたしの立ち位置は中立でありそれはこの作戦中は変わらない。積極的に助けるために動くことも見捨てるために動くことも無い。
「この中で一番頭が良かろう雪さんに脱出経路について教えてたんですよ」
「あっそ、ならもっと早く動いてくれない?あんたたちは良いけど、こっちはただでさえ動きずらいドレスにハイヒールなんだから」
「あんたたち……」
「雪」
状況をある程度理解した雪が反論しようとしたがあたしが遮ると前に出た。
「……なによ」
「敵の人数不明、配置位置不明、そして現在このビルに居る敵に付されている命令は拘束された奴を除いてこのビルに残っている人をサーチアンドデストロイ……つまり見つけ次第殺せ、何らかの理由で拘束を逃れた人も対象。この状況でどこに居るか分からない敵を警戒しながら下まで行かなきゃならん。この状況分かる?」
「……」
メタルギアのスネークもびっくりな作戦である。せめて敵の位置が分かるようなガジェットあったらなあ。
「さっきも言ったけどあたしはあんたたちを守る気はないよ。ただ着いてくるのは勝手にしろってだけ、こっちの移動速度に文句をつけるのはお門違いだよってことで行きます」
あたしは振り返ると構えながらクリアリングを再開し下に下り始めた。
下り始めてから十数分後、クリアリングをしながらだったので数階しか降りられなかったが、問題無かった。着いたフロアには下に下る階段が無かったからだ。
時間が無いのは分かってはいるが数分だけ休憩をとる。
「ふーここからトレーニングフロア?か、ようやく少し近づいたな」
「はい、ここから45度分フロアを渡った先に下に下る階段があるはずです」
「左右どっちでも良いでしょ?見取り図的には、左右見渡して……ん?」
階段の踊り場にて次の階段の場所に行こうとしていた時だ。階段側から見て左側、本来会談へ通じるはずの道は……何故か荷物で出来た壁でふさがっていた。
「えーと……道が……ないんですが」
「ないわよ」
「……なして?」
「普段フロア間を行き来する人はエレベーターを使うのがほとんどだもの、それに階段を使うにしても反対側にもう一つあるし通路が一つ使用不能になったとしても支障ないもの」
このビルの防火法?防災法?はどないなっとんねん!……あー、非常口のドアを塞ぐのは駄目でもただの通路を塞ぐのは問題ないと?ちゃんと整理しろよ!魔法でいくらでも空間作れるだろう!?
……まあ問題は……ない!現状は!右から行けばいいだけだ。
あたしが右の通路に行こうとした時だった。
「……!」
久しぶりの登場である。幾度となく助けられてきた第六感があたしの脳と体に危険信号を発した。
疑うことなくそれに従い、ショルダーポーチから小さい手鏡を取り出すと右側の通路の様子を見る。
「……わーお」
つくづくあたしの第六感の正確さには恐れ入る。通路の先には武装した戦闘員が5人ここから下へ行く階段への通路のちょうど中間にて煙草を吸いながら談笑をしていたのだ。
「アリス?」
何が要るのか気になる雪が近づいてくる。
あたしは小声で現状を伝える。
「敵、人数は五名」
「……どうするの?」
恐れていたというか、まあ想定はしていた。これは何回でも出来る訓練ではなく一発でも食らえば人生終了になるかもしれない実戦なのだ。何が起こるか分からないのも実戦ならではだ。
だが問題ない。こうなることを見越して久子師匠下で稽古をしてきたのだ……まあ護衛をしながらの戦闘は教えてもらってはいないのだけども。
作戦前久子師匠に状況を説明したらこの作戦を立てた師匠に対し呆れた言葉をいただいたがそれでもあたしに教えた範囲でこの状況を突破する方法も教わった。
「問題ないよ、これも想定済み。後は実戦だ……」
「……これ以上付き合ってられないわ!」
「は?へ?ちょっと!?」
この五人で唯一あたしに文句を言ってきていた女性がドレスの胸元を少し開けてヒールを脱ぎ捨て戦闘員に見えるように通路に飛び出した。助けてもらえる確証が得られていない現状、交渉相手をあたしではなく今通路に居る戦闘員に変えたようだ……馬鹿なのか?
「すみません!」
女性はまるで命からがら逃げてきたかのように疲れた演技をして息を切らしながら命乞いの目で戦闘員を見つめた。あーこの人は女優なのかな?でも美優の演技と分からない演技を見てしまったからか十分演技と分かってしまう。これを戦闘員がどう見るか。
ガチャ!
だが同時に複数の戦闘員が銃を構える音がする。
「お願いします!なんでもしますから!た、たすけて……」
バンバンバンバンバン!
女性が必死の命乞いのお願いをしていた途中にも関わらず……銃声がこだまし、無慈悲な銃弾が発射された。
バタン。
その内数発が女性に命中したのだろう、女性は全身の力が抜けるようにその場に崩れ落ちる。よく見ると少なくとも脳天に一発、心臓に一発命中しているのが確認できる……即死だ。目を閉じる余裕すらなかったようだ、光のない目線があたしを見ていた。
「…………ひっ!んんん!」
悲鳴を上げそうになる美優の口を塞ぐ。雪も状況が分かっているようだ。悲鳴を上げそうな女性の口を急いで塞ぐ。
だから言ったんだ。というよりこれで確定した。現状、あいつらに交渉は通じない、命令されているのはサーチアンドデストロイ……見つけ次第殺せだ。
人を護衛するにあたって重要なのは守る側の動きや装備、敵の装備ではない。もちろんそれも重要なのだが、問題は事が起きた時、守るべき人がその場の感情に左右されず適切に指示を守って行動できるかに掛かっているのだ。
だから連れてくるのは嫌だったんだ。美優には事前に何が起きてもあたしの指示を守れと伝えてある。それに雪もだ、雪は元とは言え総理大臣の娘だ。常に護衛される人がどのように行動し、どう守られるか知っているはずである。そのノウハウが分かっている雪はあたしの指示に従うだろう……だから守れると判断したのだ。
「一人か?」
美優と他の四人が落ち着くのを待っていると戦闘員の声が聞こえてくる。
「どこから来たんだ?」
「あそこの壁は塞がっていますし……あそこの階段は上に登るだけですから上からでしょう」
「なら上で拘束されてたやつだろ、時間が来るまで見張りがいるはずだ。一人だけ逃れた……ていうのはおかしいな。まだ角に隠れているかもしれん。確認しろ」
「了解」
まあ……そうなるよね。ここで一人殺してオッケーとはならんやろな。
男たちの会話を聞いていたあたしはこの十数秒間で少なくとも美優は落ち着きを取り戻していたことに気づいた、荒い呼吸音から穏やかな呼吸音に変わっている。
あたしは静かに美優の口を塞いでいた手を退けた。
「落ち着いた?」
「はい、すみません」
「それでアリスどうするの?」
「……」
あたしは黙って戦闘に突入するために銃のマガジンチェックとチャンバーチェックを行い、スタングレネードを手に取る。
雪はその行為で今からあたしが何をしようとするのか察したようだ。
「分かったわ。気を付けて。終わるまでこの人たちはここに留めておくわ」
「よろ」
覚悟を決めたあたしは銃を構えながら戦闘態勢に入った。