「……ん……ふえ?……あ」
目を覚ますとそこは、あたしが寝ている病室のベッドの上だった。
良かった。どうやらあたしの魂は無事に体に入れたらしい。
目線を横にすると、すでに外は明るく、鳥のさえずりが響いてくるのが分かる。今ちょうど朝になったってことは……あの時あそこにいた時はちょうど朝方だったことかな?それともあそこに時間の概念が無くて常に昼間だったのかもしれない。
まあ今そんなことを考えてもしょうがない。ゆっくりと上体を起こそうとしたあたしだが、違和感に気づいた。
体が少し重かったのだ。
インフルの時はそこまでじゃなかった。でも考えてみれば、インフルの時から約二週間、ほとんどいつものトレーニングが出来ていないんだ、体がなまっているのかもしれない。
「……体おも……少しずつ取り戻さないと」
「やあ、アリス君。目覚めたかい?」
「え?魂子さんおはよう……ぬおっ!」
外の様子にばかり気が取られてて気が付かなったけど、病室の入り口側、つまり透明な板の向こう側で色んな機器であたしを見ていた人たちは魂子さんを除いて全員グロッキーな様子で寝ていた。
「……な、なにがあったんですかね?」
「覚えてないのも無理はない。昨日の夜から深夜にかけて君の体はかなりまずい状態になっていたものでね。君が一人で頑張ったと同じように我々も必死に出来ることをしていたんだ、その結果だよ」
「まずい状態ですか?」
「聞きたいかい?」
自分の体に何が起きたのか……知りたいような、でも知りたくないような。
「……一応?」
「なら教えよう」
魂子さんは昨日夜にあたしの体に生じた危機について話始めた。
「……すぅー……すぅー……」
夜になると、基本的にボランティアの仕事は無くなる。医者や看護師たちはシフトにより24時間患者を診るという責務があるがボランティアにそれはない。しかし、普段であれば看護師や医者が自分の仕事のついでにやるような事務作業をボランティアが代わりにやることで医療行為に専念させるのが今回のボランティアの狙いだった。
そして本来、雪を含めたボランティアは病院近くのビジネスホテルに泊まることになっていたが、雪は魂子の許可を得て、アリスの病室にて寝ていたのだ。
だが……今日だけは……本来できていた安眠が出来なくなった。
ビー!……ビー!……びー!
「……っ!何!?何事!?」
突然の警報音とよく似た音にさすがに眠っていた雪も飛び起きざるを得ない。だが起きた雪は目の前の光景を見て驚愕した。
「血圧低下!」
「サキュレーションは!」
「まだ何とか……アリスさんの体が震え始めています!」
「早すぎる……フェンタニル一単位!」
「はい!」
この数日間、この病院のどの医者たちよりも冷静だった魂子たちがかなり焦った表情で机に置かれた機器が示す数字を読み上げたり、薬品の指示を始めたのだ。
「な、なにが起きたんですか?」
「予想よりも早くウイルスが暴走を始めたんだ!想定外過ぎる!」
「え?」
「今回のコロナウイルス。潜伏期間は約二、三日から一週間程度、長くて二週間と言われてるが発症してもここまで早く重症化することは基本ないはずなんだ!心臓病などの元からある疾患を抱えているのなら別だがね。だがアリス君はいたって健康体だ、いきなりここまで悪化するなんて聞いたことが無い!」
「そんな……アリス!」
かなりまずい状況だということが雪でも分かった。すぐさま魂子たちの邪魔にならないアリスを視認できる位置に移動するとアリスをじっと見つめた。
「……ぜぇ……ぜぇ」
意識はあるのかは分からないが、アリスは一生懸命呼吸をしながら体を少し震わせていた。だがアリスが異常な呼吸の仕方をしているのだけは素人の雪でも分かった。
「フェンタニル、準備出来ました」
「了解、それといつVF起こしてもいいように除細動の準備をしておけ」
「分かりました」
「それとモニターは常に見ていろ、特にVFとサキュレーションだ」
「分かってます」
そう言うと魂子は助手を連れて防護服を着ると、アリスの寝ている簡易隔離室へ入った。
魂子が駐車の準備を始めると、さりげなく雪がモニターを見ている女性の傍に移動し、質問する。
「あの……VFって何ですか?」
「え?ああ、心室細動……心臓が規則正しく動かなくなることで適切に処置をしないと心臓が動かなくなる心停止になって……基本的には亡くなります」
「なるほど……あとサキュレーションって?」
「血中の酸素濃度です。今回の感染症は一様に肺炎になることが確認されています。肺炎は基本的に肺が酸素を正常に取り込めなくなる症状、なので患者の進行具合を見るのにサキュレーションを見るんです」
「おや?医学の勉強かい?熱心なことだね医学部かい?」
注射を終えたのだろう、防護服を脱いだ魂子が雪の下へ歩いてくる。
「いえ、法学部です。ですが、知っておいて損はないと思いまして」
「君もアリス君と似ているね。あの子も必要なのか分からんが、応急処置について教えてくれと言ったことがある。まあなんにせよ、知りたいと思う知識欲?と言えば良いのか、それは大事だ」
「その注射は終わったんですか?」
「一応ね、因みに今打ったのはフェンタニル、医療用の鎮痛剤だ」
「鎮痛剤?治療薬とかは……」
「君はテレビや新聞を見ないのかい?今回の感染症は新たに発見されたウイルスだ、治療薬なんて開発されているわけないだろう?今出来るのは治療薬が出来るまでの対症療法だけだよ。今打ったのもアリス君の痛みを緩和させる手段にしか過ぎない」
「そうなんですか。どれくらいで効くんですか?」
「静脈注射だからすぐ効くはずだ」
だが約三十分後、事態は思いもよらない方向に走った。
「…………」
「……駄目ですね」
投薬後のアリスの様子を見ていた魂子と助手はフェンタニルを投与したにも関わらず、何故かまだ苦しむ表情をしているアリスに困惑の表情を浮かべていた。
「フェンタニルが効かないなんてことあるか?」
「症状やウイルスによってはあるかもしれませんが」
「そういえば、あの医者も言っていたな、患者の中にはフェンタニルが効かない人がいるって」
「まさかアリスさんも?」
「かもしれん」
その時だった。
ビー!ビー!ビー!
