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二〇二七年九月十二日

 二〇二七年九月十二日。

 生徒会室にて、放送部・プログラミングクラブ・美術部による合同タスクチームから、月曜に撮影した「輿水大気さんの事故シーン」のたたき台動画が届けられた。

 驚異的なスピード感。もはや高校生とは思えない。

 本来なら、こういうシーンは台本・美術・音響・諸々の素材がすべて揃ってから取りかかるものだ。だが、今回のプロジェクトにおいて、そんな悠長なことを言っていられない。そもそもそんな計画性ある人間が、この場にいないからだ。

 そのかわり、我々には無尽蔵の時間と、回復力おばけの若さと、空回り寸前の気力がある。つまりは脳筋スタイルで突っ走る週刊連ドラ制作。素材が足りなければ、撮って足せばいい。それだけの話だ。

 パソコンの前に並んで、編集に関わった数人と、私と渚が画面を覗き込む。YouTubeの非公開リンク。サムネイルにはすでに「事故仮Ver」と書かれている。仮と言いつつ、背景にサムネ用のカラグレまで入ってるあたり、もう気合が違う。

 再生ボタンを押すと、画面が動き出した。

 放課後。長谷川君演じる輿水大気さんが、教室のドアを勢いよく開けて飛び出す。リュックを背負いながら、廊下を駆け抜け、階段を飛び降り、下駄箱を滑るように通り過ぎる。玄関を抜け、自転車のもとへたどり着き、勢いよくまたがる──

「お、いい漕ぎ、いい漕ぎ」

「こけるなよ……!」

 編集組が小声でツッコむ。

 ぎこちないペダルさばき。しかしどこか必死さが伝わってくる。

 画面が切り替わり、橋の手前に到着。そこでカメラがグッと引いて、周囲の風景を捉える。

 長谷川君の表情は、最初こそ焦っていたものの、次第に和らいでいく。久しぶりの好きな人との再会に浮かれているような、どこか夢見心地な笑み。

 橋の上で自転車を降り、ふと西の空に目をやると──燃えるような夕焼け。

 演出通り、長谷川君は感動したように目を細め、スマホを取り出す。そしてシャッター音。写真を撮り終えた瞬間、小さく笑みをこぼす。

「千紗先輩に見せたら絶対喜ぶわ」

 そんな大気さんの声が聞こえてきそうな表情だ。編集チームが音をミュートにしていた分、逆に想像力が働いてしまう。

 その直後、BGMが変わる。静かなギターサウンドから、じわじわと緊張感のあるドラムとストリングスへ。パトカーのサイレンが、遠くから、少しずつ、確実に近づいてくる。

 カメラが長谷川君の表情にズームする。夕焼けに照らされたその横顔が、徐々に曇っていく。

 そのときだった。

 ──衝撃音。

 映像は突如ブラックアウト。

 編集されたエンドカードに「以上」と表示された瞬間、思わず私は声を上げていた。

「おー!」

 自分でも驚くほどのリアクションだった。いや、本当に、普通に見られる。

 編集部隊は、わっと沸いた。なかには両手を挙げてハイタッチを求める子までいて、隣の椅子の脚を盛大に蹴り飛ばしていた。

「すごいねこれ」

 私が感嘆の声を漏らすと、

「でしょ!?」

「春先輩の演出プラン、超分かりやすかったっす!」

 部屋は一気に祝祭ムード。

 しかしそんな中、ひとりだけ──渚大監督の表情は、なぜか険しいままだった。

「うーん、厳しいね」

「そうかな? 長谷川君の演技もよかったと思うけど」

 私がそう水を向けると、渚は腕を組んだまま、やや遠くを見る目でつぶやいた。

「うーん。まあ翔太のことは諸々あとでなんとかするとして──ぶっちゃけ、高校生らしいね」

「高校生らしい?」

「うん。画の問題もあるかもだけどさ、何かあるじゃん。高校生が作ると、何か似たり寄ったりになるというか、無印の青春感というか……」

 確かに言われてみれば、そうだ。綺麗にまとまってはいるけれど、どこか既視感というか、「ありがち」な雰囲気は否めない。

「んなこと言われてもよ……」

 編集責任者の美術部・宮崎君が焦ったように苦笑しながら答えた。

 ぽってりしたメガネに、クセ毛のくるくるした髪。小柄だが、話し出すと止まらない。でも、的を射てることが多い。

「いや、私も怒ってるんじゃなくて」と渚が柔らかく続けた。

「どうすれば、もっとクオリティが上がるかなって」

「そりゃ見栄えだろ」と、宮崎君はあっさり言い切った。

「見栄え?」

 その言葉に、渚が反応し、すかさず聞き返す。

 宮崎君は椅子の背もたれにふんぞり返ると、語りだした。

「何というかさ、洗練されてないよな、映像として。やっぱさ、まあアート作品じゃねえしさ、映像ってなるとさ、ある程度“見た目”で伝えることを意識しなきゃならないのよ。で、素人って、見た瞬間に“あ、素人だ”って思われちゃうの。視聴者の脳が、それを即断するわけよ」

