血清作成の為に自ら感染しに行くという、旧日本のユーチューバーでもやらないだろう珍事を開始し、一日目と二日目次点であたしの体に何一つ変化は生じなかった。
二日目、この日は人工呼吸器を付けもはや自分で返答することすら困難な重症患者ではなく、まだ人工呼吸器一歩手前レベルまでしか悪化していなかった中症患者の下へ行くと、同じように魂子さんによる診察や、医師による説明が行われた。
ただこの日からはあたしも感染している前提でマスクを付け、病室に入ってからも魂子さんからは離れて色々見て回ったり深呼吸をしたりしていた。
そしてあたしは二日目を終え、ベッドに入るとすんなり睡眠の世界に入って行った。
そして……三日目の朝、起きてトイレに行こうとした時、それは突然……訪れた。
「……マジか」
体が動かせないのだ。今思えば、二日目の夜、寝る前のトイレに行こうとした時、何となく体が重い……いや、だるい感覚になっていた気がしないでもなかった。恐らくあの時から発症が始まっていたのだろう。
「どうかしたかい?」
魂子さんが声を掛けてくる。
「体がちょー重いです。ていうか心なしか熱っぽさもあります」
「そうか、分かった発症を確認。これより君はこの空間から出ることを禁止にする」
「やっぱりですか」
「がっかりしないでくれ、直にそんなことも言えなくなる。さて何か質問はあるかい?」
「今からでも血液を採取して血清を作るんですか?」
「もちろんそのつもりだ。だがそう上手くは行かないだろうね」
「というと?」
「君の体内の万能細胞はウイルスが侵入したと判断されてから初めてそのウイルス専用の抗体に変化するようなんだけどね、幾分変異のスピードが著しく遅い。最低限君が死なない程度の仕事しかしないんだ、つまり血液を採取したところでその抗体が入っている確証がないんだよ。まあ前回は運よく最初の採取で見つかったのが良かったが」
なんだそりゃ、あたしの体はあたしを守るために最低限働くけどちゃんと苦しんでくれってか?あたしの細胞はどSか何かですか?
「となると……あたしはこれからかなり苦しむということになりますよね?」
「そうなるね。だが安心してくれたまえ、我々の目的は君の看病と血清作成だ。君が発症したと判断した以上、ここから出ることは無い。君の治療と血清作成の為に心血を注ぐ。他の病気では知らんが、我々はこの国随一の感染症専門チームだ。そのために最新機器を持ってきたんだからね」
「……期待してます」
その後、あたしのベッドの周りにあった旧日本の病室で見かける色んな器具のスイッチが入った。あたしの体の状態をモニターするため、その器具から伸びる管が次々とあたしに挿入されていく。
そして発症から数時間後、現在時刻……多分お昼過ぎになると、もはや先ほどまで体を動かしていたことが奇跡だったのではないかというレベルで全身に筋肉痛のような痛みが走り出すと、少しずつ呼吸すらしずらくなってきた。
ていうか発祥してから症状悪化するの早すぎません?もしかしてあたしの体内の万能細胞以外他の免疫細胞役立たずか?
だけど、そんな状況でもあたしは何故か安心だった。先ほど魂子さんが言ったように今この病室に居るのは日本で現状最高とも言えるレベルの機器を扱える、選りすぐりの医者たちが居るチームだ。つまり今あたしの体に何か起きても絶対に何とかしてくれると心のどこかで思っているのだろう。
『ただ、前も言ったが、今感染症に薬がない以上、出来るのは対症療法だけ、それは君も同じだ。だから君自身も少しは頑張ってもらうよ?』
さっきまで良い事言ってたのに。
「……リス。……アリス?……アリス!」
「……ん?……んー……え?」
もはや体すら動かせない状況で、横になって眠ることで少しだけ気が楽な状況で何故かあたしに耳に今となっては懐かしいとさえ思われる声が入って来た。
だが、この声の持ち主がこんな所に居るはずがないとすぐに脳が判断した。だってあいつは……大学生だけど医学部の人間ですらない……感染が広がっている病院の、それも重症者が多い、隔離病棟に入れる人間じゃないはずなのだ。
「……雪?」
そう、約三週間前あたしを福島に連れて行った張本人の雪の声を出す人間が、最低限の防護措置をしてあたしのベッドの横に立っていたのだ。
「そうよ、私よ」
「……な、なんでいんの?西宮家の仕事?それとも法学部自治会の仕事?」
駄目だ、質問しようとしてももはや声がかすれる。ちゃんと声が出せているかすら分からない。
「違うわ、私個人の判断。何とか感染が福島県付近で抑えられているから全国の医療従事者がこの福島県に集まっているらしいんだけど、それでも人手が足らないの。私はボランティアでここに来ているわ。まあ、この病院に派遣されるとは思ってなかったけど」
「な、なる……ほど」
でも普通、感染の恐れがあるのに医療従事者のお手伝いなんてさせるか?看護師の資格を持ってるとか、医師免許を持ってる人が入るならまだ分かるけど……もはやそんな状況じゃないほどやばいってこと?
