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二〇二七年 七月三十日

 二〇二七年 七月三十日。

『春! 本日も生徒会室にしゅーっご!』

 夏休み中。何度か小野寺さん――いや、渚から生徒会室への召喚があった。

 文学部は基本、夏休みに特段の活動はなく、個人の執筆が中心。だから、特別困るような用事ではなかった。それでも、学校まで片道一時間、自転車を漕いでこのクソ暑い甲府を進むのは、ほとんど罰ゲームだった。

 とりわけ、ヘルメットが辛い。

 姉の時代には着用が自由だったと聞いたけれど、今は必須アイテム。被らなければ生活指導の教師に見つかって、騒がれる羽目になる。

 コロナの頃はどうしていたのだろう。ヘルメットにマスクの完全装備――もはや学生運動の姿に近い。でも、学生運動の人たちだって、この四十度超えの中では、たぶんヘルメットもマスクもつけていなかったはずだ。

 そう考えると、やっぱり先人の先輩方はすごい。素直にそう思えてしまう。

 学校近くの新荒川橋を越えると、昔ながらの駄菓子屋が視界に入り、その先に第二甲府高校の正門が見えてくる。目の前にはどっしりと校舎が構え、左手には多目的施設である朱雀会館、そしてその反対側の奥に、体育館と、通称「音楽棟」と呼ばれる建物がある。美術室、音楽室、そして生徒会室が入った、独立した構造の棟だ。

 駐輪場に自転車を止めて、その音楽棟へと足を運ぶ。生徒会室のドアを開けた瞬間、クーラーの冷気が、全身を撫でるように吹き抜けた。思わず肩がほぐれる。奥では、渚がパソコンをいじりながら、何やら作業中だった。

「おつかれ」

「おー、春! ささ、会議会議!」

 渚は、生徒会長になったことで、あらゆる雑務を抱えるようになった。けれど、本人はそれを苦にしている様子もなく、何事もそつなくこなしていく。やっぱり、強者だなと思う。

 ただ、知り合う前の“猫をかぶった”ような態度は減り、それがかえって親近感を感じさせた。

「でさ、どうしよっか?」

 パソコンをパタンと閉じながら、渚が問いかけてきた。まるで、「今日の放課後、どこ行く?」みたいな、軽いノリだった。

「……え? 何が?」

「いや、映画のこと」

「えっ……まさか、そんなビジョンないの?」

 てっきり、渚の頭の中には、ある程度の映画制作プランが描かれていると思っていた。実際、そうだからこそ、生徒会長選挙の公約にも掲げたのだろうし、国際映画祭への出品を目指すなんて、大胆なことが言えるはず。

 けれど、どういうことか。彼女は選挙のときのような凛々しさをすっかり脱ぎ捨て、無防備な、人懐っこい笑顔で私を見つめていた。

「どうしましょうか?」という感じ。それはまさに、末っ子特有の、人たらしの常套手段だった。

「いや、勢いで言ったけど、正直私もよく分からなくて」

 渚は苦笑しながら、視線を泳がせた。

「は? この前、生徒会室に呼んだときは“ちゃんと考えてあるから”って言ってたじゃん」

「はにゃ?」

「うわ……あの時はあんなに説得してくれたのに」

「いや! あれは本音なんだけどさ。ただ、映画作り自体は……まあ、ノリというか、思いつきというか……」

「え? マジで?」

 正直、私の中での渚の株がちょっとだけ下がる音がした。

「ちょっと言いにくいんだけどさ……。元々、涼香と翔太、それに進は中学が一緒でね。みんな別の部活だったんだけど、高校では共通のことを一緒にやりたいなって。で、思いついたのが――映画作りだった、というわけ」

「……ってことは、かなりの公私混同?」

 咄嗟にため息が漏れた。いや、予想はしていた。つまり――思い出作りにバーベキュー、思い出作りに花火、そして思い出作りに映画撮影。そういうテンションの話なのだろう。

 すると、私のため息を敏感に察知した渚が、慌てて訂正モードに入った。その素早さは、まるで国会答弁中の議員のようだった。

「いやいや、でもね? 実際、学校にとってもメリットがあるの。少子化の時代だからこそ、入学者アップの施策になるし。映画作りの公約の学校ってさ! あと、私たち自身の“ガクチカ”にもなるし! ね? 受験で“学生時代に頑張ったこと”としてアピールできる!」