「つまり、見た目の時点で、期待値が下がるってことね」と渚。

「そ。たとえば、さっきの夕焼けのカット、空のグラデーションは綺麗だった。でもさ、構図が平坦なのと、色が足りねぇ。映画の夕焼けって、もっと空気感あるじゃん。光が浮かんで、肌にもにじんで。要は“記憶の中の夕焼け”を再現するかどうかなんだよね」

 全ては理解できない。でも、私は宮崎君の見栄えの話に納得していた。

 本屋さんに行って、文庫本の表紙で読むかどうかを決める──私だって、そんなところで判断しているのだ。

「私、わりと王道の泣ける恋愛小説が好きなんだけど、表紙の絵柄が古いと、あんまり手が伸びないんだよね」と、私。

「そう、まさにそれ!」と、宮崎君。

「中身が良くても、“入口”で負けたら終わりなんだよ。だから僕たちは、見せ方にこだわる。美術部的には、まずは“入口をより美しく”ってのを目指すわけよ」

「え、それ何? 入口の……?」

「いいから! 入口が綺麗な店なら入ってみたいし、見てくれる。そして中身の価値もつり上がるって話!」

 うん、話がでかいな。

「でも確かに、高校生の映像って、いつの時代も“青春”がベースになってて、クオリティの伸びしろが止まってる感じがするかも。まあ作っているのが高校生だし」と、渚。

「あー、それ分かる。マンガとかもそうだよね。面白くても、絵柄が古いと、なかなか読もうってならない」

「そうそう。王道作品や有名作家なら読まれるけど、無名の作家だと“古臭い”ってだけで切られちゃうかもね」

 そう言いながら、渚がちらっと私を見る。

「あれ? 私いま何かバカにされた?」

「違う違う、全然。でも、やっぱ画が問題ってのは大事」

「おい、話をすり替えるな」

「宮崎君、どうするべき?」

 渚が問いかけると、宮崎君は顎に手を当てた……かと思えば、ほんの数秒の間にふっと息を吐き、特に考える様子もなく、さらっと言った。

「まあ普通に、いい作品を真似る。そこからだろ」

 そのあっけらかんとした答えに、私は思わず口を尖らせる。

「いや、いい作品って言ったって……そんなプロレベルのものを真似するなんて、無理でしょ?」

「いや、意外に真似られることはあるんだよ」

 宮崎君はパソコンの前に座り、検索エンジンを開くと、いくつかの動画や静止画を立て続けに表示した。サムネイルが次々に並ぶ。プロの短編映画、学生の自主制作映像、外国の映像作家のドキュメンタリー風カット……。

「ほら、たとえばこれ。“悩んでいる人の表情”。寄りすぎず、でも遠すぎない、絶妙な中間距離で撮ってる。光が少し斜めから入ってて、目元に影ができてるでしょ。あとはこの“会議室の空気の重さ”。全員が無言でうつむいてるだけなのに、息苦しい感じが伝わる。構図と光だけで、ここまで雰囲気を作れる」

「あー……言われてみると、確かに」

 私は画面に見入る。どれも、“何かが違う”。でも、その“何か”は説明されると意外なほど単純だった。

「つまり、視点の問題。被写体そのものじゃなくて、カメラをどう置くか。映像って、“見せ方”が八割なんだよ。絵画と同じで、奥行きや空気感って、ちょっとした色や線の太さ、あるいは余白の取り方で全然違って見えるんだ」

 宮崎君の語りはどこか熱っぽく、けれど抑制された静かな情熱があった。その語り口に、私はつい、聞き入ってしまう。

「あとね、プロっていっても、いきなり商業作品を真似ろってわけじゃない。今活躍してる監督だって、最初は自主制作からスタートしてる。その初期作品、YouTubeとかに結構あるんだよ。手持ちカメラでのワンカット、自然光だけのシーン、でもやっぱ雰囲気はある。だから、まずはそういうのを参考にしてみるのがいいと思う」