「でも安心して。ボランティアの仕事は患者とは接触しないから。感染のおそれが一番少ない雑務だけ、それをすることによってお医者様たちや看護師さんたちが医療行為に集中できるようにするのが目的だから」
あたしと喋っている時点で無意味では?
「そう……よく魂子さんが許したね」
「君の精神衛生上良いと思ったのでね」
「え?」
「私と君は初対面でよく知らないだろう?だがこの子は君の友人、気を許すものが傍にいると患者の自然免疫力が増すという研究もある、君に家族は居ないし龍は呼べない。その子は偶々とはいえ友人ならその役にぴったりと思っただけだよ」
「……そうですか」
でも知ってますか魂子さん。あたしこの雪さんのお陰で何度か死にかけてるんですよ。この人が何処かに行くたびに行先告げずに連れまわされるんですよ。気許してると思います?……まあ喋るのしんどいので言いませんけど!
もしいるのが友里さんとか!三穂さんだったらなあ!あたしの体内細胞も一気に力増すと思うんですよ!今となっては無理ですけどね!
「それに聞いたわ。今やってることが成功すれば今福島で苦しんでいる人が大勢救われるって……前回といい、今回は何人救うつもりよ。やっぱりあんたは主人公ね」
「ははは」
「私に出来るのはあんたを励ますことだけ。頑張ってとは言わない、今のあんたは十分頑張ってるから……だから諦めないで」
わーとるわい。この程度で死んでたまるか。つーか頑張ってとは言わないって……言ってるやん。
「そう……いえば」
「なに?」
あたしは顔と目を出来る限り動かして雪を観察した時、あることに気づいた。何故か雪の付けている名札が『五十嵐』と書いてあったのだ。
「なんで……苗字が……いが……らしになって……」
「え?ああ、これね。五十嵐は……父の旧姓よ。父は婿入りで西宮家に入ったから西宮姓になったけど旧姓は五十嵐。ここに来るとき、あの件で西宮姓だと要らない混乱を招きたくなくて」
ああ、なるほど。……でも西宮総理って国会議員になってある程度してから西宮家に婿入りしたんだよね?ならむしろ福島選挙区じゃ五十嵐の方が通ってたのでは?
あ、でも悪名って観点だと福島選挙区の西宮総理の方が強い……矛先が向いたのも西宮家だ……そう考えると五十嵐の方が良いのかもな。
「さて、五十嵐君だったかな?いくら防護措置をしても長居は危険だ。他にも仕事があるんなら差し支えるだろ?戻り給え」
「はい」
魂子さんの指示で雪は着替えると部屋を後にした。
魂子さん曰く、雪は何日も病院で泊まり込みをしている医療関係者に弁当などを届けるついでに魂子さんたちに弁当を届けてきたときにあたしを発見したらしい。そして雪とあたしが友人であることを知って面会を許可したとか。
その後、魂子さんは病院長に交渉し、雪を魂子さんチーム専属の弁当配達係りに任命。眠るときも病室のソファーを使うことになった。
それは特別扱いでは?と疑問が生じるが。
『私たちは別にこの病院の関係者ではない。私たちの最大の仕事は君の治療と血清作成だ。君の治療に役立つならば、どんな手段でも使うよ』
とのことだった。……魂子さんが大学病院を辞めて研究所に来た理由が何となくわかった気がした。……半ば厄介払いされでもされたんだろうな。
そして……三日目は何とか意識を保ちながら終えることが出来たが……四日目の夜、事態は最悪の方向に舵を切った。
「……はぁ……ぜぇ……はぁ」
呼吸が……うまくできない。おかしい、聞いていた話だと、発症してから最低でも一週間、二週間かけて徐々に悪化すると医者の説明を聞いていたからそれに向けて心の準備をしていたのに四日目の時点で意識が朦朧としている。
「早すぎる!サキュレーションは!」
「少しずつ……してます!人口……いれますか?」
「準備を……ニルの準備も始めろ!」
駄目だ、もはや魂子さんたちが何を言ってるのかすら分からない。でもかなり慌てていることだけは分かる。ていうか全身が痛い。一生懸命呼吸しようとする分だけ全身の筋肉がびりびりと痛みを訴えている。
誰だよコロナウイルスなんてただの風邪だからそれの新型でも大したことないって言ってたテレビでコメントしていたクソ野郎は。インフルの数十倍はきついぞ!
「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ」
あっ……やばい……意識が……だんだんと遠くなって……。
ビービービー!
