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第3話

初めて自分が描いた漫画は、夢見る少年の拙すぎる作品だった。


 こんなものが、ブンジャンの本誌掲載に耐えうるものか正直言って分からない。そもそも小学生が作った漫画なんて落書き程度のものだし、ギャグマンガかよって笑ってしまうような絵柄や、ストーリー。自分の才能のなさが窺えるのだ。正直言って恥ずかしい。


 だからこそ、手を加えるのだ。本誌に載っても耐えられるぐらいの面白い漫画にするために。


 そのために必要な要素はなんだ?


 考えろ。考えろ。精一杯考えるんだ。




 自分の過去のネームを読み込んだ。初めて連載を勝ち取り、同時に打ち切りになった漫画を見る。


 拙い線だけど、ある意味素人離れした描写。それが俺の個性だった。しかしそれはただの凡庸な性質だったのだ。八週目からブンジャンのアンケートで最下位争いを繰り返すようになり、そして十五週目、度重なるテコ入れの後、最終話――打ち切りを迎えた。


 ここから、自分の心身性、つまるところ漫画家として大事な部分を失ったように思える。


 そこから三回、連載を勝ち取っては打ち切られるというのを繰り返す。それに苛立って机を蹴飛ばしたこともあるし、漫画インクを壁に投げつけたことだってある。


 そしたら突然絵を描けなくなった。今描いたら駄目な気がする。そんな予感を覚えたからだ。




 その間、空想を繰り返した。まるで絵空事のようなものを夢見た。


 ブンジャンで連載をさせてもらえば、かの著名な漫画家のようにベンツやフォルクスワーゲンを乗り回し、タワーマンションに住み、そして金で女を買う。そんな豪遊がしたかった。


「友情……努力……勝利か」


 ブンジャンの三大漫画原則。少年が夢見るヒーローに当てはまる条件だ。




 何か、掴めそうな気がする。絵空事は絵空事として、現実は現実として認識しろ自分。さすれば線が描けれるはずだから。


 俺は椅子に座る。漫画原稿紙に落書きをする。


 それは、さっき見かけた少年が真似て遊んでいた、ブレイドマンだ。


「久し振りに描いたな、ブレイドマン」




 この作品は、子供ウケを狙って描いた作品だ。特撮ヒーローの物語構成を真似て描いたのでそこそこ人気だった……はずだ。


 ただ、やはり人気はどんどん低空飛行になっていき、最終的には打ち切りだ。


 自分に嫌気が刺した。その時点で俺は三十路だった。将来の見えない世界に少々鬱気味になって、心療内科にも通う羽目になった。


 様々な抗うつ剤を試した。それでも憂鬱な気分は改善しなかった。




 そんなとき、天井がぐるぐる回るような感覚も襲った。




 そして倒れてしまった。


 目を覚ますと知らない天井だった。消毒液の匂いが鼻腔を刺激する。


 周囲を見渡すと、ようやくこの場所が分かった。病室だ。


 そう、いままで健康だった自分が、三十代に初めて栄養失調で倒れたのだ。


 医者からはしばらく休養するように、と診断された。


 休養、と言われても……俺は入院費や治療費が無い。自営業だし健康保険にも加入していなかったからもしかしたら高額な医療費を請求されるかもしれない、と思った。


 そしたら病室に田畑が訪れた。




「先生。大丈夫です。治療費ぐらい払いますよ」


「英集社の経費では落ちないでしょ。もう俺のことは切り捨ててください」


 すると田畑が目尻を緩めた。あっ、こいつはこんな柔和な表情が出来るんだと感じた。


「先生が退院出来ない方が、ブンジャンでは損なんです」


「そんなことないですよ」


「いえ、断言できます。先生の漫画に惚れた私が言うんですから。絶対にアンケート一位を取りましょう」


 俺はもう涙が出そうだった。自分を信じてくれる人がいることが、どれほど幸せなことか、実感できた。


「ありがとうございます……」


「先生、敬語はやめてくださいよ。私、いや俺たちは一緒にブンジャンの夢見る同志じゃないか」


「……そうだな」


 俺は起き上がって田畑に握手を求めた。


「なら、約束してくれないか。編集者のあなたを尊敬しているからこそ、反故にしないでほしいからな」


 田畑が固く握手を交わしてきた。「もちろんです。先生」




 そんなことを思い出していたら部屋が橙色に染まっていた。カーテンを閉めて電灯を点ける。少し淡い照明で、ちかちかとする。


 俺は体を伸ばして漫画の制作に取り掛かった。小学生の頃の無邪気な漫画の線を、より具体的に落とし込んでいく。そんな、言い換えれば気の遠くなる作業だ。



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