トウキョウに行ってからしばらく過ぎました。
ダイゴくんはホイクエンで過ごしつつ、
お家で毎日楽しく暮らしています。
ホイクエンはとてものびのび過ごせるところです。
たくさんのお子様たちが思い思いに過ごしていて、
ダイゴくんもそこで楽しく過ごしています。
お母様はもうすぐお仕事に戻るというお話なのですが、
そうなりますと、ホイクエンにいる時間がもっと長くなるのかもしれません。
ホイクエンが楽しいところであることはわかっています。
お母様もお父様もお仕事があることはわかっています。
ダイゴくんは状況をわかっていないかもしれませんが、
私などはダイゴくんが寂しいと感じないかが不安でもあります。
まだまだ幼いダイゴくんのそばにいられないことで、
お母様などはおつらい思いをされたかもしれません。
おつらい選択をせざるを得なかったことは、
胸が締め付けられるほどです。
私はダイゴくんの中にいますので、
お母様にお声をかけることはできませんが、
私がいます、大丈夫ですとお声掛けをしたいと思います。
声は届きませんが、
ダイゴくんが笑っていれば大丈夫と思ってくれはしないか、
そんなことを思ってしまいます。
お母様のお仕事復帰まであと少しです。
私はダイゴくんの中で、ダイゴくんとともに色々なことを楽しみつつ、
ダイゴくんが寂しくないように努めます。
日々過ごす日常が、
新鮮でとても鮮やかです。
生まれて一年程度のダイゴくんにとっては、
この世界はすべて新しいものと言っても過言ではありません。
たくさんの新しいもの、新しい刺激に囲まれて、
ダイゴくんはすくすくと成長していきます。
ダイゴくんはお家の猫さんたちと遊びます。
車のおもちゃに球を乗せるものがあるのですが、
その球をダイゴくんは投げてしまいます。
猫さんたちは球を追いかけて、あっちこっちの隙間に入れてしまいます。
球を投げることと、猫さんたちが遊ぶことと、
いろいろな要素が合わさって面白い遊びと覚えたのか、
ダイゴくんは球をどんどん投げてしまい、
猫さんたちが遊んだ挙句に隠してしまいます。
結局、車のおもちゃに乗せる球はほとんどなくなってしまいました。
お家のどこかにあるのでしょうが、
猫さんしか入れないようなところにあるのかもしれません。
楽しく遊べるのであれば、
おもちゃとしてはそれが正解なのでしょう。
遊んだうえで壊れるとしても、
おもちゃの役目を全うしたのではないかと思うのです。
役に立って、役目を全うするというのは、
素敵なことであると思うのです。
誰かに必要とされて、
誰かの役に立てて壊れたおもちゃは、
楽しい思い出を残しながら、その生を生き抜いたと思うのです。
まだおもちゃが壊れたわけではないのですが、
これからダイゴくんはたくさんのおもちゃに触れることでしょう。
大事にするかもしれませんし、
とても楽しく遊びすぎて壊してしまうかもしれません。
幼いダイゴくんのそばにおもちゃがこれからもあるでしょう。
それらのおもちゃは、
ダイゴくんの友のようなものであってほしいと思うのです。
さて、ある日。
お家に何かが届いたようです。
親御様たちが届いたものを確かめました。
何かを届けることを仕事にしているものが、
この世界にはあるようで、
ユウビンとかタッキュウビンとか、
そんなものがどうやら何かを届けるものであるらしいです。
この世界の文字はある程度覚えてきたのですが、
難しいものはまだ読めませんし、
この世界の仕組みもわからないことが多いです。
ダイゴくんとともに覚えていければと思います。
届いたものを親御様たちが確かめて、
ダイゴくんに語り掛けました。
ダイゴくんは選ばれたんだということでした。
私なりに記憶を探します。
どうやら、トウキョウに行った際のオーディションというもので、
ダイゴくんは選ばれたらしいです。
これは勇者への道の第一歩かと私は思いましたが、
オーディションで勇者という言葉が一切なかったので、
勇者とはまた別の何かに選ばれた可能性もあります。
笑顔を求められたり、
可愛らしいことを求められたりしたように思いますので、
愛される存在として選ばれたことは間違いがないように思います。
それは、私の目指す、愛される勇者であることと一致します。
ただ、私の思う勇者というものと、
この世界における愛される存在というものに対する言葉が、
違うものである可能性もあります。
前も思いましたが、
この世界には勇者にあたる言葉がないのかもしれません。
世界中の人に愛されるような勇者にあたるような言葉が、
この世界にはないのかもしれません。
とにかくダイゴくんは選ばれました。
勇者かどうかは、この世界でどういうのかはわかりませんが、
選ばれたことは間違いないようです。
ひとまずはおめでとうなのかもしれませんが、
ダイゴくんはよくわかっていないようです。
親御様たちもおめでとうと言われるのですが、
なんだか楽しいことらしいとしか、ダイゴくんはわかっていないようです。
親御様たちは、ダイゴくんが選ばれたことに対して、
お話し合いをしています。
お父様は、選ばれたのだから、
そちらの道に進めるのも悪くないと言われていて、
お母様は、将来やめるにやめられなくなったときに、
苦しくなられないかを心配されているようでした。
どちらの考え方もわかる気がします。
親御様という立場であるのならば、
ダイゴくんの可能性を、どこまでも広げてあげたいと思います。
幼いダイゴくんが、どんな道を選んでもいいように、
たくさんできることを増やしてあげるのもわかります。
また、いろいろなことをダイゴくんにさせてあげて、
ダイゴくんがもうできないとなってしまったときに、
ダイゴくんができないとちゃんと言えるかというのも、
大事な点であると思います。
もうできない、助けてと、
言えない子どももいると思います。
親御様たちの期待が大きすぎますと、
その期待を裏切ってはいけないと、
優しい子どもほど無理をしてしまうものであるように思います。
ダイゴくんならば大丈夫だと思うのですが、
ダイゴくんはまだまだ幼すぎます。
今回、選ばれたことに対して、いろいろな事柄があるのでしょう、
それらに対してはどうしても親御様たちの判断が必要になります。
ダイゴくんだけでは決められません。
私は、ダイゴくんとともにあります。
親御様たちがどんな選択をしましても、
それはダイゴくんを思っての選択であり、
親御様たちが下した最良と思われる選択であります。
どんな選択をされましても、
私はずっとダイゴくんとともにあります。
今回選ばれたことは、
みんなに愛される勇者への道につながるのか、
そのあたりは私は判別しかねます。
この世界における愛される勇者にあたるものになる道なのか、
また、別のことで選ばれたのか、
この世界の仕組みがいまいち把握できていないゆえに、
私が何か決定をすることはできません。
そもそも、ダイゴくんの中にいるので、
私が何かを決めることなどできません。
今は、親御様たちの決定を待ちます。
ダイゴくんはいつものように過ごしています。
親御様たちの選択で、運命が動き出すのか、
あるいはそうでもないのか、
わからないダイゴくんは、今日もキラキラと笑っています。
その無垢さに私はいつも救われています。
ダイゴくんの勇者への道はまだまだ続きます。