「……うーん」
翌朝、善は急げなのか、それとも魂子さんの行動が早すぎるのか、それともそれほど感染のスピードが速いのか分からないけど、あたしは福島のとある病院に向かうヘリコプターの中で悩んでいた。
「アリス君、どうかしたかい?まさか今になって怖くなったとか?」
「いやそういうわけでは無いんですけど……ふと思ったんですよ、あたし福島行く必要あるか?って。患者を研究所に連れてきた方が……」
「合理的じゃないし、リスクが高すぎる」
「というと?」
「まず、現状の感染範囲が福島周辺のみだ。そして仮に患者を研究所に連れていくとしよう、その道中で搬送に関わった者たちが感染しない保証がないんだよ。もしステルス感染し、西京を歩かれてもみろ、たちまち感染爆発だ。リスクが高すぎる」
「なるほど」
「それに君を病院に運び、感染させる。そしてその場で血清を作れば血清搬送の手間も省ける……こっちの方が合理的だろう?」
「まあ……確かに」
だが一つ疑問が生じる。何でこのヘリコプターには魂子さんの他に医療関係者と分かる人が一人しか乗ってないんだ?二人だけの少数チーム?いや少数精鋭にしても少なすぎない?
「あの……私の看病ってお二人だけですか?」
「いや?数日前から私の研究チームが向かっている病院に検査器具や入院に必要な機材の搬入作業、病室の準備をしているよ。今このヘリに乗っているのは君を運搬するために必要な人員しか乗せてない」
「あ、そう言うことか」
なるほど、魂子さんが言ってたな。魂子さんが所属している第一研究室って普段は研究室から出ないけど、必要なら病院に赴いて医療行為をするって……だからか。
それにしても。
「今更ながら……あたしの体内に超万能細胞があるとは」
「私も驚いているよ。今まで色んな日本人や識人の細胞を見てきたが君のは初めてだ」
「旧日本から受け継いだ……な訳ないよなあ」
「もしそうなら君は何故死んだのか……というごく普通の疑問が生じるね。それほど万能な細胞なんだ、旧世界なら各国の研究機関がこぞって君に色んな感染症や病気を植え付けて血清を手に入れようとするだろう……ま、その最中に死んだとすれば納得は出来るが」
そんな……旧世界でも主人公っぽい展開……いや?あり得るぞ?だって旧日本のあたしは色んな人を恨んでいた。あの時感じた恨みは相当のものだったはず、もしかして世界中が世界中があたしを狙って家族にすら裏切られてあたしってここに居るパターン?
うわあ……ありえなさそうであり得る展開だぞそりゃ。ま、今となってはどうでも良いんですけど。
「そういえば師匠の細胞は見た事あるんですか?」
「無論だ。だがあいつはあいつで普通の人間と変わらん細胞の持ち主だったよ。何故不老不死なのか……呪いのせいだとは言うが、医学的に解明不可能だったね」
「へえ」
まあ闇の女王による……呪い、しかも多分生き返る方法が闇の魔素を使ってるから普通の人からすると研究しようとしても無理なんだろう。
「そろそろ着くね、準備したまえ」
十数分後、ヘリコプターは福島県伊達市のとある病院の屋上に着陸した。
ヘリが着陸するのを確認した屋上の入り口に居た白衣を着た人たちが少し屈みながらこちらへ歩いてくる。
「お待ちしておりました!院長の須毛原と申します!」
「感染症研究所の魂子だ!かたっくるしい挨拶は抜きだ!準備は!」
「すでに!」
「なら行くぞ」
あたしは魂子さんを先頭に目的の病室に向かった。
「わーお……広」
あたしが通されたのは、恐らくこの病院で一番広いだろう個室だった。だがどことなく違和感を感じた。元々の部屋の形を無理やり作り替えた感が否めない。
「ここが今日から君が短くて一週間、我々の想定的には二週間ほど暮らす部屋だ」
「何か形おかしくないですか?物の配置とか」
