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第77話:生命の環

 「本当にいいのか?」

 宝石の様に美しい髪と瞳をもつ人々を前に、黒髪の青年は気後れしてしまう。


「構いません」

 リオ達の帰りを待っていた人々は、穏やかに答える。


 ディリオンは、白き民と黒き民の混血児。

 凌辱によって生まれた事は後に知らされた。

 母の愛も得られず、孤独な時を過ごした彼は民族間の争いの被害者。

 事情を聞いた今、誰も彼を拒みはしない。


「一緒に食事をしましょう」

 微笑んで、ディリオンの手を掴んだのはミーナであった。

 彼女に引かれて建物の中へと入ってゆく彼の後に、他の人々もついて歩く。

 そうして食堂に入り、料理が運ばれてきた時、七千年間も生きてきた青年の身体の異常が知れた。


 目の前のシチューやパンやサラダ等に手をつけられず、躊躇するディリオン。

 「ずっと不死の霊薬ばっかり飲んでたって?」

 事情を聞いたリオが、思わず声を上げた。


「……それじゃ、普通の食事は出来ないの?」

 配膳を済ませた盆を抱え、ミーナがディリオンの顔を覗き込む。

「いや、生きてる状態で飲んでいるから、食べられる筈なんだが……」

 七千年もの断食は半端ではなく、胃袋が正常な働きをしなくなっていた。

 食欲という本能が麻痺した脳は、食べ物を口に運ぶ事を忘れていた。


「薄いスープから始めていけば、そのうち食べられるようになりますよ」

 エレアヌの助言で、その日からディリオンのリハビリが始まった。


 入浴に訪れた共同浴場でも、黒髪を拒む者はいない。

 「黒髪同士だから、昔よりも兄弟っぽく見えるね」

 兄の背中を流しつつ、リオは人懐っこい笑みを向けた。



 数日後、リオは日本へ帰る事を告げる。


「行ってしまうのですか?」

 緑の葉を茂らせる大樹の下、見送る人々の思いは同じ。

「なあ、ずっとこっちに居られないのかよ?」

 その代表ともいえる、シアルが問うた。


「大丈夫、必ず戻ってくるから」

 穏やかな笑みを浮かべて、転生者の少年は言う。

「時が流れて、僕が僕としての生を終えたら、今度はこっちに生まれてくるよ」

 その場にいる全員に視線を巡らせ、リオは最後にエレアヌに目を向ける。

 優美な青年は、ゆっくりと歩み寄ってきた。


「……随分、髪がのびてしまいましたね……」

 無造作にのびた黒髪に触れると、彼は言う。

「よろしければ切って差し上げましょうか?」

「このまま帰るよ。これは僕がこの世界で時間を過ごしたという証だから」

 風が、その黒髪を柔らかくなびかせた。


「じゃ、行こうか」

 そして、リオは大樹を見上げる。

「承知しました」

 穏やかな物腰の青年は応え、生命の木の根元に座り込んだ。

 肉体を離れて現れる、エレアヌの精神…。

 緑の賢者に導かれ、役目を終えた少年は異世界から元の世界へ帰ってゆく。


 「そういえば、時間の流れが違うんだっけ? まさか向こうに着いたら何十年も経ってたなんて事、ないよね?」

 緑柱石色の空間に入り、リオはふと気になる事を問うた。

『心配いりませんよ。ちゃんともとの時間にお送りいたします』

 幻像のエレアヌが答える。

「よかった」

 リオはホッとした様子で微笑み、また問うた。

「……ところで……エレアヌの転生者は、向こうの世界に居る?」

 少々意外な問いに、淡い緑の瞳が丸くなる。

 それから、リオの魂を愛する存在は、心の底からの微笑みを浮かべた。

『……いますよ……』

 低く深みのある声で囁き、エレアヌは実体の無い手を愛しい者へとのばす。

『……私は、いつもあなたの傍に居ます……』

 実際に触れはしないが、リオは確かに抱き締められた気がした。


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