新宿のイメージと言えば、クラブや居酒屋などの繁華街がある歌舞伎町エリアだったり、高層ビルが立ち並び大小さまざまなオフィスがあるエリアなどだろうか。
いずれにしても東京の中でも様々な人が仕事の為に、あるいは飲んで騒いだりするために色々な所から集まるエリアだというイメージだろう。
そしてこの第二日本の新宿も同じような感じである。
だが旧日本の新宿と同じようにこの国の新宿にも住宅街は存在する。旧日本の新宿の面影を残しているかと問われればそんなことは無いと答える人間がほとんどだろうが、もしかしたら新宿で暮らしていた人から見れば……どこか懐かしさを感じるかも……しれない。
防衛産業博覧会から数日後、そんな新宿のとある閑静な住宅街に雪の姿はあった。
目的は散歩だ。
大学に入り、様々な人との出会い、色々な経験をした雪にとって今必要なことは国会議員や経済界とのパイプ作りでは無くなっていた。
「新宿ってもっとうるさいイメージだったけど、こんな場所もあるのね。面白いわね」
自分の思っていた土地のイメージとは少し違った環境に少し驚きつつ雪は手に持った地図で新宿の街並みをゆっくり眺めては観察し、歩いていた。
だがそんな事に何の意味があるのかと問われるだろう。
しかし、今まで母親に言われるがままにパイプ作りに勤しんでいた雪とは違い、今の雪には明確に自信を持って答えられる理由が存在した。
それは偶然にも名家内における西宮家の地位を失墜させた張本人である西宮輝義の言葉だった。
『良いか雪?国会議員ていうのは国会で色々な事を喋ったり法律……つまりルールを作るのが仕事だ。国会議員の中には味方もいれば敵もいる。だけどな?その人たちは味方になってくれるだけで支えてはくれない……まあ利害が一致すれば支えてくれることもあるけどな。でもそんな中でも唯一全力で支えてくれる人がいるんだ、それが投票してくれた人たちだ。もし雪が将来国会議員になるんだったら応援してくれる人がどんな所に住んでどのような生活をしているのか、どんな不満を抱えているのか実際に見に行って聞きに行きなさい。国の為に仕事をするのが国会議員かもしれないが、最優先は応援してくれた人の為に仕事をするのが本当の国会議員だ。国会議員を作るのも育てるのもすべて応援してくれる人だからね』
まだ雪が幼いころ、選挙の時期になると輝義の選挙区である福島県に赴いては僅かながらではあるが一緒に道行く人に声を掛けたりして演説をしていたのだ。これはその時に輝義から教わった言葉だ。
今思えば、自分の娘を選挙に利用したなど言われるかもしれないが、今の雪からすれば十分あの時の経験や輝義の言葉は染みついているし、自分の行動の模範になっている。
逆にこう言われるかもしれない。何故国を裏切った戦犯の言葉をお手本にするのかと。
だがこれもある人の……士郎の言葉が解決してくれた。
『雪さん、確かに君のお父さんは間違った事をしたかもしれない。しかし、だからと言ってその人が今ままで行ってきたすべてを否定していいことにはならないんですよ。日本人は問題を起こした人のすべての行為を否定しなかったことにする癖がある、これは悪い癖です。君のお父さんだって今まで努力して来たからからこそ有権者に認められ、国会議員に成れたんですから。すべてを参考にしなさいとは言いませんが、良いところ……参考になると思ったところは全力で吸収していいんですよ?お父様はあなたの傍にいた国会議員として十分参考になるお手本なんですから』
問題を起こした以上、父親を参考にすることについて周りからどう思われるのかひどく悩んでいた雪にとって士郎が言ったことはその悩みから解放するような言葉だった。
では何故雪は今、新宿を歩いているのか。
簡単である。感覚を養うためだった。年齢的に立候補するのは不可能である以上、その時が来て、いつでも立候補できても良いように、選挙区が決まり次第すぐにその土地を知れるように人を知れるように今のうちに訓練をしようと考えたのだ。
決意をした雪は早かった。西大に在籍中はひたすら西京を飛び回り、歩いては色んな所を見ては色んな人と会話する毎日だ。もちろん交友関係の為にアリスやサチやコウ、東條とも遊ぶことを忘れない。