「まあ……ツッコミどころは山ほどあるけど、完全な公私混同ってわけじゃないことは、わかったから。大丈夫よ」

「春……やっぱあなた最高! だからさ、映画作りも一緒に――」

「NO! 私だって、映画なんて作ったことないし!」

 あまりに都合のいい流れに、即座に拒否。

 それでも渚は、ひるまずに攻めてくる。

「でもさ、春は文学部でしょ? 私は元・放送部。どっちが映画作りに近いと思う?」

「いやいや、普通に放送部でしょ。それに、放送部って毎年なにか映像作品を作ってたじゃない。学園祭で流してたでしょ?」

「そりゃ、短編はね。何度か作ったけど」

「だったら、その感じでやればいいんじゃないの?」

「違うのよ。放送部の短編って、短いから編集も微調整も楽だった。でも今回は、しっかりした原作があるんだよ? そういう映画は、私だって作ったことないし」

「“しっかりした原作”かは謎だけどね」

「うわっ、卑屈」

「卑屈で結構」

 そんな私の返しに、渚はなぜか新鮮さを覚えたようで、ケラケラと笑った。まるで心の底から楽しそうに。

 本当によく笑い、よくしゃべり、そして、やりたいと思ったことは躊躇なくやってしまう。ふと、意外にも――赤ちゃんみたいな、幼稚な性格なんだなって思った。

「でもさ、せっかくだし、キャストのみんなと話し合って決めたら? 計画を」

「計画を?」

「うん。どうせ私らだって、素人だし」

 すると渚は少し渋った表情になり、語り始める。

「んー、そうだけど……。なるべく根っこの部分は、私たちで練り上げたいかな。計画の部分は、ね」

「そうなの?」

「うん。翔太も進も涼香も、みんなノリがいいのは間違いない。でも、だからこそ――。計画部分に彼らが入ってくると、せっかくの作品の良さが、消えちゃいそうな気がするんだよね。アレンジとか、無茶ぶりとか、いろいろやってきそうでさ。だから一旦、この夏休みの間は、キャストを演劇部に預けて、演技指導してもらってる」

 やっぱり渚は、見た目や雰囲気に反して、根がしっかりしている。表面のノリとは違って、ちゃんと物事を冷静に観察しているんだ。

 そういえば、あの初顔合わせのあと、長谷川君たちの中学校時代の学年劇を見せてもらった――いや、正確には「見せられた」というのが正しい。でも、正直言えば、その演技は予想通り。むしろ期待どおりというか……うん、かわいらしかった。そういう意味では許されるレベルの演技で、思ったほどショックは受けなかった。

 ――が、まあ。このまま渚と押し問答をしていても、何かが打開されるとは思えない。

 せっかく炎天下のなか、自転車で一時間もかけてここまで来たのに、ただおしゃべりして帰るなんて、バカらしい。私のような損な性格は、気づけば物事を勝手に「自分ごと」として捉え、どうにかしようとしてしまう。

 ――ほんと、バカだな。

 そう思いながらも、私はおもむろにカバンからノートパソコンを取り出し、授業で使っている検索エンジンを立ち上げた。

「何するの?」

「どうせ私たちで考えたって、いい方法なんて浮かばないでしょ?」

「じゃあ、映画作りについて調べるの?」

「んー、それも却下だね。どうせざっくりとした話で、大枠では参考になっても、細かい部分で私たちの計画には落とし込めないと思う」

「まあ、確かにそれは言えてるかも」

「だからこそ、AIでも使おうかなって」

 その言葉に、渚は「ほう」と小さく感心したような声を上げ、じっと私の顔を見つめてきた。まるで、「その手があったか」とでも言うように。

 私は検索画面から、授業でも使っているAIサイトを開いた。

「とりあえず、『映画作りの方法を教えて』って打ってみようか?」

「いや、春。もし聞くなら、“高校生の私たちでもできる映画作りの方法”って条件も入れようよ。資金とか、動ける時間とか、ちゃんと考慮してさ」

 うんうん、と私は頷きながら、渚の言葉を反映させていく。

「『映画作りの方法を教えてほしい。条件として、高校生主体で行える方法であること。編集を含めて、来年の八月までに完成すること。原作となる小説があること。主要キャストは決定していること。撮影機材や高度な編集技術は不要であること。そして――出来上がった作品を、国際映画祭で戦えるくらいのレベルにすること』、と」