「それは仕方がない、本当は集中治療室にするつもりだったんだけどね。君は恐らく回復する……だったら一人でも本当に治療を必要とするものに部屋を渡した方が合理的だ。この部屋も少し狭かったのだが、魔法で無理やり広くしたんだよ」
「なるほど……でこれは?」
今後あたしが使うことになりそうなベッド……にはこの空間と隔てるように透明な板で囲われていた。
「急造だったのでね、減圧室……は無理だった、ので隔離空間というべきかい?さすがに感染した君と一緒の空間に居るわけにもいかん」
「なるほど」
「ではアリス君、着替えてくれ」
「へ?」
魂子さんがそう言うと、研究員の女性が患者用のよくある服を持ってきた。
「……なんで?」
「君は今から隔離されている重症患者の病棟に行ってもらう、もちろん我々も行く、まさか君はその格好で行くかい?」
「駄目ですか?」
「医療関係者は皆、隔離病棟に行って出るとき着ていた物を全部捨てるんだぞ?全てウイルスが付いている可能性があるからだ。防護服なら除染すればよいが、看護服ならすぐ消毒、無理なら焼却処分だ。君の持ち物全部消毒していいのならその格好で……」
「着替えます!」
「賢明な判断だ」
あたしはまず拳銃を取り出すとマガジンを抜き、籠に置いた。そしてマガジン内の弾薬を一発一発籠に入れていく。
「あの」
「ん?なんです?」
その様子に何かを思ったようで研究員の女性が話しかけてくる。
「なんで弾全部抜くんですか?」
「え?ああ、マガジンの中の弾ってバネで上に押し上げられているんですけど、弾を入れっぱなしにするとバネが弱くなっちゃうんですよ。普段は寝る前にマガジン内を空にしてから寝るんで……多分しばらく使うことなさそうなんで抜いてるだけです」
「へえ!」
なんとなく……本当に何となく、このお姉さんとは仲良くなれそうな気がした。
数分後、患者用の服に着替えたあたしは魂子さんや院長の案内で重症者が入院している隔離病棟ではなく、表玄関に向かっていた。あたしの今回泊まる病室は隔離病棟内の研究チーム用病室だったが(なるべく感染不明状態で病院内を歩かせないため)だったが、魂子さんの希望で表玄関付近の視察が行われたのだ。
表玄関付近は新たに病状を訴える人でごった返していた。異常を訴える人、それに応対する人、その様子を一通り確認した魂子さんは来た道を戻り、隔離病棟の重症者の病室に向かって行った。病室に近づくにつれて喧騒は無くなり、代わりに何とも言い難い重々しい雰囲気を感じ始めた。
道中、何名か医師や看護師とすれ違ったが、皆一様にきびきびと歩いて挨拶こそしてはくれたけど、その目は何処かやつれておりすでに限界だと誰が見ても明らかな状態だった。
そして……。
「ここからが隔離病棟の中でも重症者が多い病室エリアになります。その奥に進みますと、重症患者がいるエリアがあります。ナースステーションまでは同行いたします」
「ああ、そこまでで結構だ」
「ではまずアリスさん以外、防護服の着用をお願いします」
約十分後、防護服に身を包んだ、魂子さん一行は隙間が無いことをお互いに確認し、最終確認を現場責任者だろうか、看護師が確認すると、病棟への扉を開けた。
一般的に隔離病棟の中というのは防護服を着た医療関係者がいるものだと思っていたんだけどどうやら違うらしい。皆普段の服装の上に薄い服を着ているだけであとはマスクとフェイスガードをしているだけだ。
「あれ?皆さん防護服来てないですけど」
「当たり前だ、我々みたいに一回の視察で来るならまだしも、彼らはほぼ毎日ここで仕事をしてるんだ。すぐになくなるし足りなくなる。最低限の感染防止と普段の仕事着の上から着る使い捨てで何とか回しているんだよ。というかこの防護服は自前だ」