「なるほどね……」

 私は小さく頷く。プロを目指すんじゃなくて、“参考にする”。それなら、たしかに高校生でもできるかもしれない。

「で、まずはその辺の勉強と──もう一度、“画”の見直し」

「“画の見直し”って?」

「構図、色調、余白。あとカットの長さとか。カメラワークは地味だけど、画の流れって映像にものすごい影響与えるから。メリハリがないと、観てる人の意識が飛ぶ。で、あとは……」

 宮崎君はそこで言葉を切った。視線が泳ぐ。

「あとは?」

「……編集ソフトだな……」

 妙に気まずそうに言った。

「宮崎君たちは、今何使ってるの?」

 渚が口を挟むと、宮崎君は苦笑しながら椅子をくるりと回して答える。

「いや……正直、基本は無料のソフトでなんとかしてる。Lightworksの無料版とか、あとはスマホアプリ……CapCutとか……。でも、これ以上はちょっとキツい。機能が限られすぎてるし、使える期間もあるし……」

「他には?」と渚が淡々と訊く。

「有料のもあるけど……」

 宮崎君は小さくうつむきながら、申し訳なさそうに渚の方を見た。すると、渚は思ったよりもあっさりと、自然に返した。

「いや、なら有料版使っていいから」

「え? マジで?」

 目を丸くする宮崎君。後ろの編集部のメンバーも、どよめいた。

「うん。予算は生徒会の方で何とかするから。アドビのPremiereとか、PowerDirectorでもいいし、できればDaVinci Resolveのスタジオ版も検討して。今回は練習も込みってことで考えてるから、使えるものはどんどん使って、ツールを自分の武器にしていってほしい」

「りょ、了解」

 宮崎君は小さく拳を握っていた。喜びを抑えてるのが、むしろ分かりやすい。

「でも渚、結構値段はするんじゃない?」

 私は思わず口に出していた。高機能な映像編集ソフトは、月額課金制のものが多くて、学生にはなかなか手が出しにくい。高校生の作品に、そんな出費をしていいのかという迷いが、言葉の端々ににじんでいた。

「うん、するでしょう。学割もあるけど、今そういう編集ソフトのサブスク契約とか、普通に高いしね。特に海外製だと、為替の影響も受けるし」

 渚は落ち着いた声で答えた。金銭面の負担が大きいことも、きちんと理解している様子だった。

「大丈夫? そんなに予算あるの? 今後のこと考えたら、お金残しておいた方が――」

 言いかけた私を、渚は静かに制した。その表情には、揺るぎないものがあった。

「でもさ、春。世界を目指すなら、せめて世界と戦える武器は欲しいでしょう」

「……は?」

「歴史を見たって、幕末なんか、尊王攘夷って叫んでた人たちだって、海外の武器を輸入して、自国を強くしようとしたのよ。言ってることとやってることが矛盾してても、現実を見て、選んだ人たちはいたの。だから――」

 ふと目を細めて、少し笑う。

「今の私たちも、最新の“西洋式の銃”を用意しようって話よ。普通に」

「ほ、ほう……」

 私は変な相槌を打ってしまう。急にスケールがでかくなりすぎて、頭が追いつかない。

 最近、渚はちょくちょく歴史の例え話をするようになった。つい数か月前までは、清楚で、皆の憧れで、教室でも廊下でも、自然と周囲が道を開けるような存在だった。それが今では、平然と「西洋式の銃」とか言い出す。けど不思議と、それが妙にしっくりくるようにもなってきた。

 キャラ変、というより、本来の姿が見えてきたのかもしれない。

「けどなあ、いくらそれが良くても、流石に素材が厳しいか?」

 私は少し不安げに、宮崎君たちの作った映像の一部、特に事故シーンを思い出しながら言った。

「そうかな?」と渚。

「うん。ちょっと事故シーンの絵柄は、普通だよね。カメラがズームして、それに比例して、どんどん表情が硬くなっていくっていう」

「まあね」と渚もあっさり認める。

「あとの方法としては、事故シーン自体の脚本を直して、ナレーションに変えるのもありかもしれないとは思った。映画『火垂るの墓』みたいに、主人公のナレーションと共に、ほぼ静止画で構成するとか。たとえば――」

 渚は手元の脚本をめくりながら、少し抑えた声で読み上げる。

「『二〇一六年一二月一五日、僕は殺された。あの日、もともとちょっとしたことで、千紗先輩とデートすることになった……』みたいな流れにしていくのもね」

「あー、それもいいかもね。けど、そうすると静止画の絵も必要だし、大分暗い話になるね」

「うん。許可がもらえるなら、実際に起きた事故なんだから、ニュース映像を音声で使ったり、新聞記事やネットの記事のスクリーンショットを静止画として差し込むのもありかも」