そのせいで執拗にパイプ作りを強制してきた母親とは疎遠気味になってきてはいたが今の雪にとってはどうでも良いとも思っている。
そういうわけで今日は新しく電話番号を交換した九条が住んでいる新宿の住宅街を歩いてみようと思ったのである。
「……それにしても暑いわね」
七月、季節はもちろん夏だ。旧日本と同じような季節なのでこの時期はもちろん気温は上がっている。時間はもう午後六時だが十分熱気はこもっている。
雪は近くのコンビニによりスポーツドリンクを購入して涼んでいた。
因みにこの世界の日本のコンビニやスーパーには水が売っていない。水だけだったら魔法によって自分で生成できるからだ。コンビニに売っているのは大抵水さえあれば作れるドリンクの材料か完成されたドリンクのみである。
(アリスが言っていたけど、旧日本では地球温暖化?で毎年気温が上がってるとは聞いたことはあるけど……その原因って確か自動車の排気ガスとか火力発電所から出るガスとかだったわよね?でもこの国って基本魔法石によって発電されるから出ないはずなんだけど……何でかしら)
旧日本と同じように少しずつ気温が上がっていく今のセアに対して少し疑問が湧いてくる雪。
「まあ、今考えても仕方がないか……それにいい時間ね。帰りましょ」
「西宮……さん?」
「え?」
時間もちょうどいいので家に帰ろうとした時だった。声を掛けられた、そしてその人物は声を掛けた相手が雪であると確認すると満面の笑みで近寄って来る。
九条だ。
「あら!九条君じゃない!学校の帰り?」
「ああ、いえ、今は夏休みで……夏休みの間だけ予備校に通ってるので、その帰りです」
九条は背中にリュックを背負っていたが、恐らく大量の参考書が入っているのだろう、少しばかり重そうである。
「西宮さんは?何をしてるんですか?」
「趣味の散歩よ。最近のマイブームなの、こうやって何も考えずに街並みを歩くのも心が癒されて新しい発見もあって楽しいのよ」
「へえ」
「……九条君も帰りなら一緒に歩かない?ちょっと聞きたいこともあるし」
「いいですよ」
そういうわけで雪と九条は九条の家に着くまで歩くことになった。
「そういえば勉強ははかどってる?」
「まずまずですね」
少し自信なさげに九条が答える。
「そう……でも自信は持たなきゃ駄目よ?普通の大学ならともかくあなたが目指しているのは西大なんだからちゃんと勉強して十分受かると自信を持って挑まなきゃ。まあ過度な自信は駄目だけどね」
「はい」
「それに安心して、もう一人学部は違うけど同じ名家で西大の同級生が要るからその子にもあなたの勉強を見るようにお願いしたら快く快諾してくれたから安心して。日取りはこちらから連絡するわ」
「え!?よく協力してくれましたね!」
驚きつつも自分の為に勉強を教えてくれる西大生が増えることに喜びを隠せない九条。
「まあ……ね」
もちろんだが同じ法学部のサチではない。経営学部のコウである。最初こそ少し断る雰囲気を醸し出していたコウだったが、アリスが可愛い弟のように接し、アリスに惚れている事を伝えるとアリスに相応しいかどうか見極めるかどうか含めて勉強を見ると承諾したのだ。
だが中々な理由の為九条には伏せることにした。
「それと……あの時は聞けなかったけど、何でアリスの事好きなの?」
「え?……ああ」
あの時とはもちろん雪と九条が初めて会った防衛産業博覧会の時である。雪は西大を目指す九条に何故目指すのか聞いた時に何故かアリスの前では言いづらそうにしていたためアリスには聞こえないように聞いたのだ。
『僕……その……アリスさんが好きなんです。で、アリスさんは将来神報者になるじゃないですか、ならアリスさんを傍で支えるには転保協会に就職するのが一番だと思いまして。でも調べたら転保協会に就職する人のほとんどが西大出身だと聞いたので』
その言葉を聞いた時、雪は驚き同時に感心しまた同時に疑問に思った。アリスは女だ、普通に考えれば告白して付き合い結婚すればアリスを傍で支えるのは可能なのに何でわざわざアリスの傍で仕事をしたいと思うようになるのかと。
アリスに助けられアリスに惚れた人は複数いるが霞家のサチやコウも女性で現状の法律では結婚は出来ない……だからこそ私生活や仕事でアリスを支えようとする人が多いのに何故九条はわざわざ仕事を選んだのかと。