またもやモニターからけたたましい警告音が鳴り響いた。
「またか」
「どうします?フェンタニルの量増やします?」
「いや……意味が無いんじゃ、量を増やしてもアリス君の負担になるだけ……」
「サキュレーション大幅に低下!」
モニターを監視していた女性が警告音に負けないように声を張り上げる。同時に魂子と助手の表情が変わった……これまで以上の危機感を現した顔に。
「先生!」
「……そういえば、あいつ言ってたな。フェンタニルが効かない患者にモルヒネを投与したと……もはや迷ってる時間はないか……モルヒネ一単位準備しろ」
「分かりました」
大急ぎで研究員たちが投与の準備を始める。その慌てようとアリスの呼吸が少しずつ小さくなるを見てられなかった雪はモニター横に置いてあったアリスと喋るためにマイクに近寄ると喋り始める。
「アリス!死ぬんじゃないわよ!」
「五十嵐さん!?」
「あんた主人公なんでしょ!ならこんな病気ごときで命失うほど柔じゃないでしょうが!諦めるな!」
「ちょっと何してるんですか!」
女性が雪を制止させようとするが、止がかかった。
「いや喋らせろ!」
「え?」
「五十嵐君はアリス君の知り合いだろう?一番見知った者の声というのは脳に刺激となる。よく言うだろ?瀕死だった患者が家族の声を聴いて息を吹き返したという事例が。五十嵐君、アリスに声を掛け続けろ!」
「アリス!あんた私がちゃんとした政治家に成る姿を見たくないわけ?私は色んな人からいろんなことを学んだわ!それを実践できるかはまだ怪しいけど。でもそのきっかけをくれたのは誰でもない!アリスあなたなのよ!あたしで選挙で当選して胸張って政治家に成る!あなたは見届ける義務があるんだからこんな所で死ぬんじゃない!死んだらあの世までついて行ってあんたを殺す!」
ありふれた思い出を語るのかと思いきや、良く分からない宣言とある意味脅迫のようなことをし始めた雪に一同、『それ今言うセリフ?』と心で突っ込んだ。
「ふふふ、アリス君。君の友人は面白い人間が多いようだね。今回の計画に誘った私が言うのもなんだが、君はまだ若いんだ、この世界のすべてをまだ知らないんだろう?なら知るべきだ、旧日本では出来なかったことを、この世界でやれるんだ。諦めるな」
「モルヒネです」
魂子が注射を受け取り、すぐさま打とうとした……その時だった。
ビー!…………。
警告音が止んだ。
「……ん?」
ピタリと魂子の手が止まる。同時に耳を澄ましたが、VFの警告音も、心停止を知らせる音も聞こえない。代わりに聞こえたのは、モニターを見ていた女性の困惑の声だった。
「え?……なんで?……え?」
「何が起きた?報告しろ!」
「血圧……正常値に戻りました。サキュレーションも正常値に戻ってます!なんで?さっきまであんなに低かったのに!」
まるで、何事も無かったようにアリスの体内の様子を示すモニターの数字は徐々にすべての値が正常値に戻って行った。そしてアリスの顔に苦痛の様子はなく、呼吸も正常に戻っていた。
「一体、何が?」
「……ふふ、ははは!分かるわけがない!この世界に来てもう何十年と経つが、こんな現象は初めてだ!ウイルスに万能細胞が勝ったんじゃないか?」
「だとしてもです!……どうします?」
「どうしますも無いだろう?さて諸君、アリス君はウイルスに勝った、つまり体内に今回のウイルス専門の万能細胞がウイルスに勝てるまで増殖したということだ。……ここからが我々の仕事だ……分かってかい?」
「「「はい!」」」
一同、気を引き締めた表情になり、深夜にも関わらず、アリスのから血液を採取するために行動し始めた。
「五十嵐君」
「はい」
皆がせっせと動いてる中、少し涙ぐんでアリスを見つめている雪に魂子が声を掛ける。
「すまないが、まだアリスの体内にウイルスが残っている可能性がある以上、直に会話はできない。だが……ありがとう」
「え?私は何も」
「君はアリス君に声を掛け続けた。それがアリス君を助けた……とは言えないかもしれんが、それが要因となった可能性はある。それが出来たのはこの空間で君だけだ。お礼を言うよ」
「……はい」
「もう寝たまえ。君は一応この病院のボランティアだろう?明日も仕事があるんだ、睡眠不足は仕事の敵だよ。まあ寝てない私が言うのはなんだがね」
「分かりました。でも……アリスには言わないでくださいね?」
「何をだ?」
「さっき、アリスに行った言葉のほとんどをです」
「善処しよう」
納得した雪はソファーに戻るとまた眠り始めた。
そして魂子含めた研究チームは回復したアリスから血清を作成するために徹夜覚悟の作業を開始した。