「それ、めちゃくちゃいいじゃん? その方がリアルだし、視聴者の心に残る気がする」

 私は素直にそう思った。けど、すぐに現実がよぎる。

「あ、でもさ……許可取りも必要だし、何より……頑張ってくれてる長谷川君に申し訳ないよ。せっかく演技の練習してくれてたし……」

 そう言うと、渚はふっと息を吐いてから、静かに、でもはっきりと口にした。

「でも春。私たちが目指してるのは“世界”なんだよ? 目的を達成するためには、多少は非情にならなきゃいけない時もあると思う。『いい仕事をしたかったら、半分の人からは嫌われろ』ってね。顔色ばかり伺っていたら、何もできないよ。あ、もちろん、あからさまに冷たくする必要はない。でも、優先順位ってあるじゃない?」

 その言葉には温度がなかった。合理的で、真っすぐで、でもどこか切り捨てるような響きも含まれていた。渚はそういう冷静さを持っている。頭では理解できる。けど、どこか胸の奥がざらつくような感覚が残った。

「けどさ春。そもそもここ、VFXとかCGで上手く加工できたらいいんだけどね。事故シーンも。けど、さすがに……」

 言葉を濁しながら、渚がちらりと編集チームを見る。

 案の定、宮崎君たちは顔を見合わせて、そろって首を振った。そこは彼らですら無理だという無言の意思表示だった。

「本当はね。でも、最悪VFXの人を雇うとか、巻き込むこともできるんじゃない? SNSとかでさ、自作のVFX動画あげてる人って結構いるし」

 テレビの特集で見たことがある。アマチュアでも驚くほどのクオリティを出す人が、今はネットの中にたくさんいる。世界は広く、同時に近くなった。

 でも、その話を口にした瞬間だった。

 渚が、じっと私の方を見た。

「な、何?」

 私の声は半分うわずっていた。じっと見つめてくる渚のまなざしが、妙にまっすぐすぎて。いや、それだけじゃない。なんだろう、まるで心の中をのぞかれているような……。

「それができないのも、脚本が未完成だからでしょう?」

 渚は怒ってはいない。怒ってはいないけど、どこか軽くイラッとさせてくるのが、彼女の才能なのだと思う。しかも言いながら、微妙に口角を上げて、ちょっとだけ楽しんでる感じ。性格が悪いわけじゃないのに、性格が悪く見えるこの絶妙な感じ。

 渚は一瞬だけ振り返ると、宮崎君たち編集チームにぱっと手を振った。

「ありがとう! また細かく指示するね。まずは編集ソフトをお願い!」

 そう言って彼らを送り出し、生徒会室は静けさに包まれた。私と渚だけが残された空間に、ブオーンという扇風機の音がやたら大きく響く。レースのカーテンが風に揺れ、光の模様がまるでホログラムのように壁を漂っていた。

「で、どうなの?」

 渚が机に肘をついて、こちらをじっと見る。ほら出た。あの、詰め将棋の最終手みたいな聞き方。

「どうなのって……?」

「脚本、書けそう?」

 書けないわけじゃない。むしろ書こうと思えば書ける。現に、小説としては一応形になってるし、あの“生き返り”のシーンだって、ふんわりした言葉と雰囲気でなんとなくまとめたし。

 ただ、それだと……。

「……生き返りの部分、ふわっとさせたら怒るでしょ?」

「それはそうよ」

 渚はニッコリ笑った。うわ、肯定が即答。というか、もうちょっと悩んでよ。

「でもさ、そこまで重要? あそこって、全体の尺から見たらちょっとした場面だし……何せ……」

「何言ってるの。だって、『17の夏』は、恋愛小説でも青春小説でもないわ」

「え、」

「違うわよ」

 渚はキリッとした顔で言い放った。

「――あれは、一種のミステリーよ」

 作者であるはずの私は、思わず口を開けたまま、しばらく固まった。

「だってさ、あまりにも都合良すぎじゃない?」

 渚が腕を組みながら言う。

「事故に巻き込まれた主人公の輿水大気さんは、その後東京の大森に住む同い年の工藤光さんに生まれ変わり、さらに彼がこの第二甲府高校に転校してくる。さらにさらに、野球部で甲子園まで行って、橘先生、つまり春のお姉ちゃんの千紗さんと結ばれる。極めつけに、千紗さんの最後の年のコンクール曲が、死者への哀悼に関するものって……あまりにも出木杉でしょう?」