アリスが居ないからか少し照れながらも理由を話し出す九条。
「初めてアリスさんと会った時、僕は世間知らずで何でもできると思い込んでました。一緒に買い物に行く機会があったんですけどその時、近くのビルで爆発事故があったんです。その時僕は無我夢中で中に居るであろう人を助けようとしたんです」
「へえ、凄いじゃない」
「でも……何も出来ませんでした。それどころか多分作業員じゃない……詳細は知らないのであの人たちが誰だったのかは未だに分からないですけど地下から出てきた人たちに襲われたんです」
「なるほどね……で何も出来ずにアリスに助けられたと」
「はい。今思えば軽率な行動だったと反省してます。でもその時に見たアリスさんの戦いぶりに惚れてしまったんです、努力して身に付けた技術で臆することなく対峙していく姿に」
「臆することなくね」
(この子にARAビルでの戦闘とか愛和本部での戦闘を見せてあげたいわ。時々見せる慌てぶりに少し心配になることあるから……でもそれでもなんとかしちゃうのがアリスなのよね)
「ならさっさと告白して付き合っちゃえばいいじゃない。結婚出来れば一番近くで支えられるわよ?」
「それも一時考えました。でも今のアリスさんてなんか恋愛に興味ない顔してる気がして」
「あー」
(確かサチも言ってたわね。識人としてこの世界を十分楽しむまで恋愛はしないって、まあ神報者になるんだし忙しくなるって意味もあって恋愛はしばらくしないのかもね)
「そう考えると、今のアリスさんを一番近くで支えられる方法は転保協会に就職して何とかアリスさんに一番近い部署で働くことかなって」
「なるほどね、ある意味正しい選択かもしれないわね」
本気で惚れた女性の為にここまで考えて行動する姿に少し健気さや応援してあげたい感情が湧いた雪。
そして歩くこと十数分後、九条が住んでいるマンションの近くまで差し掛かる。
「じゃあ私は行くわ、お話聞かせてくれてありがとね。これから受験頑張りましょうね」
「はい!よろしく……おっと」
九条が別れの挨拶をしようとした瞬間、二人の傍を一台のワンボックスカーが近づいた。狭い路地だった為とガードレールが無いこともあって二人は避けるようにしてその車が通りすぎるのを待ったのだが、何故か車は二人の真横に停車したのだ。
そして助手席の窓ガラスが降りると、助手席に座っていた男性が声を掛ける。
「ごめんね!お姉さんたち!ちょっと道を聞きたいんだけど!」
髪が長いからか、それとも可愛くなった九条を女性だと勘違いしたのか二人を女性と認識した男性は地図を取り出した。
「別に構いませんが……私もあまり詳しくは無いですよ?どこに行きたいんですか?」
「多分大丈夫!行きたいところは把握してるんだけどね、ちょっと寄り道したら道わかんなくなっちゃってさ!今どこなのかなって!」
「分かりました」
旧日本の現代あればもはやあり得ない光景だ。スマホによる地図アプリで現在位置は把握できるしナビ機能で他人に聞かずとも道はコンピュータが検索してくれる……時々、間違うことも無いことも無いが。
もしこの光景が旧日本で行われていれば確実に不審者として警戒されるし、周りの人が通報する可能性すらあるだろう……携帯の電波が通じない場所ならありうるかもしれないが。だがこの世界には現在位置をすぐに把握するGPS機能も無ければナビも存在しない、まだ車から道を尋ねる人を多く見かける為雪も警戒しなかったのだ。
本当だったらこの付近に住んでいる九条に案内させるのが普通だろうが、雪は自分が年上であることと、時間も時間なのでもし道案内をするにしても九条に任せるわけにはいかないという使命感から自分が案内役を買って出たのだ。
「今……ちょうどこの辺ですね」
「マジ!?お前さあ!少し寄り道って言ったのに大分ズレたじゃん!道聞いてよかったよ!」
「ごめんごめん」
「それはどうも……お仕事ですか?」
「まあそんなところかな!出張だから土地勘なくてね」
「……」
九条が自分の方が案内できると言わんばかりに地図を見ようと身を乗り出してくる。
「となると……ああ、オッケー!把握した!ありがとね!……西宮雪さん」
「それはどう……え?」
ガチャン!
