「分かりました」
両手で抱えていた分厚い書物に一度視線を落とした後、エレアヌはオルジェとミーナに視線を向ける。
「ではリオ様にお願いして、同行を許してもらいましょう。危険は承知の上ですね?」
「はい」
問いかけに、二人は即答した。
「武器は何を用意しますか? 私は剣も弓も扱えます」
戦力になるつもりのオルジェが言う。
「そんなもの必要ありません」
にこやかに答えるエレアヌに、オルジェは首を傾げた。
一方、リオは神殿の周辺に作られた畑の中央に立ち、灰色に曇った空を見上げていた。
(……水の妖精が雨を降らそうとしてるのか……)
湿った風が、彼の頬を撫でてゆく。
どんよりとした空は、死の大陸上空を思わせた。
やがて、大粒の雨が一粒二粒と降り始め、地面に染みを作ってゆく。
畑の作物にも雨は落ち、緑の葉や若木の細枝を震わせた。
「……リオ、建物の中に入って」
高く澄んだ声が穏やかに響き、リオの前に一人の乙女が現れた。
「そこにいたら貴方まで濡れてしまうわ」
南の海の浅い珊瑚礁と同じ水色の髪と瞳、滔々と落ちる滝のように白い薄布のドレス。
彫りの深い顔立ちは、聖母のように優しく慈愛に満ちた微笑みを湛えている。
「構わない」
対するリオの声には、どこか甘えた子供のような響きがあった。
「……困った人ね」
乙女が苦笑した直後、リオの身体を水色の光が包む。
彼女の髪や瞳と同じ色の光は膜となり、雨粒を弾き始めた。
「ありがとう」
リオが柔らかく微笑むと、水の乙女も笑みを返す。
その姿が幻影の様に薄れ、陽炎の如く揺らめくと、大気に溶け込む様に消えた。
淡いブルーの光に包まれたまま、リオは再び空を見上げる。
大地の妖精は未だ、捕らえられたままである。
ラーナ神殿付近はリュシアの結界のおかげで大地の恵みを受け続けているが、地割れの向こうでは、せっかく潤い始めた大地が再び砂漠化しつつあった。
その状況は、すっかり報告係となった風の妖精が報せてくれる。
「西のリナリアが枯れてしまったよ」
「あと少しで、蕾が開いたのに」
リオの髪を、風がフワリと撫で上げた。
羽根のある小妖精たちは、親友である少年の周囲に集い、衣服の裾や飾り帯を揺らす。
「水の妖精が必死に大地を潤してるけど、駄目なんだ」
「土そのものが、病んでしまってるから」
大人びた事を言う風の子供たちはしかし、胸の奥にある言葉を口にすることは出来ない。
この世界を救ってほしい。
けれど、彼等も恐れていた。
聖なる力をもつ少年が、邪気に満ちた土地へ行く事を。
物質化した闇が、再び彼を傷つける事を……
そんな彼等に、リオは言った。
「風の妖精、翼を貸して」
とっくに変声期がきている筈の、十五歳の少年とは思えぬ透明感のある声で。
「もう一度、僕を死の大陸へ運んでほしい」
その言葉に反応して、風の妖精たちが固まる。
それから、動揺を表すように風は乱舞する。
雨に濡れた作物の葉を揺らし、若木の細い枝々をしならせ、不揃いに伸びたリオの黒髪を乱した。
「頼む、空間移動は出来れば使いたくない」
逃げる様に離れてゆく風の妖精達を見回し、リオは声を張り上げる。
途端に、妖精達は一斉に振り返った。