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二〇二七年九月六日 その1

 二〇二七年九月六日。

 秋晴れ、とはほど遠い。クソ暑い、そんな日に――とうとう撮影が始まった。

 ……と言っても、今日はまだテスト撮影。

 本撮影は、毎週月曜日。部活休みの日を撮影日にあてることになっている。余裕があれば、土日にも行う。だが基本、キャストの長谷川君たちは、自分たちの部活を最優先。いくら親友・渚の頼みとはいえ、線引きはきっちりしている。

 お互いに配慮すること。それが友人関係を長続きさせるコツなのかもしれない。私は、そんな彼らの距離感をちょっとだけ羨ましく思った。

 火曜から金曜は事務作業や編集タイム。放送部とプログラミングクラブの協力を得ることができた。彼らにとっては、ほとんど部活動の延長のようなもの。特に気を遣う様子もない。そのあたりの采配も、やっぱり渚のカリスマ性というか、手腕というか……本当にしっかりしてるなと思う。

「に、しても……あっちぃなぁ」

 その声とともに、キャストの長谷川君が橋の方に気怠そうに歩いてきた。

 無理もない。まだ真夏なのに、今日の撮影シーンは“冬”なのだ。

 二〇一六年十二月十五日――輿水大気さんの事故の日。その再現シーン。もちろん、今日はその練習だ。なのに、学ランを着てきてもらっている。……申し訳ない気持ちになる。

「大丈夫?」

「うん、まあ、平気だけど……いきなり新荒川橋の撮影って聞いてなかったよ」

 彼の言葉に、苦笑が漏れた。

 AIに相談した結果、基本的に撮影は「ロケ地ごとにまとめて行う」のがセオリーだという。同じ場所の別シーンを一気に撮る方が効率的。何より、学校外のロケ地では、許可取りが必要になる。回数は少ない方がいい。場合によっては、使用料も発生する。

 セットを組む――という選択肢もあるにはある。でも、美術部の宮崎君に軽く相談しただけで、あからさまに顔が青くなっていた。それ以上頼むのは酷だと思った。

 だから、結論として――今回は「時系列通り」に撮影することにした。

 十年前の第二甲府高校が舞台なら、学校周辺を再現するだけで済む。現地にもすぐ行ける。だから、最初のうちはそれでいいだろうと、渚と話して決めた。

 もちろん、物語が後半に進めば、吹奏楽の演奏ホールや、野球部の試合会場など、しっかりとした許可が必要になるシーンも出てくる。けれど、それまでは“順番通り”で構わないと判断した。

 なにより、私たち自身がその方がやりやすかった。

 登場人物たちの「時間の流れ」に沿って撮影することで、感情を追いやすい。理解しやすい。だから、演技にも工夫が出てくる。リアリティが生まれる。

 そう信じて、私たちは今日、最初の一歩を踏み出した。

「まあでも、橘さんって、すごいよね」

 手を団扇のようにして、長谷川君は必死に顔を仰ぎながら言った。

「……何が?」

「いや、今回の小説。よく書こうと思ったなって」

「まあ、中学生だし。暇だったんだと思うよ」

「そうかな? 俺だったら、暇でも別のことするけどな」

「たとえば?」

「普通にモンハンとかしたい。野球も好きだけど、正直、部活で十分って感じ」

「あはは、意外と冷めてるんだね、そこは」

「んー、まあね。自分の実力はわかってるつもりだし。その分、努力の仕方とか、力のかけ方は考えてるつもり」

 その言葉に、少し意外だと思った。長谷川君といえば、いつも軽い感じで、冗談ばっかり言ってるイメージだった。でも……たしかに、納得できるところもある。どこか、共感できる。その考え方は、私たちの世代特有の感覚なのかもしれない。