その時だった。突然車の再度扉が開くと二名ほどの覆面をした男が九条に襲い掛かる。
「え?……ちょっ……」
突然の事で驚いた九条だったが、何とか振りほどこうとするが一人が持っていた杖による睡眠魔法で眠ってしまう。そして顔に布袋を被せされるとそのまま車の中に引きずりこまれてしまった。
「九条君!」
九条を助けようと雪はすぐさま杖を引き抜く……が動けなかった。
「……」
助手席の男が雪に向かって杖を向けていたのだ。もし助手席の男を始末してもその隙に車内に居る男二名を九条が傷つかないように戦闘をするのは無理だと判断したのである。
「知ってるぜ、名家西宮家二女、西宮雪。いくらステア出身とは言え月組出身は戦闘の授業を受けてないから戦えないこともな」
「……私が狙いならそこの……九条君は関係ないでしょ?開放して!私は大人しく従うわ」
「残念ながらそれは出来ない相談だ。いくら眠らせたとは言え通報されたら困るんでね。どうする?大人しく着いてくるか?」
「……分かったわ」
現状、九条を置いていくことも出来ず守るには傍にいるしかないと判断した雪は命令に従うしか出来なかった。
ゆっくり歩きながら雪はズボンのポケットにあった携帯をバックポケットにさりげなく移動させると頭から袋を被せられ車に乗った。
そして車はゆっくりと発進する。
車が移動を開始した瞬間、雪の脳は高速回転し現状の把握を開始する。
(見た感じ作業服だった。変装して道を尋ねるなんて真似してまであたしに近づいた……そしてあたしの名前を知っていたってことは誰でも良いわけでは無くてあたしを狙った計画的犯行……でもこいつらの事をあたしは知らない……なら誰かに雇われた?元とはいえあたしは総理大臣の娘……なら……駄目ね、候補が多すぎる)
輝義を恨んでいそうな人間を頭に挙げてみようとしたが行ったことがあれ過ぎて絞れないことに気づく。
(唯一の想定外は九条君ね。まったく関係ないのに巻き込んでしまったわ、これは反省しないと。となると今やるべきは助けを呼ぶこと。でもほとんど土地勘もないこの場所から車の挙動だけで道を把握するのは不可能……誰に救助を求めるべき?)
雪の脳内に最初に浮かんだのは士郎だった。だがいくら士郎でも現在進行形で誘拐され目的地も把握できない以上誘拐されたと連絡を入れても捜索は困難を極めてしまうのは明白だった。
因みに母親という選択肢は最初から存在しない。
(警察?駄目ね、喋れない状態で連絡してもいたずら電話だと捉えられかねない。だとすると……ふふ、こんな時でもあいつの顔が浮かぶだなんて……あたしも変わったわね)
現状、目的地不明どこを走っているのかさえ不明な状況なのに誘拐されたという状況が分かるメッセージさえ送れれば何とかしてくれるのではないかという謎の信頼感が雪の中で定着しつつある人物が頭の中に浮かぶ。
アリスだ。
(善は急げよ)
雪はバックポケットに入れた携帯をゆっくり取り出すと画面こそ見えないがボタンを操作し始めた。手探りで電話帳からをボタンの押す回数を参考にアリスにメッセージを送るところまでたどり着く。
(いつ見つかるか分からない状況だから長いメッセージは駄目。一言二言で良いから誘拐されて緊急事態だってことだけが伝わればいい。大丈夫、アリスならきっと分かってくれる)
押し間違えないようにゆっくりとボタンを押していく。
「おい!」
「……!」
ばれたかと思った雪の体が跳ねる。
「何すか?」
「いくら素直に乗ったって言っても人質なんだ、手ぐらい縛っとけ」
「了解っす」
(まずい)
今手を掴まれれば携帯を操作しているのがバレるのは必然だ。諦めた雪は文面に一言だけ打ち込んだ状態ですぐに送信ボタンを押すと携帯を閉じ、見つからないようにするためバックポケットではなくズボンとパンツの間の腰の部分に携帯を忍ばせた。
そして男が雪の手を縛ると車はそのまま目的地まで走って行った。