 渚の指摘は的確だった。確かに、ありきたりな青春小説の展開としては王道すぎるくらいだ。でも現実に照らし合わせると、それがほぼ起きているということは、まるで奇跡か運命、もしくは何かの意思を感じずにはいられない。

 思わず息を吐く。

「そう、だからこそ、この謎を解かないといけないんだよね」

 渚は小さくうなずきながら、目をキラリと光らせた。

「おそらく私より先にこの結論に辿りついて、私を鼓舞してるんだなって、今更ながら気付いたよ」

 私がそう言うと、渚はにやりと笑った。

「だってさ春、輿水大気さんの親友だった三浦信二さんは、何も教えてくれなかったんでしょう?」

「うん、でも確実に何か知っているはずなんだけどね」

「そうね……」

 少し沈黙が流れた後、渚が軽く肩をすくめて質問した。

「ねえねえ、お姉さんは何か知ってる?」

「千紗姉ね……」

 私は言葉を選ぶように続ける。

「話してもなかったし、多分知らないと思うよ。姉は嘘をつくのが下手だし、そもそもあの“生き返り”の部分は、私たちと同じくらい疑問に思っていたみたいだから」

「そっか……八方塞がりかあ」

 渚は両手を大きく広げて、今日一番のため息をついた。

 実際、八方塞がりだった。

 大気さんの日記を読み解くうちに、ふと思い当たったのは、生き返りに関係しているかもしれない神社のことだった。昇仙峡にある「夫婦木神社」。大気さんは「ふうふぎじんじゃ」と記していたが、おそらくここであろう。そして、何より、大気さんはこの神社で生き返りの記憶を思い出したと書いていた。

 だから小説の執筆中、私も一度その場所を訪れた。

 しかし、思ったほどの手がかりはなかった。

 確かに、ご神木は立派で、厳かな空気が満ちていた。でもそれ以上に生き返りを示すようなものはなく、日記の記述以上のものは見つからなかった。

 イザナミやイザナギが祭られていることから死者の世界にまつわる神話は調べたが、特別なヒントは得られなかった。

「けどね、渚……一つだけ可能性はあるよ」

 私はため息混じりに言った。

「え? 本当に?」

 渚は食い気味に返す。

 私は、何も手がかりを掴めなかった悔しさとともに、信二さんの様子からこれ以上は無理だと思っていた。

「うん。そもそも、消えたノートの一ページは、もうどこにもないと思う。きっと捨てられたんだろうね」

「じゃあダメじゃん。唯一その内容を知っている大気さんは亡くなり、三浦信二さんは黙り込むだけ」

 渚の声に諦めがにじんだ。

「違う。もう一人、いるんだ」

 その言葉に渚の表情が変わった。難しい顔つきで、何かを確信したようだった。

「まさか……」

「うん。小説執筆のときにインタビューした。彼はこう言ったんだ——『俺はまるで夢を見るかのように、第二甲府高校での生活を見てきた』と」

「工藤光……さん?」

「そう。輿水大気さんが生まれ変わった体の持ち主、工藤光さん。大気さんが成仏してからは、完全に彼の体になっているはずだよ」

 確かに、彼はスラっとしたスタイルに端正な顔立ちで、まるでモデルのようだった。けれど多くは語らず、優しい人柄を感じさせた。だからこそ、インタビューには丁寧に答えてくれていた。もちろん、心を開いてもらうのにも苦労したが。

「でも、工藤光さんって今、行方不明じゃないの?」

 その言葉に、私は思わず固まった。

「え?」

「え? って何?」

「いや、私普通に連絡取っているよ」

「は?」

「は? なんでそうなるの?」

「いや、普通に連絡取れないものかと思ってて……」

「いや、じゃなきゃ、小説書けなかったし……。てか、誰が行方不明って言ったの?」

「そんなことより、チャンスじゃん。今すぐ工藤光さんに聞こうよ」

「おい、話を逸らすな」

「今どこにいるの?」

「あ……でもねえ。いや、それがね……ちょっとね……」

 私の動揺を見逃さなかった渚は、鋭く表情を変えた。

「ねえ、春。隠しても無駄よ。何かあったでしょ?」

 その言葉に、私は言葉を探した。

 静かな生徒会室に、ブオーンという扇風機の音だけが響く。

 カーテンがそよ風に揺れ、柔らかな日差しが部屋を満たしていた。

 だが、その穏やかな空気とは裏腹に、私の胸の内は嵐のように揺れていた。


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