部屋のどこかで何かが鳴る音がこだまするような気がする。今となってはそれが何なのかすら分からないし、確かめようとすら気力が起きない。
「……!」
「……!」
「……!」
『死ぬな、アリス』
もはや誰が何を言ってるのか分からない状況の中、頭に直接聞いたことがあるような、師匠でも雪でもない、何処か懐かしいとさえ思える声がはっきりと聞こえた。だがそれを聞いた直後、あたしの意識は虚空のかなたに消えた。
「……ん?おろ?」
気が付くと……あたしは何処までも晴天が続く原っぱのど真ん中に居た。見渡す限り様々な花が咲き乱れているのが分かる。でもどれも過去に調べた花と違うような気がするし、多分本来同じ季節には咲かないはずの花だ。
「……えっと……もしかして」
嫌な予感と共にその場から辺り一面を見渡してみると……何故か少し川幅が広い川があり、そこに掛けられた橋を白装束を着た人たちが渡っているのが分かった。
「……Oh……ここって」
「そうだよ。現世と天国……の中間地点って所だ」
「……っ!」
聞き覚えがある……と言うか、あの時以来聞いてなかった。いや、もう聞けるはずのない声が背後から聞こえた。
「……もしかして、もしかして!」
ゆっくりと振り返ると、そこに居たのは……順先輩だった。
「順先輩―――!ふごっ!」
この先絶対会えるはずがないと思っていたあたしはまさかの再開に体が勝手に動き、抱き着きにかかるが、順先輩は正確にはたくと、あたしは地面にめり込んだ。
「なんで!」
「お前は後輩だが、俺に抱き着く権利があるのは夏美ぐらいだろ?」
「そりゃあ……そうですけど!一後輩が再会を喜ぶのは当然では!?」
「仮に俺が生き返った場合ならばな、いくらでも抱き着かれてやるよ。ただここは死後の世界の入り口、つまりお前は死ぬ一歩手前だ。その状態のお前に言うのは……」
「言うのは?」
「こんな所で死んでねえで、ちゃっちゃと戻って自分の仕事をしてこいだ!」
「えー!と言ってもなあ……ん?死ぬ一歩手前?あたしまだ死んでない?」
「見えてないのか?」
順先輩があたしの足元を指さす。よく見ると、あたしの股間部分からやや透明な白濁した何かが地面に伸びている。
なんじゃこれ?
「なにこれ?」
「多分だがまだお前の肉体は死んでない。何があったかは知らんが一時的に魂が抜けちまっただけだ」
「それってある意味臨死体験ってことっすか?」
「恐らくな。だから今戻ればまだお前は戻れる。だから戻れって言ってんだ」
「じゃあ順先輩も……あっ」
順先輩の足元には何も繋がってない。そりゃそうだ、すでに順先輩の体はすでに灰になって数年と経っている。戻れるはずがない。
「俺のことは気にするな」
「はい、ていうかなんで順先輩はここに居るんですか?あそこで橋を渡っている人って同じように亡くなっている人ですよね?」
「ああ、だがどうやら渡る期限とかは特に決まっているわけでも無いようだからな。ここで出来ることしてる」
「出来ること?」
「お前には関係ない」
「あ、はい」
「さあ、戻れ。最悪戻れなくなるぞ」
「いや、戻れって言っても……どこから」
「後ろ」
「ん?後ろって……ファ!?」
さっきまでただの野原だったはずなのに気づけばそこには崖、そして下にはよく見る日本の街並みが広がっていた。
「どういう原理だよ」
「さあな。……アリス、最後に……ここで会えたんだ、頼み事聞いてくれるか?」
「え?まあ別にいいですけど……ぎゃっ!」
ドン!
あたしが喋っている最中だった。時間が無いと言いたげな順先輩があたしを崖の向こう側に突き飛ばした。
「ちょっ!先輩!」
「……出来たらで良いんだ!夏美を……夏美をよろしく頼む!あいつは……俺が居ないと何するか分からん!」
「ははは……それは……突き飛ばしながら言うことですかああああああぁぁぁぁぁ!」
体が自由落下を開始した。
「やばい!どうする?ていうかどこに落ちてんの!?このまま地面に……いや今は魂だけだから関係ない?いや臨死体験なんざしたことないから分かるかあ!……お?」
徐々に地面の様子が分かって来ると、いつも見ている西京の街並みではないことに気づく。……そうか!あたしの体は今福島の病院!その肉体に向けて落ちてるってことかあ!
「いいいいいいやああああああ!」
と言ってもあたしの肉体に届くまでは屋上と天井が何枚かあるわけで……どうなるのか……どうにでもなれえ!
「ぶ、ぶつかるうううううう!」
屋上のコンクリートが眼前にまで来るとぶつかると思い一瞬体を硬直させたが、あたしの肉体は……いやあたしの魂は……屋上と天井をすり抜ける……そのままベッドに眠っている肉体に吸い込まれた。