 私は一気に入力して、Enterキーを叩いた。

「大分入れ込んだね」と渚が肩をすくめる。

「まあまあ、AIは優秀だし」

「で、結果は?」

 チャットを送信すると、瞬く間に画面に文章が表示されていく。やはりAIというのは便利だ。人間のように考え込む間もなく、即座に最適解らしきものを吐き出してくれる。

「『映画制作は、高校生主体で行う場合でも、工夫次第で質の高い作品を作ることができます。まず、原作となる小説をもとに脚本を作成し、映像としての表現を意識して物語を再構築します。映像化したいシーンやセリフを絞り込み、具体的なイメージを固めることが重要です。

 脚本が完成したら、絵コンテやショットリストを用意し、撮影の流れを明確にします。次に、撮影に向けてロケーションを選定し、必要に応じて撮影許可を取得します。

 撮影機材はスマートフォンや家庭用カメラで十分です。自然光や簡易的な照明を活用し、安定した映像を撮るために三脚やスタビライザーを使用します。音声は外付けマイクを使うか、静かな環境で録音することでクリアな音を収録できます。シーンごとに複数回撮影し、編集時に最適なものを選べるようにしておくと安心です。

 編集作業では、無料や低価格の編集ソフトを使用し、物語のテンポを調整します。BGMや効果音を加えることで、映像の雰囲気をより豊かに演出できます。色調整を行い、映像のトーンを統一することも効果的です。

 完成した作品は、予告編や宣伝用の映像を制作し、SNSなどで拡散します。そして、学生向けや新人監督向けの国際映画祭への応募を検討します。高校生ならではの視点や表現を活かし、シンプルながらも力強いメッセージを込めることで、多くの人の心に残る作品になるでしょう』……だってさ」

「なるほど、まあ最後の方は置いといて……。機材類とかも準備しなくちゃだね。でもまずは、原作を元にした脚本作りを手っ取り早くやるべきだね。てかさ、そもそも小説と脚本って、何が違うの?」

「いや、私もそこまで詳しいわけじゃないけど、私が書く小説っていうのは、あくまでも文字で話を作るのよ。だから、文字を読者に読んでもらって、あとは頭でイメージしてもらうって話。だから登場人物の心理描写とかも細かく描くの。

 でも脚本とか、映像を前提にしているものは、文字だけで視聴者に全てを届けようとしているわけじゃないのよ。例えば、主人公が悲しい時、その気持ちを声に出さなくても、悲しい顔をすれば視聴者はそれを感じ取れるでしょ?」

「つまり、文字で語るのが小説で、映像で語るのが脚本ってことね」

「まあ、そういうこと」

 そう言いながらも、私の胸には不安がよぎっていた。そもそも小説と脚本は求められるものが違う。小説なら、読者に委ねる部分が大きくて、正しい解釈なんてものはない。つまり、誤魔化しも効く。

 一方で脚本は、映像化されることが前提だ。同じ感情表現でも、はっきり言ってセンスが問われる部分だ。

 そんな私の悩みそうな顔を見てか、渚が少し不安げに覗き込む。

「難しい? 脚本って」

「ん……やったことないからね。台本くらいなら落とし込みは簡単にできる気はするけど」

「え? 台本と脚本って違うの?」

「え! 違うよ! 台本はキャストへの指示で、脚本はカメラワークや背景なども考慮したものよ」

 その説明に、渚は「あ」と何か思いついたようだった。

「ならさ、とりあえずまずは台本作ってよ」

「え? それでいいの?」

「うん。撮影しながらカメラワークや背景、効果音、それにキャストの動きも確認しようよ。そっちのほうが手っ取り早いし」

「あ、まあ言われてみればそうだけど」

「そうよ。だって野球部や吹奏楽部のシーンなんて私たち分からないでしょ? それならキャストの意見聞いたほうがいいし、カメラワークは撮影や編集を手伝ってくれる放送部やプログラミングクラブ、美術部の人に聞いたほうがいいでしょ」

 確かにその通りだ。

 きっとプロの現場なら役割分担がはっきりしていて、こんないい加減なやり方は通用しないだろう。

 でも、私たちは高校生主体だ。基本的に渚と私で監督や脚本、プロデューサー的なことはするけど、それも完璧じゃない。素人だからこそ、他の人が口出ししてくれたらすぐに採用できる。案外、いい作戦かもしれない。

「じゃあ、春は台本をやってくれる? 私は他部活との調整と撮影許可をやっとくね」

 その後、やるべきことを一通り確認し、二人の会議は思ったよりあっけなく終わった。

 夕暮れに傾く空の下、私たちは学校近くの新荒川橋を自転車で駆け抜けた。橋の上にそよ風が吹くが、思ったより爽快感はなく、ぬるっとした感触が何となくぴったりだと、私は短絡的に思った。


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