なるほど……しかも皆いつ自分が感染するか気が気でない状況のはず……そんな状況でも真摯に仕事をしているんだ……感謝という言葉以外見つからない。そしてそれ以上にここに来たあたしの使命の重要さが今はっきりしてきた。
「中村君」
「はい」
院長が声を掛けると一人の医者と見られる男性がこちらに向かってくる。
「前回話したアリスさんだ。これより作戦を開始する、よろしく頼むよ」
「分かりました。ではこちらへ」
「私はここで待機しておきます」
院長は一礼すると、ナースステーションに入り中に居る看護婦長たちと何やら話を始めた。
「じゃあ行こうかアリス君」
「はい」
医者の先導であたしと魂子さんはいくつか区域分けされている病室の内の一部屋の前に来た。そして医者がドアノブを持つ。
「アリス君」
「はい?」
「一応言っておくが、ここからの光景は覚悟したまえ。ここから先に居るのは……苦しむ患者だ。軽症者でも健常者でもない。もはや受け答えも出来ない患者たちが居る場所だ。何を見たとしても心を病むなよ?」
「……魂子さん」
「ん?」
「あたし写真とか動画じゃない、リアルでバラバラになった仏とか何度か目にしてるんですよ?その時の血の匂いも覚えてます。そんなあたしが気を病むと思います?」
「……神報者って言うのはそれが日常なのか?」
「さあ?」
まあ……神報者だからって言うより、雪さんの事件に巻き込まれると大体そんな感じになるんですよね!あの子絶対あたしの疫病神ですよ!
医者が扉を開き、あたしたちは病室に入った。
中は……静かだった。……患者など一人も居ないのではないかというレベルで。普通、脈拍や血圧とかを常にチェックできる機械の音があるはずだけどそれすらなかった。
微かに聞こえてくるのは寝ているはずの患者たちの僅かな呼吸音だけだ、それも通常の呼吸音なのかすら怪しいレベルで、この病室は静かだった。
「あのあたしの知ってる病室って血圧だとかを図る機械の音がするはずですけど」
「あれはコンピューターがあって初めて機能するんだ。この病院にはまだ納入されてないよ。ていうかまだ試作段階でね、私の研究室に試作品がある、今回君の治療には使うけどね」
あ、そうか、確かにあれって思いっきりコンピューター使ってるか。となると現在旧日本で使われている大きい医療器具ってほとんどコンピューター……ていうか電子機器なんだからなおさら卓の分野……卓さんよく過労死しないなあ。
「さてアリス君、私はここに居る患者を一通り見て現状を確認する。君も歩き回ってみると良い、深呼吸するのもありだ。三十分後に呼ぶよ」
「え?それだけでいいんですか?」
「執務室の件を覚えてないかい?知ってるかい飛沫感染というのはどんなに換気してようが距離によっては十分……いや数分程度で感染するもんだ。今回は確実に感染しなければならないんだが、現環境なら三十分で十分だろう」
「分かりました」
その後、魂子さんを一とした研究チームはここまで連れてきてくれた医者と共に患者一人一人の診察を開始していた。一人一人の病状を見たり、血圧、脈拍、発症してからどれくらいかなど。あたしの治療や今後に役立つことを医者から聞いていた。
あたしはというと、マジでやることが無いので歩き回りながら軽く深呼吸したり、もはや意識があるのかないのか分からない患者さんの傍で手を握って励ましたりしていた……意味があるのかどうかは分からないけど。
そして三十分後、一通りの診察を終えた魂子さんと合流し、今日やるべきことは終了、あたしは自分の病室に戻ることとなった。
「今君の体にウイルスが入ったのか確かめようがない、なので我々が発症したと判断するまでは他の病室にも行くからね。だがたった今からは君を感染者と同等に扱うから隔離する、移動時もマスクを付けることだ」
とういうわけで、あたしが発症するまでの三日間は隔離病棟ツアーの期間となるのだが……ある意味真の地獄はその後からだった。