「あー……その気持ち、ちょっとわかる。私も才能ないから、けっこうコスパ悪いことしてる気はするな」

「今回の脚本?」

「そう。難しいよ、本当に」

「でもさ、橘さんは才能あるでしょ?」

「ないよ」

 即答したら、長谷川君はぷっと吹き出した。

「何よ?」

「ごめんごめん。卑屈だなって」

「卑屈で結構」

長谷川君は、こちらの様子をニヤニヤと眺めながらも、新荒川橋の欄干にもたれ、川面をぼんやり見つめていた。そして、その視線のまま、ぽつりと優しい声で言った。


「でもさ、ここまで必死にくらいついて作品をやろうって……それも一種の才能だと思うけどね」

「それくらい、誰だって……」

 言いかけた言葉を、長谷川君が静かに遮った。

「いや、違う。しかもさ、それで俺たちみたいに人を巻き込んでるじゃん。この作品、作りたいって言ってさ、こうして駆り出してる。たぶん……作家って、文章力とか、内容の面白さとか、そういうのも大事なんだろうけど──“動かす力”っていうの? 読んでる人、見てる人を、気持ちごと動かす。それが本当の“才能”なんじゃないかなって、思うんだよね」

 その言葉に、私は一瞬だけ──本当に一瞬だけ、心臓が跳ねるのを感じた。

(やばい……チャラ男、効く……)

 普段の軽口しか知らなかった分、そのギャップにドキリとした。意外と、いいこと言うじゃん。そんな風に思ってしまった自分に、ちょっと笑ってしまいそうになる。

 そうか。私にも、そういう力が……あるんだろうか。

 胸の奥から、じんわりと温かいものが広がってくる。それがやがて背中を伝い、指先まで届いたころには、ほんの少しだけ、自分に自信を持てるような気がしていた。

 けれど──。

 思考のどこかは、冷静だった。

 ……でも、本当にそうかな。

 そう思えるのは、本来なら脚本をちゃんと最後まで完成させていればこそだ。誇っていい。そう胸を張れる。

 だけど私は、まだ後半の脚本が書き上がっていなかった。

 あの「生き返り」の部分を、どう描くべきなのか。判断ができないまま、筆が止まっている。

 そのことを渚に相談してみたけれど、「まあ、そういう時期もあるよね。作家だし」って、あっさり返された。……まあ、それも正しいとは思う。でも、自分にとっては、そこがどうしても引っかかっていた。

 小説『17の夏』は、ノンフィクションを貫いている。だからこそ、ファンタジー的な要素である“生き返り”の描写を避け、詳細を書かなかった。神様との約束で生き返ったとしても、それを具体的に描いてしまえば、せっかくの事実感が薄れてしまうかもしれない。ノンフィクションらしさを壊してしまうリスクがある。

 でも──今回の映画では、そこをどう描くかが、作品全体の見え方を決定づける。

 たとえば、神様との契約で生き返ったという描写を加えれば、一気にファンタジー色が強まる。逆に、説明をすべてカットすれば、リアル寄りの、ある種の余韻を残す作品に仕上がるかもしれない。

 だけど、それではまるで、大気さんを題材にした創作物──ただの“物語”になってしまう気がして、心がざわつく。私はなるべく、事実をなぞる形で描くことで、その罪悪感を薄めようとしていたのだ。

 ……だからこそ、筆が進まない。

 その想いが、じわじわと重くのしかかってくる。

 また、ため息が漏れた。

「橘さん……」

 長谷川君が、少し心配そうな声で名前を呼んだ。やばい、また頭の中でひとり反芻してた。無意識に、自分の世界に入り込んでいたらしい。

「ごめん……」

「橘さんってさ、きっとドMだね」

「なっ……!」

 その言葉に面食らった瞬間、橋の向こう──第二甲府高校側から、渚の大きな声が響いた。

「そろそろ準備整ったよー!」

 撮影の開始を告げる声だった。

「おっと、そろそろかな」

 長谷川君はそう言いながら、学ランをさっと羽織ると、何事もなかったように颯爽と走り去っていった。

 その背中を見送りながら、私はもう一度、ため息をついた。

 けれど、今度のそれには──ほんの少しだけ、前向きな気持ちも混じっていた。


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